2022年1月31日月曜日

【牛田デラシネ中学生】変態の作られ方[その125]

 


「『シーボルト』が、『伊能忠敬』が作ったこの地図を持っていたことが、どうして分ったの?」


と、『少年』は、『シーボルト』が、『伊能忠敬』とが同時代の人間だったことにある種の感動を思えながらも、コトの本質を見失わず、父親に『シーボルト』が国外追放になった切っ掛けについて質問した。牛田方面に向う『青バス』(広電バス)の中であった。


「『シーボルト台風』だよ」


と、『少年』の父親は、『少年』が全く予期していなかった『台風』という言葉を口にした。広島の老舗デパート『福屋』本店の南側出口(えびす通り玄関)を出た『少年』とその家族が、帰宅の為、えびす通りをバス停に向い、えびす通りと中央通りとの交差点の横断歩道近くまで来た時、父親は、中央通りの向こう側に聳える百貨店『天満屋広島店』を指差しながら、『天満屋』の歴史を語り出した。そして、『天満屋』の創業の時代、『文政』年間に、『シーボルト』が来日した、と説明し、更に、その『シーボルト』が、オランダ人として日本に入国したものの、実はドイツ人の医者であったこと、更には、日本の女性との間に娘をもうけたことを説明したところ、『少年』が、『シーボルト』は日本で日本の女性と結婚したんだね、と確認してきた為、当時(江戸時代)の結婚というものの説明まで始めることとなり、結婚の際に必要となった書類の説明や、それに関連した宗教、宗派のこと等を説明し、更に、国際結婚が認められるようになった歴史や、それに関連して『ナポレオン法典』やその翻訳にあたった人物等についても説明していくにつれて、話のテーマは、『結婚とは何か?』という根元的なものへと展開し、『通い婚』時代の儀式や、そこから天皇制と一般人民の歴史といった思い掛けない方向へと行ったが、ようやく『シーボルト』と日本の女性との『結婚』に話が戻り、更に、『シーボルト』とその日本の女性との間にできた娘『イネ』が日本初の女医であったことを紹介した。しかし、その『イネ』が医学を学んだのは、父親の『シーボルト』ではなく、『シーボルト』の弟子の『二宮敬作』であり、そうなったのは、『シーボルト』が『イネ』の2歳の時に国外追放となった為であることを説明し、国外追放となった経緯の説明となっていた。


「ええ?台風って、あの台風?雨風が強い…?『シーボルト』の台風って、『シーボルト』が台風のように暴れたんじゃないよね?」

「ああ、勿論、『シーボルト』が台風のように暴れたんじゃないさ。1828年(文政11年)に発生した台風で、元々は、『子年の大風』(ねのとしのおおかぜ)とか『文政の大風』(ぶんせいのおおかぜ)と呼ばれていた台風だ」


と、『少年』の父親は、取り出したままにしていた手帳に、自身のモンブランの万年筆で、『子年の大風』、『文政の大風』と書いた。


文政11年は、干支の『子』の年だったんだ」

「その『大風』と『シーボルト』にどんな関係があったの?文政の大風』で、『シーボルト』の家が壊れて、『伊能忠敬』の『大日本沿海輿地全図』(だいにほんえんかいよちぜんず)が見つかっちゃたの?」

「ではないんだが、そんな感じではあるんだ。『シーボルト』が帰国する際に、一足先に出た船が、その台風で座礁して、修理の際に、船荷が調べられて、大日本沿海輿地全図』なんかを持ち出すことがバレたようなんだ。で、最近なんだが、気象学者の『根本順吉』という人が、『シーボルト台風』を名付けたんだよ」


『少年』の父親が、『最近』と云ったのは、1961年のことであった。『根本順吉』が、1961年に書いた論文で、『子年の大風』で『シーボルト』が国外追放となった、俗に『シーボルト事件』という事件が起きたことに因んで、『シーボルト台風』と名付けたのであった。しかし、後年、『子年の大風』でオランダ船が座礁したものの、『大日本沿海輿地全図』等が発見された事実はなく、『シーボルト』が『大日本沿海輿地全図』等を持っていることが発覚したのは、間宮林蔵』が、『シーボルト』からの贈り物の小包を勘定奉行に届け出たことが切っ掛けだった、とされるようになるとは、さすがの聡明な『少年』の父親も、その時点で(1967年)、予知することはできず、『少年』も、『シーボルト事件』の発生原因を『シーボルト台風』と理解したのであった。




「へええ、そうなんだね。『シーボルト台風』のせいで、『シーボルト』は国外追放になり、その時、まだ2歳だった娘の『イネ』は、父親から医学を習うことができなくって、父親の弟子の『二宮敬作』に医学を教えてもらって、日本初の女医さんになったんだね」

「そこで、大事なのが、この『シーボルト台風』が発生したのが、1828年(文政11年)だったということなんだ」


と、『少年』の父親が、意味ありげな物言いを始めた時、


「う、うわあ…」


バスの中の他の誰にも聞き取れない程度の小さな声が、それまでの呟きではなく、呻き声のようなものをあげた。彼の体内で泡立ち始めたサディスティックでもありマゾヒスティックでもあるような感情が、体内に収まり切らず、口から溢れ出てきたようであったのだ。どうやら、広島の進学校である広島県立広島皆実高校の出身で、『ハンカチ大学』の商学部に在籍しているようである呟きの主は、その時、同じ『青バス』(広電バス)に乗り合わせた美少女、前年(1966年)にテレビ・ドラマ化もされた三浦綾子・原作の『氷点』のヒロインの少女『陽子』を演じる『内藤洋子』に似た美少女を『源氏物語』の『若紫』と見立て、『光源氏』のように、『新手枕』の翌朝に、彼女から恨まれたいというサディスティックでもありマゾヒスティックでもあるような感情を抱いたが、それは単なる感情ではなく、彼の肉体にある『変化』をもたらしたようなのであった。


