2021年12月21日火曜日

【牛田デラシネ中学生】変態の作られ方[その84]



「『庄屋』という言葉は、『荘園(庄園)』から来ているらしい」


と、『少年』の父親は、取り出して開いたままであった手帳に、自身のモンブランの万年筆で、『荘園(庄園)』と書いた。広島の老舗デパート『福屋』本店の南側出口(えびす通り玄関)を出た『少年』とその家族が、帰宅の為、えびす通りをバス停に向い、えびす通りと中央通りとの交差点の横断歩道近くまで来た時、父親は、中央通りの向こう側に聳える百貨店『天満屋広島店』を指差しながら、『天満屋』の歴史を語り出した。そして、『天満屋』の創業の時代、『文政』年間に、『シーボルト』が来日した、と説明し、更に、その『シーボルト』が、オランダ人として日本に入国したものの、実はドイツ人の医者であったこと、更には、日本の女性との間に娘をもうけたことを説明したところ、『少年』が、『シーボルト』は日本で日本の女性と結婚したんだね、と確認してきた為、当時(江戸時代)の結婚というものの説明まで始めることとなり、そこに『庄屋』なる存在も出てきたのであった。


「『荘園(庄園)』って聞いたことあるだろ?」


という『少年』の父親の質問に、『少年」は直ぐに答えた。


「奈良時代とか平安時代の土地のことだったと思う」


『少年』は、社会科で『荘園』のことは習っていた。


「まあ、だいたいそんなもんだな。農地とか 農村の地域だったり、その所有を認める制度のことだな。『庄屋』は、その『荘園(庄園)』の屋敷ということからできた言葉らしい。『名主』は、やはり奈良時代とか平安時代に土地の所有者というか経営する人が自分の名前をつけた『名田』(みょうでん)というものがあり、それが荘園の基本的な単位となって、その『名田』を経営する人のことを『名主』(なぬし)と書いて『名主』(みょうしゅ)と呼ぶようになったんだそうだ。それが、後に、『庄屋』と同じ意味、立場の人を指すようになったようなんだ」


と、『神聖ローマ帝国』のこと等、世界史に詳しい『少年』の父親が、今度は、日本史の解説をする。




「『肝煎り』は、肝を煎る、つまり、心を焦がすとか、物凄く神経を使う、という言葉から来ていて、世話役、という意味で、これも、つまり『庄屋』と同じ意味、立場の人のことをいうのさ。今でも、『誰々の肝入り』で、という云い方をするが、それは、誰々が特に熱心に取り組む、なんて意味だ」

「で、その『庄屋』が、『所請状之事』を作ったんだね。でも、『所請状之事』ってどんな書類なの?」


と、『少年』が、父親の話す内容が派生的に、そして更に派生的にと、展開していく中で、元のテーマを忘れず、質問をした時、えびす通りと中央通りとの交差点の横断歩道の反対側(『天満屋』側)では、信号待ちする『ノートルダム清心』の制服を着た高校生らしき少女のその母親が、


「ああ、『星由里子』のことなんねえ」


と、夫に向け、呆れた云い方をした。夫が、『すみちゃん 』と云ったのは、映画『若大将』シリーズのマドンナ役で、すき焼き屋『田能久』の娘を演じる女優のことと理解したのだ。


「まあ、『星由里子』は綺麗じゃけどねえ。ウチの次くらいに」


と、ちょっと下顎を突き出すような惚けた仕草をしてみせた。


「はああ~ん?お前、何、寝ぼけとるんならあ」


と、今度は、夫の方が、妻に向け、呆れた云い方をした。



(続く)




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