2021年11月30日火曜日

【牛田デラシネ中学生】変態の作られ方[その63]

 


「ふぁああ…..」


『少年』とその家族にアイスクリームを持って行った広島の老舗デパート『福屋』の大食堂の主任が、魂を抜かれたように虚ろな眼差しで厨房の入口に戻って来た。


「主任、ずるいんじゃけえ!」

「職権乱用じゃあ」


ウエイトレスたちが、勝手にアイスクリームを持って行った主任を非難したが、


「ああような奥さん、ああようなお嬢さんは、広島で見たことないけえ」


と、主任の魂がまだ、身体に戻って来ていなかったその時も、『少年』の父親は、息子に質問を続けていた。


「ビエールは、何人だ?」

「….日本人だと思うけど….でも、そうなんだね。日本にも、ボクたちよりもっと昔から住んでいた人がいるんだよね。北海道のアイヌの人たち?」

「そうだな。先ず、『日本人』って国籍上のことを云うのか、『民族』としてのことを云うのかにも依ることを考えるべきだ。いや、更には、今、『日本』とされる地域に住む人間のことを云うのか、を考える必要もある。いずれの場合にしても、現時点でのことを云うのか、歴史的な視点から捉えるべきなのか、そういったことも考えるべきだろう」

「前提が、言葉の定義が大事、ということだね」

「次に、アイヌの人たちだが、確かに北海道に住んでいる人たちが多いのだろうが、北海道以外の都府県にも住んでいるだろうし、歴史的に見ても、北海道だけではなく、東北北部や樺太や千島にも住んでいたようだ」

「アイヌといえば北海道、と思い過ぎてもいけないんだね」

「そのアイヌに対して、アイヌではない、所謂『日本人』を『和人』とか、これも定義には依るんだが、『大和民族』とかいうんだけど、『和人』は多分、中国や朝鮮から渡ってきたと思われているんだ。天皇家だって、朝鮮の血が入っているとも云われているんだ」




「え?天皇って、『日本人』の象徴なんじゃないの?」



(続く)




2021年11月29日月曜日

【牛田デラシネ中学生】変態の作られ方[その62]

 


「奥様、お待たせしました。アイスクリームでございます」


広島の老舗デパート『福屋』の大食堂の主任が、『少年』とその家族が注文したアイスクリームを持ってきた。


「うわあ!美味しそう!」


『少年』の妹が、自分の前に置かれた、アイスクリームを見て、両方の口の端を上げた。ステンレスの足付きカップに入った食堂のアイスクリームには、特別感がある。


「(おお、なんと愛くるしい!)」


と、少女に見惚れている主任の方に顔を向け、少女の母親が、声をかけた。その時、少し風が流れた。


「(ああ、美しい!芳しい!)」


主任がしばらく、少女と少女の母親の間で呆然と立ち尽くしている時も、『少年』の父親は、息子に、ヒットラーに関連してヨーロッパ史の説明を続け、


「ヒットラーが、ユダヤ人だったというのは、あくまでそういう説もあるらしい、ということだ。それよりも、そもそも、『何人』ということにどれだけの意味があるのか?」


と、更には、人間そのものに関わるテーマを口にし始めていた。


「アメリカ人って、誰だと思う?どんな人がアメリカ人だ?」

「うーん….背が高くて、金髪で、いや、金髪じゃない人もいると思うけど、あ、いや、白人だけじゃなくって、黒人の人もいて…」

「先ず、『アメリカ人』という時の『アメリカ』を定義しよう。『アメリカ合衆国』のこととしよう。で、その『アメリカ合衆国』に今、住む白人や黒人、それに、日系やアジア系、インド系、中東系の人なんかもいると思うが、そういった人も確かに『アメリカ人』だろう。でも、その人たちは、主に移民でアメリカに来た人たちだろう」

