「カール・ユーハイムさんは、日本で最初、大阪の俘虜収容所に入れられ、その後に、広島の似島検疫所に移されたんだ」
と、広島の老舗デパート『福屋』の大食堂で、『少年』の父親は、今の『原爆ドーム』である『広島県物産陳列館』で、1919年に日本で初めてバウムクーヘンを作ったドイツ人カール・ユーハイムが、『俘虜』、つまり捕虜となって広島に来た事情を説明していた。
「似島というのは、『安芸の小富士』と呼ばれる島のことだ。広島が『安芸』の国で、富士山に似た形をしている島だからそう呼ばれるんだ。似島は、こう書くんだ」
と、『少年』の父親は、自身のモンブランの万年筆で、紙ナプキンに、『似島』と書いた。
「ふううん。富士山に似ているから『似』島という名前になったの?」
「ああ、他にも、荷物を継ぐ港があったから荷物の『荷』に『島』で『荷島』なんかの説があるようだが、ビエールの云う通り、一応、富士山に似ているから、ということになっているようだ」
「じゃあ、カール・ユーハイムさんは、どうして、大阪の俘虜収容所から広島の似島に、それも俘虜収容所ではなくの検疫所というところに移されたの?」
「大阪の俘虜収容所があった建物は、元々、伝染病の隔離施設で、丁度、その頃、コレラやペストが流行して、伝染病の隔離施設として使うことになったらしく、それで似島に移されたようなんだ。似島の検疫所は、実は、ロシアの俘虜収容所もあったらしく、そこで、ドイツ人の俘虜収容所も検疫所の中に作ったようなんだ」
「どうして、『検疫所』に、なの?そもそも『検疫所』って何なの?」
「『検疫所』というのは、海外から感染症とか害虫とかが国内に持ち込まれないよう検疫、まあ、検査だな、それをする所なんだ。で、海外と関係の深い所だから、俘虜収容所もそこに造られたんだろうと思う」
「ふううん、そうなんだ。じゃあ、どうして、ドイツ人のカール・ユーハイムさんは、日本で捕虜になったの?ドイツって、日本の同盟国じゃなかったの?」
『少年』は、もう、自分がいるのが、『福屋』の大食堂であることも忘れ、父親に食いつくように質問を重ねていった。
『少年』とその父親の会話を聞き齧り、少し前にプロレスラー『カール・アッチとかコッチとか』について話していたテーブルの男たちが、また、『少年』とその父親の会話を聞き齧り、囁き合った。
「プロレスのこと、話しとるんかあ、思うたら、相撲のこと、話しとんかのお?」
「どうしてや?」
「なんか、『安芸乃富士』とか云うとるように聞こえたで。『安芸乃富士』いうたら、相撲取りじゃろ」
「『安芸乃富士』いうような相撲取り、聞いたことないで」
「双葉山の連勝を止めたんが『安芸乃富士』じゃなかったかいのお?」
「何、云いよるんならあ。双葉山に勝ったんは、『安藝乃海』じゃけえ。『安藝乃海』は、ワシと同じ宇品出身じゃけえ、間違えんさんなや!」
(続く)
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