「ん?『象徴』?『象徴』って何だ?」
広島の老舗デパート『福屋』の大食堂で、『少年』の父親は、質問をしてきた息子に射るような視線を送った。ドイツ人のカール・ユーハイムが日本で初めてバウムクーヘンを作ったのは、1919年の、今の『原爆ドーム』である『広島県物産陳列館』であったという説明から、ドイツの総統であったヒットラーは、実は、元々はオーストリア人であったという説明を行い、更に、ドイツ人とは何なのか、日本人とは何なのか、という命題となり、天皇家だって、朝鮮の血が入っているとも云われているという説明をしたところ、『少年』の父親は、息子から、天皇は『日本』の『象徴』ではないか、と訊かれたのだ。
「まあ、今はそれはいい。天皇の母親に、朝鮮半島にあった百済という国の出身がいたらしいんだが、それに限らず、また、天皇家に拘らず、『和人』が中国や朝鮮から渡ってきた人たちやその子孫だとすると、誰だって、朝鮮の血や中国の血、それ以外の地域の人たちの血が入っていておかしくはない、と思う」
「ボクだって、そうなんだね」
と、『少年』は、自らの手の甲に浮く血管を凝視めた。
「アイヌの他にも、沖縄や奄美に住んでいた琉球の人たちの方が、『和人』以前に『日本』にいた、とも云われている。でも、アイヌの人たちよりももっと前に、『日本』には縄文人がいたんだ」
「縄文人って、縄文時代の人たちのことだね」
「縄文時代以前にも、石器時代とか、日本はあっただろうし、そこの住む人もいただろう。でも、縄文時代以降のことを考えても、そこから色々な血が混じり合って、今の自分たちはあるはずだと思う」
「『和人』の血も、アイヌの血も、縄文人の血も入っているかもしれないんだね」
「こう考えていくと、もう、『日本人』ってなんだろうと思う。今の自分たちは、『日本』という国にいて、その国籍も持っているから、『日本人』であることは間違いはないが、元々は、そう原始人の時代には、『日本』なんて国はなかったはずだ」
「原始人の時代に、『国』なんてなかっだろうね」
「じゃあ、自分が『日本』という『国』の人間であるとか、自分が『日本人』であるというのは、自分たちが勝手にそう云っているだけ、そう思っているだけではないかと思う。昔から、そして今でも、世界で色々な国が、領土を巡って争っている。夫々が、そこは元々、自分たちの土地だとか云ってね。でも、原始、地球の土地は、どこの国のものでも、誰のものでもなかったはずだ」
「じゃあ、ボクは何人なんだろう?」
と、『少年』が、自分の前に置かれた、ステンレスの足付きカップに入った溶けかけのアイスクリームに視線を送りながらも、それを見てはいなかったその様子を、厨房の入口付近にいたウエイトレスたちが凝視めていた。
「あの子、アイスクリーム食べんのじゃろうか?」
「溶けてきとるけえ、新しいの持って行ってあぎょうか?」
「そうしてあげたいけど、新しいの注文されとらんけえね」「『パパ』さんのも溶けかけとる。どしたんじゃろうか?」
「ウチが代金払うけえ、新しいの持ってったげるけえ」
「ワシは、『ママ』さんとお嬢さんに新しいのをも持ってったげようかのお」
丁度、その年(1967年である)から売れ始めることになるコント55号の萩本欽一のようなタレ目となった主任も口を挟んできた。
(続く)
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