「あ、元々の『アメリカ人』って、インディアンだね!」

「む、『インディアン』か….ビエールが、西部劇なんかで見る『インディアン』の人たちって、本当に『インディアン』なのか?」




「え?違うの?」

「『インディアン』って、『インドの人』という意味だよ。アメリカの『インディアン』の人って『インドの人』なのか?」

「違うよね」

「そうだ。アメリカの『インディアン』って、アメリカに元々住んでいた人たちで、『インドの人』ではない。コロンブスが、アメリカ大陸を発見した時に、そこをインドだと思ったことから、『インディアン』と呼ばれるようになったんだ。まあ、その頃の『インド』って、今のインドのことではなく、今の東アジアのことをヨーロッパに人たちは『インド』と思っていたようなんだけどね。それに、コロンブスが、アメリカ大陸を発見した、というのも正しくはないんだ。コロンブスが到達したのは、アメリカ大陸近くのサン・サルバドル島だからね。それに、アメリカ大陸を発見したという云い方自体、ヨーロッパから見た云い方だ」

「そうだね。だって、そこにはもう、『インディアン』の人たちが、いや、『インディアン』の人たちと今、呼ばれる人たちがいたんだものね」

「もっと云うとな、そのアメリカに元々住んでいた人たちだって、実は、多分、アジアから移り住んだと思われているんだ」

「え?」

「そのアメリカに元々住んでいた人たちって、所謂、白人や黒人よりも、アジア人に似ているだろう。アジアの人たちが、シベリアからアラスカに渡ったんじゃないかと思われているんだ。こうなると、何が、誰が、『アメリカ人』なんだ、と、父さんは思う」



(続く)




2021年11月28日日曜日

【牛田デラシネ中学生】変態の作られ方[その61]

 


「あんたら、ちーたー静かにしんさい」


と云った広島の老舗デパート『福屋』の大食堂の主任の方に、ウエイトレスたちが振り向くと、お盆にアイスクリームを4つ乗せた主任が、『少年』とその家族に向って行くところであった。


「あ、主任、ずるい!」

「それ、ウチが持って行くんじゃのにい!」


口々に、ウエイトレスたちが、不満を鳴らした時も、『少年』の父親は、ヒットラーが元々はドイツ人ではなく、オーストリア人であったことに関連して、そもそも、『ドイツ』っていう国は何であるのか、という説明を息子の続けていた。


「まあ、ゲルマン民族というのは、今のドイツの北部やデンマーク、それからノルウエーやスウェーデンなんかに住んでいて『ゲルマン語』という言葉を話していた人たちのことなんだ」

「あ、ひょっとして『ゲルマン』って、『ジャーマン』のこと?」

「おお、そうだ。知っていたのか。そうだ、英語で、ドイツのことは、『ジャーマニー』というんだ」


と、『少年』の父親は、自身のモンブランの万年筆で、紙ナプキンに、『Germany』、そして、『German』と書いた。


「英語の『ジャーマン』は、『ドイツ人』のこととか、『ドイツの』という意味だ」

「ドイツ人は、ゲルマン民族だからなんだね」

「そうだ。でな、そのゲルマン民族の中で、ライン川中流辺りに住んでいた人たちが、フランク人だ。そのフランク人が作った『フランク王国』が分裂してできた『東フランク王国』が、その後、『神聖ローマ帝国』を経て分裂して、日本の戦国時代のような状態になっていたんだが」

「え?ドイツなのに『ローマ帝国』?」

「ああ、今のハンガリーのマジャール人がローマを侵略しようとしたのを『東フランク王国』が助け、ローマ教皇から『ローマ帝国』の後継者として認められたかららしい。『東フランク王国』としても、『ローマ帝国』というヨーロッパを就寝とした広大な地域を領地としていた存在の後継と名乗れることに価値があったんだと思う」

「へええ、ローマ教皇が関係しているんだね」




『少年』の父親の説明は、小学校を卒業したばかりの子どもにはまだ早い世界史の授業ともいえるものであったが、これが、ハンカチ大学の入試も得意の世界史のみで合格したと思われる程に、『少年』が世界史に興味を持つようになった端緒の経験であったのだ。


