「もう、あなた達ったら!もう、行くわよ」
『少年』の母親は、『もみじ饅頭』について話し込む夫と息子にそう云い放つと、席を立ち、広島の老舗デパート『福屋』の大食堂の出口へと向った。
「パパ、お兄ちゃん、行っちゃうよ」
と、『少年』の妹も母親を追い、『少年』と父親も、ようやく席を立った。
「『もみじ』って、『♪あ~きのゆうひに』でしょ?」
母親が会計をしている間も、『少年』は父親に、歌混じりで質問を続けた。
「ああ、『もみじ』は、『春の小川』とか『春がきた』や『朧月夜』、『故郷(ふるさと)』なんかも作った作詞家と作曲家の歌だったと思う。確か、高野辰之さんと岡野貞一さんじゃなかったかな」
「『もみじ』だと、『♪ま~つを色ど~る』のは、『♪か~え~で』や『♪つた』になってるから、『もみじ』って、『もみじ』っていう木はなくって、『紅葉』(こうよう)のことじゃないの?」
「ああ、そのことか。『もみじ』という言葉は、2つのものを意味しているんだ。一つは、ビエールの云う通り、葉っぱが黄色や赤に『紅葉』(こうよう)することで、そう、『紅葉』と書いて、『もみじ』とも読むんだ。でも、大昔は、そうだなあ、万葉集の頃かなあ、『紅葉』(こうよう)の意味の『もみじ』は、『紅葉』とは書かず『黄葉』と書いていたようなんだ。正確には、『もみち』とか『もみちば』と呼んでいたらしいけどな」
『少年』の父親は、手帳を取り出して開き、そこに、自身のモンブランの万年筆で、『紅葉』、そして、『黄葉』と書いて、説明した。
「黄色い葉の『黄葉』(こうよう)って、葉っぱが黄色くなることなんじゃないんだね」
「今は、そんな風にも云われているけど、元々は、そうではなかったんだと思う。それにな、紅い(あかい)葉っぱの『紅葉』(こうよう)も、今は、葉っぱが赤くなることをいうとされる場合もあるようだが、紅い(あかい)葉っぱの『紅葉』(こうよう)には、赤くなることや黄色になること、茶色になることなんかも全部、含めているんだ。但し、『もみじ』は、元々は、『もみづ』とか『もみづる』という言葉から来ていて、紅(べに)をとるのに紅花を揉むことを意味していたようだともされているようなんだけど」
「言葉って、色々な解釈があり、色々に変ってくるんだね」
「で、『もみじ』が意味するもう一つのものが、『木』なんだよ。『楓』の木のことだ。『楓』の葉が特に、見事に赤くなるから、紅い(あかい)葉っぱの『紅葉』と書いて『もみじ』とも呼ばれるようになったらしい。つまり、『紅葉』(もみじ)って、『楓』のことなんだ。正確には、というか、植物学的には、ビエールの云う通り、『紅葉』(もみじ)という木はなく、『紅葉』(もみじ)とよされる木は、実は『楓』のことなんだ」
「じゃあ、『♪あ~きのゆうひに』の『もみじ』は、『紅葉』(もみじ)という木のことではなくって、『紅葉』(こうよう)のことで、だから、『紅葉』(こうよう)する『♪か~え~で』や『♪つた』って、出てくるんだね。でも、『もみじ饅頭』の『もみじ』は、『楓』のことなんだね。」
「その『楓』は、『カエルの手』が語源になっているようで、実際、『楓』って、手のような形だろう。でも、実は、『楓』に色々なものがあって、その中でも葉っぱの切り込みが5つかもう少しあって、それもいい具合に切れ込んで、手のような形になっているものを『もみじ』と呼ぶ場合もあるようだ」
と、大食堂の出口の会計前でも、『少年』と父親とが、『もみじ』談義を続けているのを、ウエイトレスたちが聞いていた。
「ジェームズ・ボンドいうたら、ええ声しとってじゃあ!」「『もみじ』歌っとってじゃったね」
「西郷輝彦みたいに歌手になったええのに」
「『♪好きなん~だ~けどお』じゃね」
「『君といつまでも』を歌うてもらいたいわあ」
「ジェームズ・ボンドが、『ボクは君といる時が一番幸せなんだ』云うて、鼻こすったら、ウチ、お漏らししてしまうけえ!」
(続く)
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