(続く)




2022年1月30日日曜日

【牛田デラシネ中学生】変態の作られ方[その124]



「いや、『イネ』が医学を学んだのは、『シーボルト』からではないんだ」


と、『少年』の父親は、『少年』にとって意外な事実を口にした。牛田方面に向う『青バス』(広電バス)の中であった。


「『イネ』が医学を学んだのは、『シーボルト』の弟子の『二宮敬作』という人だ」


と、『少年』の父親に云われても、『少年』は、顔に『解せぬ』という表情を明らかにした。広島の老舗デパート『福屋』本店の南側出口(えびす通り玄関)を出た『少年』とその家族が、帰宅の為、えびす通りをバス停に向い、えびす通りと中央通りとの交差点の横断歩道近くまで来た時、父親は、中央通りの向こう側に聳える百貨店『天満屋広島店』を指差しながら、『天満屋』の歴史を語り出した。そして、『天満屋』の創業の時代、『文政』年間に、『シーボルト』が来日した、と説明し、更に、その『シーボルト』が、オランダ人として日本に入国したものの、実はドイツ人の医者であったこと、更には、日本の女性との間に娘をもうけたことを説明したところ、『少年』が、『シーボルト』は日本で日本の女性と結婚したんだね、と確認してきた為、当時(江戸時代)の結婚というものの説明まで始めることとなり、結婚の際に必要となった書類の説明や、それに関連した宗教、宗派のこと等を説明し、更に、国際結婚が認められるようになった歴史や、それに関連して『ナポレオン法典』やその翻訳にあたった人物等についても説明していくにつれて、話のテーマは、『結婚とは何か?』という根元的なものへと展開し、『通い婚』時代の儀式や、そこから天皇制と一般人民の歴史といった思い掛けない方向へと行ったが、ようやく『シーボルト』と日本の女性との『結婚』に話が戻り、更に、『シーボルト』とその日本の女性との間にできた娘『イネ』が日本初の女医であったことを紹介した。しかし、『少年』は、その『イネ』が医学を学んだのは、父親の『シーボルト』ではないという父親の説明に、訝しい気持ちを隠せなかった。


「どうして、『イネ』さんは、お父さんの『シーボルト』に医学を教えてもらわなかったの?」

「『シーボルト』は、『イネ』が2歳の時に、日本を離れたからだ」

「え、そうなの」

「より正しく云うと、『シーボルト』は、『イネ』が2歳の時に、日本から国外追放になったんだ」

「ええ!国外追放って、日本から追い出された、ということでしょ。何か悪いことをしたの?」

「うーん……まあ、そういうことになるんだろうな。日本から持ち出すことが禁じられていて日本の地図なんかを持ち出そうとしたんだ。『伊能忠敬』が作った『大日本沿海輿地全図』(だいにほんえんかいよちぜんず)だ」


と、『少年』の父親は、取り出したままにしていた手帳に、自身のモンブランの万年筆で、『大日本沿海輿地全図』と書いた。


「『シーボルト』の日本での任務が終り、程なく帰国する直前に、『伊能忠敬』が8年前に作ったこの地図を持っていたことが発覚したんだ」

「『伊能忠敬』って、歩いて測量をして正確な日本地図を作ったという人でしょ!?」




「そうだよ」

「『伊能忠敬』と『シーボルト』って、同じ時代の人だったんだね!でも…」


と、『少年』が感動を覚えながらも、何かを云いたげにした時、


「おお、『洋子ちゃん』に恨まれてみたい…えっ…」


バスの中の他の誰にも聞き取れない程度の小さな声が、呟きを続けていた。どうやら、広島の進学校である広島県立広島皆実高校の出身で、『ハンカチ大学』の商学部に在籍しているようである呟きの主は、その時、同じ『青バス』(広電バス)に乗り合わせた美少女、前年(1966年)にテレビ・ドラマ化もされた三浦綾子・原作の『氷点』のヒロインの少女『陽子』を演じる『内藤洋子』に似た美少女を『源氏物語』の『若紫』と見立て、『新手枕』の翌朝に、彼女から恨まれた『光源氏』のようになりたいという、サディスティックでもありマゾヒスティックでもあるような感情が、彼の体内で泡立ち始めた。


(続く)




2022年1月29日土曜日

【牛田デラシネ中学生】変態の作られ方[その123]

 