「まあ、だけど、『神聖ローマ帝国』も、その後、ローマ教皇との権力闘争があってな、だんだん弱体化して、諸侯、つまり、『神聖ローマ帝国』国内の小さな国の領主だな、それが勢力を伸ばし始め、その中で大きな勢力を持っていたのが、プロイセンとオーストリア・ハンガリー帝国だったんだ。とまあ、一口にドイツといっても、歴史的には、どこが、というか、何がドイツなのか定義するのは難しいんだ。『ドイツ』という国名が出てくるのも、1871年にプロイセンによって作られた『ドイツ帝国』からだからね。イタリアだって、今のイタリアとして統一されたのは、1861年なんだ。だから、国とか国名、そしてどこの国の人かということを語るのは、容易ではないんだ。ドイツは、今、俗にいう『東ドイツ』と『西ドイツ』に別れているだろう」

「だから、ヒットラーがドイツ人かどうかをいうのも難しいんだね」

「そうだな。それに、ヒットラーのお父さんのお父さん、つまり、父方のおじいさんが誰なのか分っていないようで、そのせいか、ヒットラーは、実は、ユダヤ人だった、という説もなくはないようなんだ」

「え!?ヒットラーが、ユダヤ人!?」


手塚治虫が、『アドルフに告ぐ』を描くのは、それから10数年後のことであった。



(続く)




2021年11月27日土曜日

【牛田デラシネ中学生】変態の作られ方[その60]

 


アイスクリームは、ウチが持って行ったげる」


『少年』とその家族からアイスクリームの注文を受けたウエイトレスに、別のウエイトレスが、親切がましく、そう云った。広島の老舗デパート『福屋』の大食堂の厨房の入口付近であった。


「何ねえ、注文とったんは、ウチじゃけえ」


注文を受けたウエイトレスが、引くはずもなかった。


「じゃあ、2つずつ持って行こうやあ」

「いらんけえ。アイスクリームじゃったら、1人で持って行けるけえ」


と、ウエイトレスたちが争っている時、


「さっきも説明したように、第1次世界大戦後、多額の賠償金のせいでドイツの生活、経済は凄く苦しくなって、そこにヒットラーが出てくる素地があったし、それが、第2次世界大戦へと繋がっていったんだ。人は、苦しい状況に置かれると、極端な主張に、極端な主張をする人に導かれやすいんだ。あ、ビエールは、ヒットラーのことを、『悪いドイツの象徴みたいな人間、異常な人間だ』と云ったけど、ヒットラーは、元々はドイツ人ではなく、オーストリア人なんだ」

「え!?ヒットラーって、ドイツ人ではなかったの?」

「生れたのは、オーストリア・ハンガリー帝国だ。オーストリア・ハンガリー帝国というのは、ハプスブルク家という長くヨーロッパを支配した一族が、今のオーストリアやハンガリーなんかを統治した国なんだ。ハプスブルク家については、中学か高校で習うはずだ」

「ヒットラーは、そのオーストリア・ハンガリー帝国で生れたのに、どうしてドイツ人なの?」

「オーストリア・ハンガリー帝国というのは、実は多民族国家で、支配階級はドイツ人だったんだ」

「ああ、ヒットラーは、オーストリア・ハンガリー帝国生れだったけど、ドイツ人だったんだね」

「うーむ、そこは難しいところだ。そもそも、『ドイツ』っていう国は何なのか、ということにもなるからね。色々な捉え方があるんだが、『ドイツ』の起源は、ゲルマン民族の中のフランク人が作った『フランク王国』が分裂してできた『東フランク王国』だとも云われているんだ。『西フランク王国』が、フランスだ」

「ゲルマン民族?フランク?」





(続く)




2021年11月26日金曜日

【牛田デラシネ中学生】変態の作られ方[その59]

 


「奥様、お待たせしました」


広島の老舗デパート『福屋』の大食堂のウエイトレスが、『少年』とその家族のテーブルにやって来た。『少年』の母親が、手を挙げ、合図して来たのだ。


「あ、長居して申し訳ありませんわ。デザートをお願いしていいかしら」


『少年』の母親は、食事を終えた後も、夫と息子とが、ハンバーグに端を発し、ドイツの製品やらドイツ人について、更には、ドイツに関連して第1次世界大戦、第2次世界大戦について話し続けていることを気にしていたようであった。


