<注意>
ビエール・トンミー先生のiMessageによるベンツの『クラス講座』は、ベンツの幾つかの『クラス』に対して、またそのオーナーに対して、辛辣過ぎる評価があるかもしれないが、決して、それらのベンツ、のオーナーを侮辱、差別をするものではない。
西洋美術史としてのビエール・トンミー先生の審美眼と、ハンカチ大学商学部卒の、しかも、SNCFの大家としてのビエール・トンミー先生のビジネス・センスとから、あくまで個人としての評価を述べるものである。
長年のベンツ・オーナーであるビエール・トンミー先生は、総ての『クラス』のベンツとそのオーナーを愛している。ベンツは、『評価』をするに値するクルマなのだ。『評価』をするに値しないモノについては、ビエール・トンミー先生は、言葉一つ吐くことはない。
ビエール・トンミー先生は、時に、ベンツ以外のクルマについても忌憚なき発言をされる(あくまで個人としての評価だ)。この場合も、その対象が『評価』をするに値するクルマだからである。
[ホイラーなベンツへ(続き14)]
「このアホンダラあ!なんで、慧眼をコーガンと読み間違えるんや!」
というビエール・トンミー先生の生徒エヴァンジェリスト氏宛のiMessageでの怒りは、ホンマもんであった。ビエール・トンミー先生の生徒エヴァンジェリスト氏に対するiMessageによるベンツの講義は、ビエール・トンミー先生が『ビートル』の次の次に乗った『プレリュード』からベンツに乗り換えた事情説明となり、ベンツは平気で150キロ位速度出る、という先生の説明に、エヴァンジェリスト氏が高速道路で150キロのスピードを出していいのか、と追及してきたので、それはドイツの話、と先生はかわそうとしたところ、先生の海外出張でのことへと話は逸れ、今度は先生が行ったミネアポリスの『モール・オブ・アメリカ』でシュタイフのテディ・ベアを探していたことになったが、エヴァンジェリスト氏は、いつものお惚け発言を先生にしてしまったのだ。
「オゲレツもエエ加減にせえや!エエか、ワテが、『モール・オブ・アメリカ』で探しとたったんは、テディ・ベアや。それも、『シュタイフ』社(正式には、『マルガレーテ・シュタイフ』社[Margarete Steiff GmbH]や)のテディ・ベアや」
「ああ、テディですか。テッドですね。元は、セオドアですよね?会社員時代、米国の提携先の日本向けの窓口で日系人にテッド、つまりセオドアという人がいました」
「せや、テディは、セオドアや。セオドア・ルーズベルト大統領が、狩で瀕死の熊をじゅうで打たんかったあ、いうエピソードが元で作られるようになったあ、云うか、『セオドア・ルーズベル』の『セオドア』の名あが付けられた熊のぬいぐるみのことをテディ・ベアちゅうようになったんやそうや。『シュタイフ』社は、ドイツの会社で、ルーズベルト大統領のエピソードとは関係のう、熊のぬいぐるみを作っとったらしいが、世界で一番人気のあるんが、『シュタイフ』社のテディ・ベアなんや。一体一体、職人の手作りで、耳にオリジナル・タグがボタンで留めてあんねんやで」
「さすが、『みさを』がイチコロになった程の博識でいらっしゃる」
「え?『みさを』、そないなオナゴ知らんで」
「ふふ。『みさを』が女性であったことをお認めになるのですね。『みさを』って、男の名前としてもあるのに」
「あれは、妄想や。うなされとっただけや。エエ加減にしてえや。問題は、世界で一番人気のあるテディ・ベアを作っとる『シュタイフ』社とくまモンとの関係や」
(参照:治療の旅【江ノ島/鎌倉・編】[その155=最終回])
「え!?『シュタイフ』社とくまモンとに関係があるのですか?」
「『シュタイフ×くまモン』ちゅう、『シュタイフ』社とくまモンのコラボ商品があったんや。くまモンも『シュタイフ』社とコラボしたのなら、熊冥利につきるというものだったでしょうねえ」
「ようよう分ったかいな」
「『シュタイフ』社って、テディ・ベア界のベンツみたいなものなのですね」
「おお、なかなかエエこと云うやないけ。まあ、それで、テディ・ベア好きの家内に、『シュタイフ』社のテディ・ベアをお土産に、と頼まれとった、ちゅうことなんや」
「しかし、疑問があります」
(続く)
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