「ドイツが日本の同盟国だったのは、第2次世界大戦の時だよ」
と、広島の老舗デパート『福屋』の大食堂で、『少年』の父親は、今の『原爆ドーム』である『広島県物産陳列館』で、1919年に日本で初めてバウムクーヘンを作ったドイツ人カール・ユーハイムについて、どうして彼が日本で『俘虜』となったのかという『少年』の質問に答えようとしていた。
「カール・ユーハイムさんが、俘虜となって日本にいた頃の戦争は、第1世界大戦だ」
という父親の説明に、『少年』は、直ぐに反応した。
「ああ、第1世界大戦って、1914年から1918年だったね」
「その通りだ。第1世界大戦は、元々はヨーロッパで、ドイツやオーストリアなんかが、イギリス、フランス、ロシアと戦い始めたんだが、日本は、イギリスと日英同盟を結んでいたから、参戦したんだ。で、ドイツが中国の青島(チンタオ)に租借地、まあ、占領した土地だな、それを持っていたから、日本はそこを攻撃して、その租借地にいたドイツ人が日本の捕虜になったんだ。その一人が、カール・ユーハイムさんだったのさ」
「カール・ユーハイムさんは、チンタオ?そこで、バウムクーヘンを作っていたの?」
「そうらしい。青島(チンタオ)で喫茶店を経営していて、そこで、バウムクーヘンを作っていたようだ」
と、『少年』の父親は、自身のモンブランの万年筆で、紙ナプキンに、『青島』、『チンタオ』と書いた。
「変な云い方だけど、第1世界大戦のお陰で、日本にバウムクーヘンがもたらせれたんだね」
「そうだ。バウクーヘンだけではなくって、サッカーやホットドッグだって、似島のドイツ人俘虜が日本にもたらせたらしんだよ」
「ホットドッグ?」
「ああ、ホットドッグって、コッペパンを割って、中にソーセージを挟んで、ケチャップとかからしなんかをかけたもののことだよ」
「見たことあるような気がする」
「ベートーヴェンの『第九』は、似島ではないけど、徳島の鳴門にあった板東俘虜収容所のドイツ人俘虜の人たちが日本で初めて演奏したんだそうだ」
と、ドイツ人俘虜による日本人の生活への影響について、『少年』の父親が語っているのを聞き齧って、呉市から来ていた周囲の他のテーブルの家族たちが、囁き合った。
「なんか変なこと云いよるでえ」
「なんねえ?」
「コッペパンにソーセージ挟んで、ケチャップかけて食べる、云うとったんよ」
「何ねえ、それえ!?そうようなん、ないよねえ」
「のう、気持ち悪いじゃろ?」
「コッペパンは甘いのに、ソーセージ挟んでどうするん?それにケチャップなんかかけたら、ゲーするでえ」
当時(1960年代である)、広島では、少なくとも呉市では、『メロンパン』のことを『コッペパン』と呼んでいたのである。
(続く)
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