「外国のやり方で国際結婚をするにはだなあ...」
と、『少年』の父親は、牛田方面に向う『青バス』(広電バス)の中で、息子に向け、国際結婚の方法論の説明を続けた。
「先ず、外国のやり方で結婚をし、その後に、日本の役所か大使館・領事館に結婚した証明書を出さないといけないんだ」
広島の老舗デパート『福屋』本店の南側出口(えびす通り玄関)を出た『少年』とその家族が、帰宅の為、えびす通りをバス停に向い、えびす通りと中央通りとの交差点の横断歩道近くまで来た時、父親は、中央通りの向こう側に聳える百貨店『天満屋広島店』を指差しながら、『天満屋』の歴史を語り出した。そして、『天満屋』の創業の時代、『文政』年間に、『シーボルト』が来日した、と説明し、更に、その『シーボルト』が、オランダ人として日本に入国したものの、実はドイツ人の医者であったこと、更には、日本の女性との間に娘をもうけたことを説明したところ、『少年』が、『シーボルト』は日本で日本の女性と結婚したんだね、と確認してきた為、当時(江戸時代)の結婚というものの説明まで始めることとなり、結婚の際に必要となった書類の説明や、それに関連した宗教、宗派のこと等を説明し、『少年』の理解を得た。しかし、『少年』は、『シーボルト』は、要するに、日本の女性とどう結婚したのか、という質問に立ち戻ってきた為、『少年』の父親は、そもそも国際結婚は今でも容易ではないことを説明していたのだ。
「外国のやり方、といっても、国によってそのやり方が違うんだよね」
『少年』は、まだ小学校を卒業したばかりで結婚にはまだ遠い年齢であったが、父親の説明を十分に理解していた。
「その通りだ。日本の役所か大使館・領事館には、結婚した証明書の他にも、自分の、つまり日本人の戸籍謄本と、相手の外国人の出生証明書と国籍証明書も出さないといけないんだ。この場合も勿論、日本語訳を付けないといけないし、誰が翻訳したかも明らかにしておかないといけないんだ。国籍証明書は、パシポートでもいいし、結婚した証明書に国籍の記載があればなくていいんだけどな」
と、『少年』の父親が、日本人の取っ手の現代での国際結婚の仕方について説明を終えた時、
「あら、お父さんって、国際結婚に随分、詳しいのねえ。国際結婚することを考えたことでもあったのかしら?」
と、『少年』の母親が、夫に向け、含みいっぱいの言葉を投げた。
「え?」
「そう云えば、義母様にお聞きしたことがあったわ。『息子は、ドイツからの留学生の女の子の面倒をよくみてあげていたのよ』って」
「へ?」
「確か、『メルセデス』っていったかしら、そのドイツからの留学生」
「う、あ...『メルセデス』は、北斎の研究に来たんだ。それだけだ」
「『それだけ』って?」
良妻賢母を絵にしたといっても過言ではない『少年』の母親が、その時は、『女』の表情を見せていた。
「要するに、今でも国際結婚は難しいのに、まだ外国の法律事情もよく分っていなかった『シーボルト』の時代に、国際結婚は、もっともっと難しかった、ということなんでしょ?」
という『少年』の言葉に、『少年』の父親は、妻の質問、というか疑念、疑惑に向かわず、息子の方に顔を向けた時、普段は仲のいい父親と母親との間に、珍しく微かな冷風が流れたことを感じ、戸惑いの表情を浮かべた『少年』の妹に向けて、
「君は、『陽子』なのか『洋子』なのか?」
バスの中の他の誰にも聞き取れない程度の小さな声が、再び、呟いた。
(続く)