「オ・カ・ヤ・マ?」
と、『少年』は、父親に、語を一つ一つ区切りながら、質問した。広島の老舗デパート『福屋』本店の南側出口(えびす通り玄関)を出た『少年』とその家族が、帰宅の為、えびす通りをバス停に向い、えびす通りと中央通りとの交差点の横断歩道近くまで来た時であった。
「そうだ。岡山だ」
父親は、躊躇なく答えた。
「岡山って、広島県の隣の?」
聡明な『少年』も、『岡山』については、そうとしか云えなかった。『岡山』に対するイメージを殆ど全くといっていい程、持ち合せていなかったのだ。『岡山県』の存在は勿論、知っており、その位置も知っていたが、それ以上のことは何も知らなかった。
「『天満屋』は、岡山の百貨店だ」
『少年』の父親は、眼の前の大きな道路(中央通り)の反対側に聳える『天満屋広島店』について、再度、『少年』が想像だにしなかった言葉を口にした。
「岡山の老舗百貨店なんだ。『福屋』も、1929年、つまり、昭和4年の創業した歴史ある百貨店だが、『天満屋』が百貨店になったのは、それより早い1925年、大正14年なんだ」
「『天満屋』が百貨店になったのは、って?」
『少年』は、父親が説明に含みを残したところを逃さない。
「『天満屋』の始まりは、1829年、文政12年創業の『天満屋小間物店』なんだそうだ」
「『ブンセイ』?」
「そうだ。江戸時代だ。『文政』年間には、『勝海舟』や『西郷隆盛』が生まれた時代だ」
「え!『勝海舟』や『西郷隆盛』が!」
「それに、『大久保利通』や、『加山雄三』の先祖の『岩倉具視』が生まれた時代だ」
「『加山雄三』の先祖?」
『少年』は、その日、それもほんの少し前に、『福屋』の大食堂で、ウエイトレスたちが、『少年』について、『君といつまでも』を歌ってもらいたいとか、『ボクは君といる時が一番幸せなんだ』と云いながら、鼻こすってもらいたい、と云いあっていたことも知らず、『加山雄三』の名を口にした。
「『加山雄三』は、『岩倉具視』のひ孫だそうだ。その他にも、『文政』年間には、『シーボルト』も来日したんだぞ」
と、立ち止まったまま、『少年』の父親が、またもや歴史を語り始めていた時、
「ええー!『トニー谷』?」
えびす通りと中央通りとの交差点の横断歩道の反対側(『天満屋』側)で信号待ちする『ノートルダム清心』の制服を着た高校生らしき少女が、横に立つ父親に、抗議の色を込めた言葉を返した。少女が、横断歩道の反対側で、中央通りの方向に向ってくる『少年』を見て、『トニー』と口にすると、父親が、
「はあん?『トニー』?『トニー谷』がどこにおるんじゃ?」
と、少女にとっては、トンデモナイというか、失礼千万としか思えないことを云ってきたのだ。
「『イヤミ』の『トニー谷』なんか、おらんよね」
と、少女は、口を尖らせた。赤塚不二夫の漫画『おそ松くん』の『シェー』という有名なジェスチャーをする『イヤミ』は、『トニー谷』に似ていた。いや、『トニー谷』は、『イヤミ』のモデルだったのだ。
(続く)
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