ああ、はっきりとしたことではないんだが、出島の『遊女』たちの中には、オランダ語が話せたものもいたいう説もなくはないようなんだ」


やや自信はなさそうではあったが、『少年』の父親は、『少年』にそう説明した。牛田方面に向う『青バス』(広電バス)の中であった。


「で、『遊女』がオランダ人たちから聞いた話を日本人は教えてもらっていたかもしれないんだ。つまり、『遊女』は、貴重な情報源であったかも、なんだ」


と、『少年』の父親は、話しながら、自身の説明に納得していっていた。広島の老舗デパート『福屋』本店の南側出口(えびす通り玄関)を出た『少年』とその家族が、帰宅の為、えびす通りをバス停に向い、えびす通りと中央通りとの交差点の横断歩道近くまで来た時、父親は、中央通りの向こう側に聳える百貨店『天満屋広島店』を指差しながら、『天満屋』の歴史を語り出した。そして、『天満屋』の創業の時代、『文政』年間に、『シーボルト』が来日した、と説明し、更に、その『シーボルト』が、オランダ人として日本に入国したものの、実はドイツ人の医者であったこと、更には、日本の女性との間に娘をもうけたことを説明したところ、『少年』が、『シーボルト』は日本で日本の女性と結婚したんだね、と確認してきた為、当時(江戸時代)の結婚というものの説明まで始めることとなり、結婚の際に必要となった書類の説明や、それに関連した宗教、宗派のこと等を説明し、更に、国際結婚が認められるようになった歴史や、それに関連して『ナポレオン法典』やその翻訳にあたった人物等についても説明していくにつれて、話のテーマは、『結婚とは何か?』という根元的なものへと展開し、『通い婚』時代の儀式や、そこから天皇制と一般人民の歴史といった思い掛けない方向へと行ったが、ようやく『シーボルト』と日本の女性との『結婚』に話が戻ってきたものの、その『結婚』相手の女性、『お滝さん』こと『楠本瀧』について、『少年』は、そのつもりではなかったが、父親を『追求』することとなっていたが、『お滝さん』が、『其扇』(そのぎ)という『遊女』の名義を借りたという説に触れたことから、当時の長崎に於ける『遊女』の立ち位置の説明もせざる得なくなり、窮しはしたものの、証拠がある訳ではないが、あり得なくもない状況を説明していった。


「へええ、『遊女』って、日本にとって大事な人たちだったんだね」

「おお、そうだ、そうだ。『遊女』は、オランダ人から品物をもらうことも許されていたとも云われているから、珍しい外国の品物も『遊女』経由で日本に入ってきていたかもしれないんだぞ」

「そうなんだね。だから、『遊女』は出島に出入りすることが許されていたんだね。それで、『シーボルト』は、『お滝さん』に『遊女』の名前を借りてもらって出島に来てもらったんだね」

「その通りだ。『シーボルト』は、どうしても『お滝さん』と『結婚』したかったんだと思う」

「その『結婚』は、今のような届を出すような結婚じゃなかったけど、でも、『結婚』だったんだよね」

「そうだ。『シーボルト』は、『お滝さん』と『結婚』というか一緒になったことを自分の伯父さんや母親に嬉しそうに報告する手紙だって書いているんだ。それに、もう説明したように、2人の間には、『イネ』という娘だってできているんだ。で、この『イネ』が日本初の女医さん、女性のお医者さんになるんだ」




「ええ、そうなの!その『イネ』さんは、お父さんの『シーボルト』に医学を教えてもらったんだね!」


と、『少年』が、『シーボルト』の娘に強い関心を示した時、


「『などてかう 心憂かりける御心を、うらなく頼もしきものに思ひきこえけむ』と云うのだろうか…」


バスの中の他の誰にも聞き取れない程度の小さな声が、呟きを続けていた。どうやら、広島の進学校である広島県立広島皆実高校の出身で、『ハンカチ大学』の商学部に在籍しているようである呟きの主は、その時、同じ『青バス』(広電バス)に乗り合わせた美少女、前年(1966年)にテレビ・ドラマ化もされた三浦綾子・原作の『氷点』のヒロインの少女『陽子』を演じる『内藤洋子』に似た美少女を『源氏物語』の『若紫』と見立て、『新手枕』の翌朝の彼女からの恨みの言葉を想像していたようであった。


(続く)




2022年1月28日金曜日

【牛田デラシネ中学生】変態の作られ方[その122]

 


「あーら、アナタ、『投扇興』に随分、お詳しいのね」


と、『少年』の母親が、夫に意味ありげな物言いをしてきた。牛田方面に向う『青バス』(広電バス)の中であった。


「そんなお座敷によくいらしてるの?」


と、『少年』の母親は、瞬きもせず、夫を凝視めた。広島の老舗デパート『福屋』本店の南側出口(えびす通り玄関)を出た『少年』とその家族が、帰宅の為、えびす通りをバス停に向い、えびす通りと中央通りとの交差点の横断歩道近くまで来た時、父親は、中央通りの向こう側に聳える百貨店『天満屋広島店』を指差しながら、『天満屋』の歴史を語り出した。そして、『天満屋』の創業の時代、『文政』年間に、『シーボルト』が来日した、と説明し、更に、その『シーボルト』が、オランダ人として日本に入国したものの、実はドイツ人の医者であったこと、更には、日本の女性との間に娘をもうけたことを説明したところ、『少年』が、『シーボルト』は日本で日本の女性と結婚したんだね、と確認してきた為、当時(江戸時代)の結婚というものの説明まで始めることとなり、結婚の際に必要となった書類の説明や、それに関連した宗教、宗派のこと等を説明し、更に、国際結婚が認められるようになった歴史や、それに関連して『ナポレオン法典』やその翻訳にあたった人物等についても説明していくにつれて、話のテーマは、『結婚とは何か?』という根元的なものへと展開し、『通い婚』時代の儀式や、そこから天皇制と一般人民の歴史といった思い掛けない方向へと行ったが、ようやく『シーボルト』と日本の女性との『結婚』に話が戻ってきたものの、その『結婚』相手の女性、『お滝さん』こと『楠本瀧』について、『少年』は、そのつもりではなかったが、父親を『追求』することとなっていたが、『お滝さん』が、『其扇』(そのぎ)という『遊女』の名義を借りたことの説明をしている内に、『少年』の父親は、今度は、妻からの『追求』を受けることになってしまったのだ。