「はい、もちろん!何になさいますか?」


と、ウエイトレスは、『少年』の母親にメニューを差し出した。しかし、


「アイスクリームがいい!」


『少年』の妹が、躊躇なく宣言した。デパートの食堂で食べるアイスクリームは、格別なものであることを知っていたのだ。


「じゃあ、アイスクリームを4つお願いしますわ」


『少年』の母親は、話に夢中になっている夫と息子の意思を確認することなく、家族全員分のアイスクリームを注文した。


「はい、奥様!」


と、ウエイトレスが、楽しげに尻を左右に振りながら、厨房の入口の方に帰って行った時、


「ヒットラーって、悪いドイツの象徴みたいな人間、異常な人間だったんでしょ」


と云いながら、『少年』は、眉間に嫌悪を浮かべた。


「ヒットラーが、ユダヤ人にしたことなんかは、確かに酷く、異常だ。それは間違いない。しかし、ヒットラーという人間が、ただただ異常であったかかどうかは知らない。むしろ、頭は良かったのかもしれない」


と、『少年』の父親が自らの推測を語ったのは、長く極秘扱いされていたアメリカ陸軍ヨーロッパ司令部情報部により作成された『ヒトラーのメディカル・レポート』が、公開される5年前のことであった。


「だから、ドイツ国民は、ヒットラーを支持したのだろう。支持した、というよりも、煽動された、というべきかもしれない。ユダヤ人を迫害したのも、それは決して良いことではないが、共通の敵を作ることによってドイツ国民を一つにまとめようとした策だったのかもしれない。国民は、いや、人間は、意外に簡単に騙され、煽動されるものなんだ。人は、単純化された問いには、弱いんだ。『YES』か『NO』か、どちらかと問われれば、『YES』か『NO』かのどちらかと答えるものなのさ。その『問い』そのものについて、その前提について確認せずにだ。『YES』でも『NO』でもない状態、状況もあり得ることに思いを至らせないのだ」

「そうだよね。質問によっては、答えは、『YES』と『NO』だけじゃないかもしれないし、『1』と『2』と『3』以外にも答があるかもしれないよね」

「ナチス・ドイツのような状況は、戦前の日本もそうだったかもしれないし、他の国でも、そして、今後もどこかで、同じようなことは起きるかもしれないんだ。だから、我々は、父さんもビエールも、常に気をつけていないといけないんだ」


と云いながら、虚空を凝視める『少年』の父親の眼球を見た人がいたら、予言者が手をかざす水晶球かと思ったかもしれない。





(続く)




2021年11月25日木曜日

【牛田デラシネ中学生】変態の作られ方[その58]

 


「世界大恐慌って?」


と、広島の老舗デパート『福屋』の大食堂で、『少年』は、父親から、今の『原爆ドーム』である『広島県物産陳列館』で、1919年に日本で初めてバウムクーヘンを作ったドイツ人カール・ユーハイムに関する話題に端を発し、どうしてドイツが第1世界大戦の後、また世界大戦をするようになってしまったのかの説明を聞いていたが、父親から『世界大恐慌』という言葉を聞いたのであった。


「ああ、まだ学校で習っていないよな。『世界大恐慌』は、1929年にアメリカで株が大暴落してね。ああ、株は分るな?」




「うん、株式のことでしょ」

「そうだ、その株式がアメリカで大暴落したことから始って、世界中の経済がダメになって、不況になったのを『世界大恐慌』というんだ」

「どうして、株式がアメリカで大暴落したの?」

第1世界大戦では、ヨーロッパは、戦場になったから、軍需物資とか色々な製品の製造ができなくなって、アメリカが輸出して、大儲けするんだ。戦後も、その状態が続いて、アメリカは大儲けして、アメリカ企業の価値がどんどん上って、株の値段も上っていったのさ。でも、ヨーロッパの元気が戻ってくると、そうもいかなくなって、1929年の10月24日に株が大暴落したんだ」

