「あんたら、ちーたー静かにしんさい」
と云った広島の老舗デパート『福屋』の大食堂の主任の方に、ウエイトレスたちが振り向くと、お盆にアイスクリームを4つ乗せた主任が、『少年』とその家族に向って行くところであった。
「あ、主任、ずるい!」
「それ、ウチが持って行くんじゃのにい!」
口々に、ウエイトレスたちが、不満を鳴らした時も、『少年』の父親は、ヒットラーが元々はドイツ人ではなく、オーストリア人であったことに関連して、そもそも、『ドイツ』っていう国は何であるのか、という説明を息子の続けていた。
「まあ、ゲルマン民族というのは、今のドイツの北部やデンマーク、それからノルウエーやスウェーデンなんかに住んでいて『ゲルマン語』という言葉を話していた人たちのことなんだ」
「あ、ひょっとして『ゲルマン』って、『ジャーマン』のこと?」
「おお、そうだ。知っていたのか。そうだ、英語で、ドイツのことは、『ジャーマニー』というんだ」
と、『少年』の父親は、自身のモンブランの万年筆で、紙ナプキンに、『Germany』、そして、『German』と書いた。
「英語の『ジャーマン』は、『ドイツ人』のこととか、『ドイツの』という意味だ」
「ドイツ人は、ゲルマン民族だからなんだね」
「そうだ。でな、そのゲルマン民族の中で、ライン川中流辺りに住んでいた人たちが、フランク人だ。そのフランク人が作った『フランク王国』が分裂してできた『東フランク王国』が、その後、『神聖ローマ帝国』を経て分裂して、日本の戦国時代のような状態になっていたんだが」
「え?ドイツなのに『ローマ帝国』?」
「ああ、今のハンガリーのマジャール人がローマを侵略しようとしたのを『東フランク王国』が助け、ローマ教皇から『ローマ帝国』の後継者として認められたかららしい。『東フランク王国』としても、『ローマ帝国』というヨーロッパを就寝とした広大な地域を領地としていた存在の後継と名乗れることに価値があったんだと思う」
「へええ、ローマ教皇が関係しているんだね」
『少年』の父親の説明は、小学校を卒業したばかりの子どもにはまだ早い世界史の授業ともいえるものであったが、これが、ハンカチ大学の入試も得意の世界史のみで合格したと思われる程に、『少年』が世界史に興味を持つようになった端緒の経験であったのだ。
「まあ、だけど、『神聖ローマ帝国』も、その後、ローマ教皇との権力闘争があってな、だんだん弱体化して、諸侯、つまり、『神聖ローマ帝国』国内の小さな国の領主だな、それが勢力を伸ばし始め、その中で大きな勢力を持っていたのが、プロイセンとオーストリア・ハンガリー帝国だったんだ。とまあ、一口にドイツといっても、歴史的には、どこが、というか、何がドイツなのか定義するのは難しいんだ。『ドイツ』という国名が出てくるのも、1871年にプロイセンによって作られた『ドイツ帝国』からだからね。イタリアだって、今のイタリアとして統一されたのは、1861年なんだ。だから、国とか国名、そしてどこの国の人かということを語るのは、容易ではないんだ。ドイツは、今、俗にいう『東ドイツ』と『西ドイツ』に別れているだろう」
「だから、ヒットラーがドイツ人かどうかをいうのも難しいんだね」
「そうだな。それに、ヒットラーのお父さんのお父さん、つまり、父方のおじいさんが誰なのか分っていないようで、そのせいか、ヒットラーは、実は、ユダヤ人だった、という説もなくはないようなんだ」
「え!?ヒットラーが、ユダヤ人!?」
手塚治虫が、『アドルフに告ぐ』を描くのは、それから10数年後のことであった。
(続く)
0 件のコメント:
コメントを投稿