「へょ…」


『少年』の父親は、聡明な彼らしくない情けない声というよりも音を発した。


「いや、ああ、『投扇興』のことは、会社の役員から聞いたんだ」

「それにしては随分とお詳しいこと」

「あ、そうそう、1回だけ、その役員のお供でお座敷にお供したことはあったんだけど…」


いつもははっきりした物言いをする『少年』の父親の声が、小さくなっていった。


「『お滝さん』が、『其扇』(そのぎ)という『遊女』の名前を借りた、ということは、本物の『遊女』ではなく、だったら『投扇興』もしなかったんだね?」

「ああ、そうだな」


『少年』の父親は、今度は息子の質問に救われ、安堵を頬と肩に見せた。


「でも、『お滝さん』は、どうして、『其扇』(そのぎ)という『遊女』の名前を借りたの?」

「それはな、当時、出島には一般の女性は出入りできなかったからだよ」

「それは、『遊女』なら出島に出入りできたっていうこと?」

「うっ…そ、そうだ」

「どうして?」

「あ、そりゃ、あれ、あれだよ。オランダ人と、というか、まあ、『シーボルト』は本当はドイツ人だけど、そう、外国人と『交流』を持つことが大事だからなあ」

「『遊女』が、外国人と『交流』を持ったの?お酒をお酌して?」

「む、む…そ、そうだなあ…まあ、お酒の席の方が、人間って肩苦しくなく、本音で喋るからなあ」

「だから、父さんも時々、会社の人たちやお客さんとお酒を飲むんだね」




「おお、そうだ、そうだ」

「じゃあ、外国人との『交流』も『遊女』でなくて男の人でもよかったんじゃないの?」

「そ、そりゃ、あれだよ。女性の方が物腰も柔らかくって、外国人もより本音のことを喋るからだよ」

「あれ?『遊女』って、オランダ語を話せたの?」


と、『遊女』という言葉を連発する『少年』に、同じバスの席の近くの乗客たちが、不思議感を込めた視線を送っている時、


「ふふ、『女君はさらに起きたまはぬ朝あり』か…」


バスの中の他の誰にも聞き取れない程度の小さな声が、呟きを続けていた。どうやら、広島の進学校である広島県立広島皆実高校の出身で、『ハンカチ大学』の商学部に在籍しているようである呟きの主は、その時、同じ『青バス』(広電バス)に乗り合わせた美少女、前年(1966年)にテレビ・ドラマ化もされた三浦綾子・原作の『氷点』のヒロインの少女『陽子』を演じる『内藤洋子』に似た美少女を『源氏物語』の『若紫』と見立て、『源氏物語』の『新手枕』の一節を呟 き、ある朝の自分との2人のある朝を思い描いていたようであった。


(続く)




2022年1月27日木曜日

【牛田デラシネ中学生】変態の作られ方[その121]

 


「ああ、もう一つの説も、『お滝さん』は『遊女』だった、ということにはなるんだが」


と、『少年』の父親が、何やら含みをもたせたような云い方をする。牛田方面に向う『青バス』(広電バス)の中であった。


「元々は、『お滝さん』は『遊女』ではなく、立派な商家の娘だったとも云われているんだ」


と、『少年』の父親は、『少年』が混乱しかねない説明を始めた。広島の老舗デパート『福屋』本店の南側出口(えびす通り玄関)を出た『少年』とその家族が、帰宅の為、えびす通りをバス停に向い、えびす通りと中央通りとの交差点の横断歩道近くまで来た時、父親は、中央通りの向こう側に聳える百貨店『天満屋広島店』を指差しながら、『天満屋』の歴史を語り出した。そして、『天満屋』の創業の時代、『文政』年間に、『シーボルト』が来日した、と説明し、更に、その『シーボルト』が、オランダ人として日本に入国したものの、実はドイツ人の医者であったこと、更には、日本の女性との間に娘をもうけたことを説明したところ、『少年』が、『シーボルト』は日本で日本の女性と結婚したんだね、と確認してきた為、当時(江戸時代)の結婚というものの説明まで始めることとなり、結婚の際に必要となった書類の説明や、それに関連した宗教、宗派のこと等を説明し、更に、国際結婚が認められるようになった歴史や、それに関連して『ナポレオン法典』やその翻訳にあたった人物等についても説明していくにつれて、話のテーマは、『結婚とは何か?』という根元的なものへと展開し、『通い婚』時代の儀式や、そこから天皇制と一般人民の歴史といった思い掛けない方向へと行ったが、ようやく『シーボルト』と日本の女性との『結婚』に話が戻ってきたものの、その『結婚』相手の女性、『お滝さん』こと『楠本瀧』が『遊女』であったとされることについて2説持ち出してきていた。