「で、ドイツはどうなったの?」

「ああ、アメリカはドイツにお金を投入することができなくなり、ドイツはまた苦しくなり、賠償金の支払いが滞るようなったし、それだけではなく、『世界大恐慌』、各国が自分の国を保護するようになって、ドイツはますます苦しくなったのさ。アメリカは、関税を高くして他の国から輸入品が入りにくくなるようにしたし、イギリスやフランスは、『ブロック経済」といって、自分の国と自分の植民地の間で経済的な共同体を作り、その共同体の外からの関税を高くしたりしたんだ。でも、ドイツには、第1世界大戦の後、植民地はなかったから、より掲載的に苦しくなって、そこに、ヒットラーが出てくるが素地が作られたんだな」


『少年』の父親は、小学校を卒業したばかりの子どもにはまだ難しいかもしれない歴史に加えて、更に、経済についても、少々簡略化はしたものの、滔々と説明していっていた。


その時、『少年』の母親が、厨房の入口付近にいるウエイトレスたちの方に、手を挙げ、合図した。


「あ、『ママ』さんが呼んどってじゃ」

「追加の注文かねえ?」

「そうじゃろう。ウチ行ってくるけえ」

「なんねえ、アンタばっかし。ウチが行くけえ」

「アンタら、エエ加減にせえ。ワシが行ったる」


主任の男が割って入った。


「なんねえ、主任。あの『ママ』さんのところに行きたいんじゃろう」



(続く)




2021年11月24日水曜日

【牛田デラシネ中学生】変態の作られ方[その57]

 


「ドイツって、本当にすごい国なんだね。でも…」


と、広島の老舗デパート『福屋』の大食堂で、『少年』は、今の『原爆ドーム』である『広島県物産陳列館』で、1919年に日本で初めてバウムクーヘンを作ったドイツ人捕虜であったカール・ユーハイムや他に日本人の生活に影響与えたドイツ人捕虜の話を父親から聞き、ドイツに対して畏敬の念を持ちつつも、いや、だからこその疑問を抱いたのであった。


「そんな凄い国なのに、どうしてドイツは、第1世界大戦の後、また世界大戦をするようになってしまったんだろう?」


『少年』は、少年らしくなく眉間に皺を寄せた。


「ドイツはね、第1世界大戦に負けて、多額のというか、とても払いきれないような額の賠償金を課せられたんだ

「どのくらいの賠償金だったの?」

「1320億マルクだったらしい」

「マルクって、ドイツのお金の単位でしょ。1320億マルクって、何円くらいなの?」

「そうだなあ、今だと、300兆円とか400兆円くらいかなあ」

「えええー!想像できないよ、そんなお金!」

「だろう。だから、ドイツは大変だったのさ。だけど、勝った国の中でもフランスなんかは、第1世界大戦で国がボロボロになって賠償金が必要ではあったようなんだ。でも、ドイツが賠償金をちゃんと払わないから、フランスは、ベルギーと、ドイツのルール地方を占領したんだ」

「どうして?ルール地方ってどういうところなの?」

「炭鉱がありドイツ最大の工業地帯なんだ。経済的に重要な地域だ」

「ああ、だからフランスは、ルール地方っていうところを占領したんだね。でも、占領されたドイツも大変だね」

「ああ、だから、ルール地方の労働者たちがストライキをしたりして抵抗したんだそうだが、そのせいでドイツの経済はガタガタになったんだ。でも、アメリカに助けてもらうんだ。アメリカに、お金を貸してもらったり、賠償金を減らしてもらうように調整してもらったりするんだ」




「どうして、アメリカがドイツを助けるの?」

第1世界大戦の間、アメリカは、イギリスやフランスにお金を貸していたんだ。だから、ドイツに立ち直ってもらい、賠償金をイギリスやフランスに払えるようにすれば、貸していたお金も返してもらえるからさ」

「ああ、自分の為なんだね」

「だけどだ、そこに世界大恐慌が起きるんだ」


『少年』の父親は、小学校を卒業したばかりの子どもにはまだ難しいかもしれない歴史について、少々簡略化はしたものの、滔々と説明していっていた。


『少年』の父親の説明を聞き齧り、少し前にプロレスラー『カール・アッチとかコッチとか』について話していたテーブルの男たちが、また、『少年』とその父親の会話を聞き齧り、囁き合った。


