<注意>
ビエール・トンミー先生のiMessageによるベンツの『クラス講座』は、ベンツの幾つかの『クラス』に対して、またそのオーナーに対して、辛辣過ぎる評価があるかもしれないが、決して、それらのベンツ、のオーナーを侮辱、差別をするものではない。
西洋美術史としてのビエール・トンミー先生の審美眼と、ハンカチ大学商学部卒の、しかも、SNCFの大家としてのビエール・トンミー先生のビジネス・センスとから、あくまで個人としての評価を述べるものである。
長年のベンツ・オーナーであるビエール・トンミー先生は、総ての『クラス』のベンツとそのオーナーを愛している。ベンツは、『評価』をするに値するクルマなのだ。『評価』をするに値しないモノについては、ビエール・トンミー先生は、言葉一つ吐くことはない。
ビエール・トンミー先生は、時に、ベンツ以外のクルマについても忌憚なき発言をされる(あくまで個人としての評価だ)。この場合も、その対象が『評価』をするに値するクルマだからである。
[ホイラーなベンツへ(続き17)]
「え!?やはり、ハンブルクでシュタイフのテディ・ベアをお探しにはならなかったんですか?」
と、さすがの生徒エヴァンジェリスト氏も、ビエール・トンミー先生宛のiMessageで驚きを隠すことはできなかった。ビエール・トンミー先生の生徒エヴァンジェリスト氏に対するiMessageによるベンツの講義は、ビエール・トンミー先生が『ビートル』の次の次に乗った『プレリュード』からベンツに乗り換えた事情説明となり、ベンツは平気で150キロ位速度出る、という先生の説明に、エヴァンジェリスト氏が高速道路で150キロのスピードを出していいのか、と追及してきたので、それはドイツの話、と先生はかわそうとしたところ、先生の海外出張でのことへと話は逸れ、先生が行ったミネアポリスの『モール・オブ・アメリカ』で、マダム・トンミーにお土産として頼まれていたシュタイフのテディ・ベアを買ったのではなく、日本で買ったこと、そして、ハンブルクでも探したのではないことを、先生は白状したのだ。
「ああ、ハンブルクでも探した、いうんも、ホンマやないんや」
「つまり、嘘ですね」
「いや、ホンマやあらへんのや」
「バカな政治家的答弁はお止め下さい。その後もまだ世界を回るので、邪魔になるから、端からハンブルクで買おうとなさらなかったのですか?」
「ハンブルクではシュタイフのテディ・ベアを売っとる店に行けんかったちゅうだけのことや」
「まさか『研修』で行ったのだから、お土産を買う暇なんかなかった、と仰るのではないですよね?」
「ああ、一応、『研修』やからな」
「一日中、『研修』をしている訳ではないでしょうに」
「ハンブルクで何処に行ったか全く覚えとらんが、縫いぐるみとは全く関係ないトコに行ったんは確かや」
「ふふ、覚えてらっしゃらないのですか?」
「そうなんや。不思議なことやが、全く覚えとらんのや。これは、ホンマやで」
「記憶も飛んでしまう程のトコにいらしたのですね」
「『研修』の仲間に連れられて何処か行ったんやろ」
「そうだったんでしょうねえ。アソコは、『世界で最も罪深い1マイル』の地だそうですから、先生も無意識の内に、アソコで犯した罪を忘れようと、記憶から消し去ったのですね」
「なんや、その『世界で最も罪深い1マイル』ちゅうんは?」
「ハンブルクの『レーパーバーン』(Reeperbahn)って、日本で云えば、『歌舞伎町』のようなところだそうではありませんか」
「知らへん、『レーパーバーン』なんちゅうトコ」
「まあ、名前はご存じなかったのでしょう。仲間に連れて行かれたのですから」
「せや。ワテは、連れて行かれただけなんや」
「でも、来たからには、と『お楽しみ』だったのですね」
「せやから、知らんて。なーんも覚えてへんのや」
「記憶も飛ぶ程の『お楽しみ』だったとは!あ、ひょっとして、『レーパーバーン』で出会われたのですか?」
「はあ?誰と出会うたんや?」
(続く)
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