「『お滝さん』は、立派な商家の娘から『遊女』になった、ということ?」

「と云えば、そうだし、そうじゃないと云えば、そうじゃないんだ。『其扇』(そのぎ)という『遊女』の名義を借りたんだよ。名義を借りた、というのは、名前を借りた、ということだ」


と、『少年』の父親は、取り出したままにしていた手帳に、自身のモンブランの万年筆で、『其扇』と書いた。


「これで、『そのぎ』と読むの?」

「ああ、本来は、『そのおおぎ』かもしれないが、それが訛って、というか短縮された音のようになって『そのぎ』になったんじゃないかなあ」

「『其扇』(そのぎ)って、どうしてそんな名前なの?」

「うーむ…それは、知らないんだが、『投扇興』(とうせんきょう)という遊びがあって、その流派に、其扇』(そのぎ)と同じ漢字を書いて其扇流』(きせんりゅう)というのがあるから、その名前を使ったのかもしれないな」

「『とうせんきょう』?」

「ああ、『投扇興』(とうせんきょう)は、こう書くんだ」


と、『少年』の父親は、取り出したままにしていた手帳に、自身のモンブランの万年筆で、今度は、『投扇興』と書いた。


「ひょっとして、『投扇興』(とうせんきょう)って、扇を投げる遊びなの?」

「ああ、桐の箱の上に、『蝶』という、ああ、蝶々の『蝶』だ、その『蝶』という的を立てて、それに向けて扇を投げるんだ」




「ああ、その『蝶』という的を落としたら勝ちなんだね」

「いや、そんな無粋な遊びじゃないんだ。扇を投げた後の、ああ、桐の箱のことを『枕』というんだが、この『枕』と『扇』と『蝶』との位置関係によって、点数が決まっているんだ。対戦する2人が、それぞれ10回ずつ扇を投げて、合計得点が高い方が勝ちなんだ。で、点数が決っている位置関係には、それぞれ名前がついているんだが、『源氏物語』の『巻』からとった54の名前で競うルールと、『百人一首』に見立てた31の名前で競うルールとがあるんだ。『源氏物語』、『百人一首』の名前を使うなんて、優雅な遊びだろう」


と、思わず、『少年』の父親が、頬に笑みを浮かべた時、


「『洋子』ちゃんは、小学校高学年くらいだろうから、ボクとは、丁度、そう、『光源氏』と『若紫』くらいの年齢差だ…」


バスの中の他の誰にも聞き取れない程度の小さな声が、呟きを続けていた。どうやら、広島の進学校である広島県立広島皆実高校の出身で、『ハンカチ大学』の商学部に在籍しているようである呟きの主は、その時、同じ『青バス』(広電バス)に乗り合わせた美少女、前年(1966年)にテレビ・ドラマ化もされた三浦綾子・原作の『氷点』のヒロインの少女『陽子』を演じる『内藤洋子』に似た美少女を『源氏物語』の『若紫』と見立て、その妄想はあるぬ方向に向かいそうであった。


(続く)




2022年1月26日水曜日

【牛田デラシネ中学生】変態の作られ方[その120]

 


「『シーボルト』は、どうやってその『お滝さん』と出会ったの?」


と、『少年』は、紫陽花に関する学術的ともいえる話題となり、安心しきっていた父親をたじろがせる質問を口にした。牛田方面に向う『青バス』(広電バス)の中であった。


「え..」


としか、『少年』の父親は、云えなかった。広島の老舗デパート『福屋』本店の南側出口(えびす通り玄関)を出た『少年』とその家族が、帰宅の為、えびす通りをバス停に向い、えびす通りと中央通りとの交差点の横断歩道近くまで来た時、父親は、中央通りの向こう側に聳える百貨店『天満屋広島店』を指差しながら、『天満屋』の歴史を語り出した。そして、『天満屋』の創業の時代、『文政』年間に、『シーボルト』が来日した、と説明し、更に、その『シーボルト』が、オランダ人として日本に入国したものの、実はドイツ人の医者であったこと、更には、日本の女性との間に娘をもうけたことを説明したところ、『少年』が、『シーボルト』は日本で日本の女性と結婚したんだね、と確認してきた為、当時(江戸時代)の結婚というものの説明まで始めることとなり、結婚の際に必要となった書類の説明や、それに関連した宗教、宗派のこと等を説明し、更に、国際結婚が認められるようになった歴史や、それに関連して『ナポレオン法典』やその翻訳にあたった人物等についても説明していくにつれて、話のテーマは、『結婚とは何か?』という根元的なものへと展開し、『通い婚』時代の儀式や、そこから天皇制と一般人民の歴史といった思い掛けない方向へと行ったものの、ようやく『シーボルト』と日本の女性との『結婚』に話が戻ってきていたところ、『少年』は、意図せずながら、父親が答えにくい質問をしてきたのであった。