「おい、やっぱり、相撲じゃのうて、プロレスの話ししとるようじゃ」

「なんでや?」

「ルールとか、抵抗したとか云うとったんよ」

「ああ、プロレスいうんは、5カウントまで反則してエエんじゃろ。そうようなんおかしいで。プロレスは、ショーじゃろう」

「何、云いよるんならあ!反則されても、それに抵抗して、相手をやっつけんといけんのじゃけえ、大変なんよ」

「なんか太ったレフリーが反則見て見んふりするんじゃろ。やっぱり、ショーじゃ

「ああ、沖識名(オキシキナ)かあ。アイツは好かん。じゃけど、沖識名は、昔、アメリカで強いプロレスラーじゃったと聞いたことあるで。力道山にプロレスを教えたんも、沖識名なんで」

「いつもシャツ破られとる情けない奴にしか見えんけどのお」



(続く)




2021年11月23日火曜日

【牛田デラシネ中学生】変態の作られ方[その56]



ドイツが日本の同盟国だったのは、第2次世界大戦の時だよ」


と、広島の老舗デパート『福屋』の大食堂で、『少年』の父親は、今の『原爆ドーム』である『広島県物産陳列館』で、1919年に日本で初めてバウムクーヘンを作ったドイツ人カール・ユーハイムについて、どうして彼が日本で『俘虜』となったのかという『少年』の質問に答えようとしていた。


「カール・ユーハイムさんが、俘虜となって日本にいた頃の戦争は、第1世界大戦だ」


という父親の説明に、『少年』は、直ぐに反応した。


「ああ、第1世界大戦って、1914年から1918年だったね」

「その通りだ。第1世界大戦は、元々はヨーロッパで、ドイツやオーストリアなんかが、イギリス、フランス、ロシアと戦い始めたんだが、日本は、イギリスと日英同盟を結んでいたから、参戦したんだ。で、ドイツが中国の青島(チンタオ)に租借地、まあ、占領した土地だな、それを持っていたから、日本はそこを攻撃して、その租借地にいたドイツ人が日本の捕虜になったんだ。その一人が、カール・ユーハイムさんだったのさ」

「カール・ユーハイムさんは、チンタオ?そこで、バウムクーヘンを作っていたの?」

「そうらしい。青島(チンタオ)で喫茶店を経営していて、そこで、バウムクーヘンを作っていたようだ」


と、『少年』の父親は、自身のモンブランの万年筆で、紙ナプキンに、『青島』、『チンタオ』と書いた。


「変な云い方だけど、第1世界大戦のお陰で、日本にバウムクーヘンがもたらせれたんだね」

「そうだ。バウクーヘンだけではなくって、サッカーやホットドッグだって、似島のドイツ人俘虜が日本にもたらせたらしんだよ」

「ホットドッグ?」

「ああ、ホットドッグって、コッペパンを割って、中にソーセージを挟んで、ケチャップとかからしなんかをかけたもののことだよ」




「見たことあるような気がする」

「ベートーヴェンの『第九』は、似島ではないけど、徳島の鳴門にあった板東俘虜収容所のドイツ人俘虜の人たちが日本で初めて演奏したんだそうだ」


と、ドイツ人俘虜による日本人の生活への影響について、『少年』の父親が語っているのを聞き齧って、呉市から来ていた周囲の他のテーブルの家族たちが、囁き合った。


「なんか変なこと云いよるでえ」

「なんねえ?」

「コッペパンにソーセージ挟んで、ケチャップかけて食べる、云うとったんよ」

「何ねえ、それえ!?そうようなん、ないよねえ」

「のう、気持ち悪いじゃろ?」

「コッペパンは甘いのに、ソーセージ挟んでどうするん?それにケチャップなんかかけたら、ゲーするでえ」


当時(1960年代である)、広島では、少なくとも呉市では、『メロンパン』のことを『コッペパン』と呼んでいたのである。



(続く)




2021年11月22日月曜日

【牛田デラシネ中学生】変態の作られ方[その55]



