2021年12月13日月曜日

【牛田デラシネ中学生】変態の作られ方[その76]

 


日本は江戸時代に『鎖国』はしていなかったけど、ドイツとの交流はなかったんでしょ?」


と、『少年』は、残る疑問を父親に呈した。広島の老舗デパート『福屋』本店の南側出口(えびす通り玄関)を出た『少年』とその家族が、帰宅の為、えびす通りをバス停に向い、えびす通りと中央通りとの交差点の横断歩道近くまで来た時、父親は、中央通りの向こう側に聳える百貨店『天満屋広島店』を指差しながら、『天満屋』の歴史を語り出した。そして、『天満屋』の創業の時代、『文政』年間に、『シーボルト』が来日した、と説明し、更に、その『シーボルト』のことをオランダ人と思う息子の理解を否定し、『シーボルト』がドイツ人であったと明かしたところ、『少年』は、当時(江戸時代)、日本は『鎖国』していて、オランダ人しか日本に来ることはできなかったはずだ、と抗議したものの、父親は、今度は、その『鎖国』そのものを否定し、『少年』は、そのことは理解したのではあったが。


「なのに、どうしてドイツ人の『シーボルト』が日本に来れたの?」


と、『少年』は、問題の本質を見誤らない。


「シーボルトは、ドイツで医学を学び、町医者になるんだが、貴族階級だったから、町医者で終りたくはなく、自分の先生たちの影響で植物学に興味を持ち、世界の珍しい植物の採集、特に、まだ知らぬ土地の植物の採集をしたい気持ちを持つようになり、そこから東洋の研究を志すようになったらしい。当時、世界に出て行っているのは、オランダだったから、オランダ国王の侍医を友人に持つ伯父さんの伝手で、オランダ領東インド陸軍勤務の外科軍医少佐になったんだ。で、そこから、『シーボルト』の日本に来る道が開けたのさ」

「『シーボルト』が、世界進出していたオランダの軍のお医者さんになったのは分ったけど、どうして、日本に来れたの?」

「オランダは、日本との関係を深める為、西洋医学を日本の伝える意義を感じていたようで、『シーボルト』が抜擢されたんだ。当時、医学が一番進んでいたのは、ドイツだったからな。『解体新書』って聞いたことがあるか?」

「ああ、『なんとかアナトミア』だったんじゃないかな?」

「そうだ。『解体新書』は、前野良沢と杉田玄白が書いた解剖学の翻訳書で、元の本は、オランダ語で書かれた『ターヘル・アナトミア』だ。だは、これが実は、ドイツ人の医者が書いた本のオランダ語訳の本なんだ」




「え?!そうなの。ということは、ドイツ語の本のオランダ語訳の日本語訳、ということなんだね」

「つまり、多分だが、『シーボルト』が日本に送られたのは、医学の進んだドイツの医者だったということがあるんじゃないかと思う。それにだ。当時のヨーロッパでは、世界の珍しい植物を欲しがる人たちがいて、植民地の植物研究も盛んだったそうだから、その意味でも植物学に詳しい『シーボルト』を日本に送り込むことは適していたのかもしれないなあ」

「でもお…」


と、『少年』が未だ疑問が解消されない様子を見せた時、


「『トニー・カーチス』よね」


えびす通りと中央通りとの交差点の横断歩道の反対側(『天満屋』側)で信号待ちする『ノートルダム清心』の制服を着た高校生らしき少女が、父親に対して、やや面倒臭そうに云った。


「はああ?『トニー・カーチス』?ああ、『お熱いのがお好き』じゃの」


と、少女の父親は、『トニー・カーチス』が出演した映画の名前を口にし、


「じゃけど、マリリン・モンローじゃったら、あっちの方がええのお。うふっ」


一人、含み笑いを漏らした。



(続く)




0 件のコメント:

コメントを投稿