「だって、その頃、日本は本当には『鎖国』はしていなかったけど、外国の人は、長崎の出島から出ちゃいけなかったんじゃないの?」

「その通りなんだが、『シーボルト』は名医だったから、特別許可を得て、出島の外に出て診察することがあったんだそうだ」

「じゃあ、その時に、『お滝さん』と出会ったの?『お滝さん』の診察をしたの?」

「まあ、『シーボルト』と『お滝さん』の出会いについては、説がいくつか、というか2説あるようなんだ」

「どんな説?」

「…まあ、そうだなあ…『お滝さん』は『遊女』だったとはよく云われているようだ」

「『ゆうじょ』って?」


『少年』は、初めて聞く言葉に首を捻った。


「うう…」

「アナタ!」


『少年』の母親が、夫を睨んだ。


「『遊女』って、こう書くんだが…」


と、『少年』の父親は、取り出したままにしていた手帳に、自身のモンブランの万年筆で、『遊女』と書きながら、次の言葉を探していた。


「あああ….そう、大人の男は、仕事なんかでお酒を飲みに行き、まあ、仕事でもそのことを『遊ぶ』って云ったりするんだが、その時、お酒をお酌してくれる女の人がいるんだよ。『遊女』って、まあ、そんな女の人のことみたいなもんだな」




『少年』の父親は、本当のことを説明することはできなかった。


「ああ、じゃあ、晩御飯の時、母さんが父さんにお酒をお酌するから、母さんもウチでは『遊女』みたいな感じなんだね」

「まあ!」


息子の思いもしない発想に、『少年』の母親は、頬を紅に染めた。


「いや、それは『遊女』とは云わないんだけど、要するに、『お滝さん』は『遊女』だったという説もあるし、普通は、よくそう云われているみたいなんだ」

「ということは、『お滝さん』は『遊女』ではなかった、という説もあるんだね?」


と、『少年』が、またもや聡明さを見せた時、


「いいんだ、『洋子』ちゃんは、ボクの『若紫』だ…」


バスの中の他の誰にも聞き取れない程度の小さな声が、呟きを続けていた。どうやら、広島の進学校である広島県立広島皆実高校の出身で、『ハンカチ大学』の商学部に在籍しているようである呟きの主は、その時、同じ『青バス』(広電バス)に乗り合わせた美少女、前年(1966年)にテレビ・ドラマ化もされた三浦綾子・原作の『氷点』のヒロインの少女『陽子』を演じる『内藤洋子』に似た美少女が、それから数年後に、本当に『広島皆実高校』に入学することを知らず、『広島皆実高校』に入ることを望んだものの、自分が進学した田舎臭い学生が多い『ハンカチ大学』のキャンパスにいる姿を思い描けなかったが、東京での彼女との出会いを夢想し始めていたものの、彼女が大学生になる頃、自分はもうとうに大学を卒業していることに気付きはしたのだ。しかし、今度は、自分とその美少女を『源氏物語』の世界に置いたような夢想を始めていた。


(続く)




2022年1月25日火曜日

【牛田デラシネ中学生】変態の作られ方[その119]

 


「『お滝さん』って?」


と、『少年』は、父親が出した初めて聞く名前について訊いた。牛田方面に向う『青バス』(広電バス)の中であった。


「『シーボルト』が結婚した日本人の女の人って、『お滝さん』という名前なの?」


と、云いながら、『少年』は、『お滝さん』という女性がどんな女性なのか思い描こうとした。広島の老舗デパート『福屋』本店の南側出口(えびす通り玄関)を出た『少年』とその家族が、帰宅の為、えびす通りをバス停に向い、えびす通りと中央通りとの交差点の横断歩道近くまで来た時、父親は、中央通りの向こう側に聳える百貨店『天満屋広島店』を指差しながら、『天満屋』の歴史を語り出した。そして、『天満屋』の創業の時代、『文政』年間に、『シーボルト』が来日した、と説明し、更に、その『シーボルト』が、オランダ人として日本に入国したものの、実はドイツ人の医者であったこと、更には、日本の女性との間に娘をもうけたことを説明したところ、『少年』が、『シーボルト』は日本で日本の女性と結婚したんだね、と確認してきた為、当時(江戸時代)の結婚というものの説明まで始めることとなり、結婚の際に必要となった書類の説明や、それに関連した宗教、宗派のこと等を説明し、更に、国際結婚が認められるようになった歴史や、それに関連して『ナポレオン法典』やその翻訳にあたった人物等についても説明していくにつれて、話のテーマは、『結婚とは何か?』という根元的なものへと展開し、『通い婚』時代の儀式や、そこから天皇制と一般人民の歴史といった思い掛けない方向へと行ったが、ようやく『シーボルト』と日本の女性との『結婚』に話が戻ってきていたのであった。


「『楠本瀧』という人だ。『シーボルト』は、この『お滝さん』をとても愛して、ヨーロッパにはなかった紫陽花の中でも特に花の大きい品種を見て、『ヒドランゲア・オタクサ』(Hydrangea otaksa)という名前をつけて、ヨーロッパに紹介した、と云われているくらいなんだ」


と、『少年』の父親は、取り出したままにしていた手帳に、自身のモンブランの万年筆で、『Hydrangea otaksa』と書いた。


「ああ、『シーボルト』って、植物学にも興味を持っていたんだったよね。でも、『ヒドランゲア・オタクサ』と『お滝さん』って、どんな関係があるの?」

「『オタクサ』は、『お滝さん』が訛った云い方、というか、外国人的な発音だろ」

「ああ、そうだねえ。確かに、『オタキサン』…『オタキサ』、『オタクサ』だね」

「まあ、『シーボルト』自身が、『ヒドランゲア・オタクサ』の『オタクサ』は『お滝さん』からとったものだと云っている訳ではなく、そうなんじゃないの、と、『牧野』という植物学者がそう唱えるようになって、一般にそう思われるようになったようなんだがな」