カール・ユーハイムさんは、日本で最初、大阪の俘虜収容所に入れられ、その後に、広島の似島検疫所に移されたんだ」


と、広島の老舗デパート『福屋』の大食堂で、『少年』の父親は、今の『原爆ドーム』である『広島県物産陳列館』で、1919年に日本で初めてバウムクーヘンを作ったドイツ人カール・ユーハイムが、『俘虜』、つまり捕虜となって広島に来た事情を説明していた。


「似島というのは、『安芸の小富士』と呼ばれる島のことだ。広島が『安芸』の国で、富士山に似た形をしている島だからそう呼ばれるんだ。似島は、こう書くんだ」


と、『少年』の父親は、自身のモンブランの万年筆で、紙ナプキンに、『似島』と書いた。


「ふううん。富士山に似ているから『似』島という名前になったの?」

「ああ、他にも、荷物を継ぐ港があったから荷物の『荷』に『島』で『荷島』なんかの説があるようだが、ビエールの云う通り、一応、富士山に似ているから、ということになっているようだ」

「じゃあ、カール・ユーハイムさんは、どうして、大阪の俘虜収容所から広島の似島に、それも俘虜収容所ではなくの検疫所というところに移されたの?」

「大阪の俘虜収容所があった建物は、元々、伝染病の隔離施設で、丁度、その頃、コレラやペストが流行して、伝染病の隔離施設として使うことになったらしく、それで似島に移されたようなんだ。似島の検疫所は、実は、ロシアの俘虜収容所もあったらしく、そこで、ドイツ人の俘虜収容所も検疫所の中に作ったようなんだ」

「どうして、『検疫所』に、なの?そもそも『検疫所』って何なの?」

「『検疫所』というのは、海外から感染症とか害虫とかが国内に持ち込まれないよう検疫、まあ、検査だな、それをする所なんだ。で、海外と関係の深い所だから、俘虜収容所もそこに造られたんだろうと思う」

「ふううん、そうなんだ。じゃあ、どうして、ドイツ人のカール・ユーハイムさんは、日本で捕虜になったの?ドイツって、日本の同盟国じゃなかったの?」


『少年』は、もう、自分がいるのが、『福屋』の大食堂であることも忘れ、父親に食いつくように質問を重ねていった。


『少年』とその父親の会話を聞き齧り、少し前にプロレスラー『カール・アッチとかコッチとか』について話していたテーブルの男たちが、また、『少年』とその父親の会話を聞き齧り、囁き合った。


「プロレスのこと、話しとるんかあ、思うたら、相撲のこと、話しとんかのお?」

「どうしてや?」

「なんか、『安芸乃富士』とか云うとるように聞こえたで。『安芸乃富士』いうたら、相撲取りじゃろ」




「『安芸乃富士』いうような相撲取り、聞いたことないで」

「双葉山の連勝を止めたんが『安芸乃富士』じゃなかったかいのお?」

「何、云いよるんならあ。双葉山に勝ったんは、『安藝乃海』じゃけえ。『安藝乃海』は、ワシと同じ宇品出身じゃけえ、間違えんさんなや!」



(続く)



2021年11月21日日曜日

【牛田デラシネ中学生】変態の作られ方[その54]

 


『俘虜』の『虜』(りょ)という漢字は、どう意味なの?」


と、広島の老舗デパート『福屋』の大食堂で、『少年』は、父親に質問を続ける。ドイツ人俘虜であったカール・ユーハイムが、今の『原爆ドーム』である『広島県物産陳列館』で、1919年に日本で初めてバウムクーヘンを作ったという父親の説明から、『俘虜』という言葉、漢字に関する話題が展開していた。


「ああ、『虜』も『とりこ』という意味なんだ」

「『虜』って漢字は、『男』が『虎』に乗っかれているみたいだからなの?」

「なるほどなあ。そういう解釈があってもいいかもしれないが、そうではないらしいんだ。幾つかの説があるようなんだが、『虜』は、虜』の旧字でね。3つの部分からできているんだ。こうなんだ」


