2021年12月23日木曜日

【牛田デラシネ中学生】変態の作られ方[その86]

 


「『檀家』は、浄土真宗では『門徒』と呼ぶし、浄土宗では『信徒』と呼ぶんだが…」


と、『少年』の父親は、取り出して開いたままであった手帳に、自身のモンブランの万年筆で、今度は、『門徒』、『信徒』と書いた。広島の老舗デパート『福屋』本店の南側出口(えびす通り玄関)を出た『少年』とその家族が、帰宅の為、えびす通りをバス停に向い、えびす通りと中央通りとの交差点の横断歩道近くまで来た時、父親は、中央通りの向こう側に聳える百貨店『天満屋広島店』を指差しながら、『天満屋』の歴史を語り出した。そして、『天満屋』の創業の時代、『文政』年間に、『シーボルト』が来日した、と説明し、更に、その『シーボルト』が、オランダ人として日本に入国したものの、実はドイツ人の医者であったこと、更には、日本の女性との間に娘をもうけたことを説明したところ、『少年』が、『シーボルト』は日本で日本の女性と結婚したんだね、と確認してきた為、当時(江戸時代)の結婚というものの説明まで始めることとなり、結婚の際に必要となった書類の説明に関連して、宗教、宗派のことまで語り出していた。


「ウチは、日蓮宗だから、『檀家』という云い方をするが、広島は、『安芸門徒』という云い方がある程、浄土真宗の家が多いんだ。広島は、今日、話したように『安芸(藝)の国』だからな

「浄土真宗では、どうして、『檀家』と云わず『門徒』と云うの?」


『少年』は、抱いた疑問をそのままとしない。


「うーむ、なかなかいい質問というか、難しい質問だなあ。浄土真宗では、どうして、『檀家』ではなく『門徒』なのかを理解するには、先ず、『檀家』というものを理解しないといけなんだ」

「『檀家』って、どこかのお寺の信者ってことなんじゃないの?」

「まあ、その通りなんだが」

「まあ?」

「間違いではないし、その通りといえば、その通りなんだが、ただそのお寺に属しているというよりも、その寺に『お布施』なんかを渡して経済的に支援する人、家のことをいうんだ。あ、『お布施』って、どうしてこう書くかというと」


と、『少年』の父親は、取り出して開いたままであった手帳に、自身のモンブランの万年筆で、今度は、『お布施』と書いた


「お坊さんって、袈裟っていう布みたいなものを着ているだろう」

「ああ、あれね」




『お布施』は、元々は、その袈裟の布をお坊さんに差し上げる、という意味だったんだ。それが、布だけではなく、お金を渡すようになったのさ。要は、『檀家』って、お寺にお金を渡す信徒、そして、その家のことなんだ。それが、『檀家』という言葉に込められているんだ。『ダンナ』という言葉知っているだろ?」


と、『少年』の父親が、『少年」が予期せぬ質問をしてきた時、えびす通りと中央通りとの交差点の横断歩道の反対側(『天満屋』側)では、信号待ちする『ノートルダム清心』の制服を着た高校生らしき少女が、


「お父ちゃんとお母ちゃんって、『三ばか大将』じゃのうて、『二ばか大将』じゃね」


と云って、両親に向けて、呆れたという表情を向けた。


「お母ちゃんは、女じゃし、『三ばか大将』じゃないけど、そうよねえ、お父ちゃんは、『三ばか大将』のハゲあがっとるあの男みたいじゃ」


と、母親が、娘に部分的に同調した。『三ばか大将』は、1960年代に放映されたアメリカのコメディ番組であった。


「ほうじゃ、『お茶の水博士』みたいじゃ、お父ちゃんは」



(続く)




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