「でも、『オタクサ』って、『オタキサン』な感じがするし、『シーボルト』が『お滝さん』を大事に思っているなら、『オタキサン』という名前をつけてもおかしくないと思う。でも、『ヒドランドゲア』って、何なの?」




「まさに紫陽花だ。紫陽花は、日本原産なんだが、『シーボルト』よりも50年くらいも前に、そうだなあ、確か、『テュユンベリー』というスウェーデン植物学者がヨーロッパに持ち帰っているし、その他の学者も持ち帰っていたようで、『ヒドランゲア』(Hydrangea)という名前は、『ヤン・フレドリック・グロノヴィウス』というオランダの学者が付けたと聞いたことがある。尤も、それは日本のアジサイにじゃなく、北米にある『アメリカノリノキ』という紫陽花の仲間に対してらしいんだがな」

「『ヒドランゲア』がどうして紫陽花なの?」

「ああ、『ヒドランゲア』(Hydrangea)は、ギリシア語から来ているらしく、『ヒドロ』(hydro)という『水』を表す言葉と『アンゲイオン』(angeion)という『器』を表す言葉を合わせたもののようだ。つまり、水の器だな。紫陽花が、沢山の水を吸収して蒸発させる性質を持っているからだったと思う」


と、『少年』の父親は、取り出したままにしていた手帳に、自身のモンブランの万年筆で、今度は、『hydro』、『angeion』と書いた。


「長崎には、紫陽花が多かったの?」

「どうだろうなあ….そこのところはよく知らないが、長崎は雨の多い街と聞いたことはあるから、紫陽花も多かったのかも知れんなあ」


『内山田洋とクールファイブ』が、『長崎は今日も雨だった』をヒットさせるのは、それから(1967年)からまだ2年後にことであり、長崎市が、『シーボルト』に因んで、紫陽花を市の花とするのは、その(1967年)の翌年のことであった。


「美しい花に、自分の奥さんの名前をつけるなんて、なんかいい話だね。あ、そうだ!」


と、『少年』が何かに思いあたった様子を見せた時、


「いや、『洋子』ちゃんが、大学生になる頃、ボクは…」


バスの中の他の誰にも聞き取れない程度の小さな声が、呟きを続けていた。どうやら、広島の進学校である広島県立広島皆実高校の出身で、『ハンカチ大学』の商学部に在籍しているようである呟きの主は、その時、同じ『青バス』(広電バス)に乗り合わせた美少女、前年(1966年)にテレビ・ドラマ化もされた三浦綾子・原作の『氷点』のヒロインの少女『陽子』を演じる『内藤洋子』に似た美少女が、それから数年後に、本当に『広島皆実高校』に入学することを知らず、『広島皆実高校』に入ることを望んだものの、自分が進学した田舎臭い学生が多い『ハンカチ大学』のキャンパスにいる姿を思い描けなかったが、東京での彼女との出会いを夢想し始めていたものの、自分との年齢差を忘れていたことに気付いた。美少女は、まだどう見ても小学生であり、彼女が大学生になる頃、自分はもうとうに大学を卒業しているのだ。


(続く)




2022年1月24日月曜日

【牛田デラシネ中学生】変態の作られ方[その118]

 


「まあ、本当に『アダムとイヴ』という人間がいたかどうか知らないが」


と、『少年』の父親は、本来の冷静な己を取り戻し、『少年』に説明を始めた。牛田方面に向う『青バス』(広電バス)の中であった。


「全人類の共通の先祖がいたかもしれないし、少なくとも完全に同時ではないにせよ、現代から見ると、誤差の部類に入るくらいの時差で全人類それぞれの先祖がこの地球上に出現しただろうとは思うな」


と、『少年』の父親は、人類の起源に関わる考えを『少年』に示した。広島の老舗デパート『福屋』本店の南側出口(えびす通り玄関)を出た『少年』とその家族が、帰宅の為、えびす通りをバス停に向い、えびす通りと中央通りとの交差点の横断歩道近くまで来た時、父親は、中央通りの向こう側に聳える百貨店『天満屋広島店』を指差しながら、『天満屋』の歴史を語り出した。そして、『天満屋』の創業の時代、『文政』年間に、『シーボルト』が来日した、と説明し、更に、その『シーボルト』が、オランダ人として日本に入国したものの、実はドイツ人の医者であったこと、更には、日本の女性との間に娘をもうけたことを説明したところ、『少年』が、『シーボルト』は日本で日本の女性と結婚したんだね、と確認してきた為、当時(江戸時代)の結婚というものの説明まで始めることとなり、結婚の際に必要となった書類の説明や、それに関連した宗教、宗派のこと等を説明し、『少年』の理解を得た。しかし、『少年』は、『シーボルト』は、要するに、日本の女性とどう結婚したのか、という質問に立ち戻ってきた為、『少年』の父親は、そもそも国際結婚は今でも容易ではないことを説明し、国際結婚ががちゃんと認められるようになったのは、明治6年に制定された明治6年に制定の『内外人民婚姻条規』であり、その法律の制定にあたり参考にされたという『ナポレオン法典』について説明し、『ナポレオン法典』を『仏蘭西法律書』という名前の書物に翻訳した『箕作麟祥』(みつくり・りんしょう)のこと、『箕作麟祥』の師である『坂野長英』、更には、同じく『坂野長英』を師とした『高野長英』、箕作麟祥』の父親である『箕作阮甫』のことまで説明していたが、ようやく話のテーマは、当時(江戸時代)の結婚へと戻ってきたところで、『結婚とは何か?』という根元的なものへと展開してしまい、父親が、古墳時際には、『妻問婚』(つまどいこん)という、夫が妻のところに通う結婚が一般的だったと説明したところ、『少年』は、『妻問婚』の場合、いつから結婚したことになるのか、と問い、父親は、回答に苦しみながら、『三日餅』(みかのもちひ)、そして、それを食べる、今でいう披露宴のようなものである『露顕』(ところあらわし)を説明したが、『少年』は、『露顕』まで三日間、男が女の元にこっそり通うことに納得せず、窮した父親は、『三日餅』(または、『三日夜の餅』)は、『源氏物語』にも出てくるものだ、と説明したも。しかし、『少年』の納得を得られそうになく、『三日夜の餅』は、皇太子(今、つまり2022年の時点で『上皇』である人)の婚礼の際でもあったという説明を始めたのであったが、『少年』が何故、皇室が今でも『三日夜の餅』を行なっているのか、と疑問を抱き、父親は、皇室が長ーい歴史を持つと説明してしまい、聡明な『少年』は、皇室だけが長ーい歴史を持つとされることに異を唱えたのであった。