と、『少年』の父親は、自身のモンブランの万年筆で、紙ナプキンに、『虍』、『毌』、『力』と書いた。


『虍』が、『りょ』という音の元でもあるけど、『虎』の模様なんかを意味する漢字なんだそうだ。『虎』の体の縞模様が連なっているようなイメージかな。で、『毌』は、『田』じゃなく、『貫く』という言葉の『貫』の元となる漢字で、『貫き通した』というようなイメージの漢字らしい。そしてだ、『力』は、まさに『力』だから、この3つの部分を合せて、力づくで敵を捉えて、連なるよう、数珠つなぎにした、というイメージの漢字になっているんだ。それで、『とりこ』ということなんだ」

「凄い!漢字って、アルファベットと違って、文字の一つ一つに、しかも、その部分部分に意味があるんだね!」

「そうだ。これで分ったと思うが、『俘虜』の『俘』も『虜』も捕まえられた人というような意味で、だから、『俘虜』は『捕虜』のことなんだよ」

「じゃあ、カール・ユーハイムさんは、どうして捕虜になって日本に、それも広島にいたの?」


『少年』の疑問は、尽きることがない。


『少年』とその家族のテーブルから少し離れた他のテーブルの家族たちが、そんな『少年』とその父親の会話を聞き齧り、囁き合った。


「あの子、不良なんかのお?」

「そうよのお、なんか、お父さんが、息子さんに、『フリョウ』云うとってように聞こえたで」

「じゃろ。でも、凄い礼儀正しい子のように見えるんじゃが」

「でも、なんか、お父さんに突っかかっとるみたいで」

「不良でも、あの子、格好エエけえ、ウチ、あの子好きじゃ」

「子どもの時、不良じゃった子の方が、大物になることもあるけえね」

「あの子と付き合うて、ウチも不良になろうかねえ」




「何、云うとるんなら。お前はもう、成績『不良』じゃろうがあ」



(続く)




2021年11月20日土曜日

【牛田デラシネ中学生】変態の作られ方[その53]

 


浮くの『浮』の『つくり』って、『俘虜』の『俘』のつくりの『』という漢字に似てない?」


と、広島の老舗デパート『福屋』の大食堂で『少年』は、父親に訊いた。ドイツ人俘虜であったカール・ユーハイムが、今の『原爆ドーム』である『広島県物産陳列館』で、1919年に日本で初めてバウムクーヘンを作ったという父親の説明から、『俘虜』という言葉、漢字に関する話題が展開していたのである。


「ああ、似ている。というか、本来は、同じなんだ」


『少年』の父親は、『少年』がどんな疑問にも答える。


「『浮』という漢字は、『常用漢字』だが、『俘』は『常用漢字』じゃないんだ。『浮』のつくりの部分も、元は『』なんだが、『常用漢字』となった新字体では今の書き方になったんだそうだ。でも、『俘』は『常用漢字』じゃないから、旧字体のままになっているらしい」

「じゃあ、『浮』っていう漢字は、偏が『さんずい』だから、水の中にいる子どもを親がつかむ、助ける、という感じで、『浮く』という意味になったの?」

「おお、そうだ。実際、そういうことだともされているらしいぞ」

「え?『そういうことだとも』って?」


『少年』は、言葉尻も逃さない。


「他の解釈もあるということだ。『』は、さっきも云ったように、親鳥が雛鳥を庇護する、覆う、というイメージの文字だから、『さんずい』つまり、『水』だな、それに関連させて、水上にあるものに上から覆いかぶせる、という意味を持ったものという解釈もあるようなんだ。だから、『浮』は、川に浮かぶ死体を漢字にしたという人もいるらしいんだ」



「漢字の生い立ちって、深い意味があるんだねえ。じゃあ…」


『少年』がまだ、父親を凝視め、質問を続けていた時、『少年』とその父親の会話を聞き齧った周囲の他のテーブルの家族たちが、囁き合った。


「ええ!?今、『パパ』さん、死体、云うとってじゃった?」

「うん、なんか、そう聞こえたのお」

「『パパ』さん、刑事なんじゃろうか?」

「『特別機動捜査隊』じゃろうか?」

「うんや、刑事にしては格好エエけえ、『ザ・ガードマン』かもしれんで」


家族たちは、当時(1960年代である)、ヒットしていたテレビ・ドラマの名前を出し合った。



(続く)