「『ダッチ』(Dutch)というのは、『ドイツ語』とか『ドイツの』という意味のオランダ語『Duits』(ダウチ)やドイツ語『Deutsch』と語源が同じで」
と、『少年』の父親は、また手帳を取り出して開き、そこに、自身のモンブランの万年筆で、『Dutch』、『Duits』、『Deutsch』と書いた。広島の老舗デパート『福屋』本店の南側出口(えびす通り玄関)を出た『少年』とその家族が、帰宅の為、えびす通りをバス停に向い、えびす通りと中央通りとの交差点の横断歩道近くまで来た時、父親は、中央通りの向こう側に聳える百貨店『天満屋広島店』を指差しながら、『天満屋』の歴史を語り出した。そして、『天満屋』の創業の時代、『文政』年間に、『シーボルト』が来日した、と説明し、更に、その『シーボルト』が、ドイツ人の医者ながらも、オランダ人として、日本に入国したことを説明したところ、『少年』は、『シーボルト』がオランダ語はできたのか、という疑問を抱き、『少年』の父親は、『シーボルト』は、オランダ語ができたといえばできたようだ、と説明し、オランダとドイツとの関係を説明しようとしていた。
「オランダは、神聖ローマ帝国、つまりドイツだな、その一部だった時期もあるから、イギリスから見たら、オランダもドイツもなく、その辺りにいる民族は、『ダッチ』(Dutch)だったんだろう」
と、『少年』の父親は、冷静に説明をしたが、
「オランダからしたら、失礼な話だよね。自分たちのことをイギリスから勝手に、『ダッチ』(Dutch)って、ドイツみたいなことを云われて」
聡明とはいえ、まだウブであった『少年』は、義憤にかられ、鼻腔を拡げた。
「というビエールの『オランダ』という云い方も失礼かもしれないんだぞ」
「え!?......」
非難の矛先が、まさか自分に向いてくるとは思ってもいなかった『少年』は、そこで絶句した。
「『オランダ』の正式な国名は、『オランダ』ではないんだ。正しくは、『ネーデルランド』、いや、オランダ語では、『ネーデルラント』なんだ。まあ、『オランダ』自身が、『オランダ』という呼び方も使ってはいるんだがな」
「あ、『ネーデルランド』って聞いたことがあるような気がする」
「『オランダ』という名前は、『オランダ』、いや、『ネーデルラント』の12の州の中の、『北ホラント州』と『南ホラント州』とを示しているだけなんだ」
「どうして、一部の州の名前が、国の名前みたいに使われるようになったの?」
「『北ホラント州』と『南ホラント州』のは、首都のアムステルダムやロッテルダムとかハーグといった『ネーデルラント』の中心的な都市があったからのようだ」
「じゃあ、今度から、『オランダ』とは呼ばず、『ネーデルラント』と呼ぶようにするね。でも、『ネーデルラント』って、どういう意味なの?」
『少年』はその時、50年余り後に(2020年に)、国名の通称としての『オランダ』(Holland:ホラント)の使用を禁止することになると予知していた訳では勿論ない。
「おお、それもいい質問だな」
『少年』の父親は、またまた、今なら(2021年の今なら)、『池上彰』風とも云える言葉を発したその時、えびす通りと中央通りとの交差点の横断歩道の反対側(『天満屋』側)では、信号待ちする『ノートルダム清心』の制服を着た高校生らしき少女の隣で、
「地下鉄の通気口よお。ふふんっ」
と云った少女の父親の口の左端からも、涎が流れたかのように見えた。
「『七年目の浮…」
とまで口にしたとき、それまで黙っていた少女の母親が、
「アンタあ、何云いよるん!」
と、語気強く夫を叱責した。
(続く)
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