「じゃあ、ウチでも他の家でも、皇室と同じか変わらないくらいの長ーい歴史があるんじゃないの?」

「そうだな。その通りだ。ただ、皇室は、為政者だから、つまり権力を持ったから、その歴史が残されているだけのことといえばそうなるなあ」

「ああ、それで、自分たちや、皇室のことを大事に思う人たちが、歴史があると思って、昔ながらの『三日夜の餅の儀』として、今でもしているんだね」

「おお、そうだ。そういうことだ」

「じゃあ、『露顕』(ところあらわし)をするのを、どうして、『三日目』まで待つの?」


と、『少年』の追及が終り、話のテーマが、『三日夜の餅』に戻ったことで、『少年」の父親の頬には、安堵の緩みが見られた。


「それが、『キャンセル期間』?『キャンセル』って、注文したことを無しにするってことでしょ?何を無しにするの?」

「勿論、結婚だ。『三日夜の餅』を食べたら、もう結婚することを、結婚したことを認めて、結婚を無しにすることはできない、ということだ」




「じゃあ、二日目までは、お試し期間ということ?」


『少年』は、またもや意図せずも父親をたじろがせる質問を口にした。


「へょ…ま、まあ、そうだな」


と、『少年』の父親は、たじろぎならも、心の中の自らの姿勢を正しながら、言葉を続けた。


「しかし、大事なことは、『露顕』(ところあらわし)とか『三日夜の餅』という今の結婚式、結婚披露宴にあたるようなものがあるにはあったが、後の『所請状之事』や『離旦證文』のような書類手続きがない時代でも、『結婚』はあったということなんだ。ましてや国際結婚は、明治6年に『内外人民婚姻条規』が制定されるまでは、書類手続きによるような、という意味では、正式なものはなかったことになるが、『シーボルト』は、『お滝さん』と結婚した、といっていいんだろうと思う」


と、『少年』の父親が、それまでの派生に派生、さらに派生と際限なく横道に逸れていた話のテーマを一気に、『シーボルト』の結婚まで戻した時、


「『洋子』ちゃんが、東京の大学に来たら、『ハンカチ祭』に来てくれるかもしれない…」


バスの中の他の誰にも聞き取れない程度の小さな声が、呟きを続けていた。どうやら、広島の進学校である広島県立広島皆実高校の出身で、『ハンカチ大学』の商学部に在籍しているようである呟きの主は、その時、同じ『青バス』(広電バス)に乗り合わせた美少女、前年(1966年)にテレビ・ドラマ化もされた三浦綾子・原作の『氷点』のヒロインの少女『陽子』を演じる『内藤洋子』に似た美少女が、それから数年後に、本当に『広島皆実高校』に入学することを知らず、『広島皆実高校』に入ることを望んだものの、自分が進学した田舎臭い学生が多い『ハンカチ大学』のキャンパスにいる姿を思い描けなかったが、東京での彼女との出会いを夢想し始めているようであった。


(続く)




2022年1月23日日曜日

【牛田デラシネ中学生】変態の作られ方[その117]

 


「それは、国民が望んだからだろうし」


と、『少年』の父親は、言葉を選ぶように、『少年』に向け、ゆっくりとした話し方をした。牛田方面に向う『青バス』(広電バス)の中であった。


「皇室に長ーい歴史があるからだろうな。婚礼の際に、『三日夜の餅』を『三日夜の餅の儀』として、今でもしているのは、やはり皇室に長ーい歴史があるからだろう」


と、『少年』の父親は、天皇制の是非の問題から、話をまた『三日夜の餅』に戻そうとした。広島の老舗デパート『福屋』本店の南側出口(えびす通り玄関)を出た『少年』とその家族が、帰宅の為、えびす通りをバス停に向い、えびす通りと中央通りとの交差点の横断歩道近くまで来た時、父親は、中央通りの向こう側に聳える百貨店『天満屋広島店』を指差しながら、『天満屋』の歴史を語り出した。そして、『天満屋』の創業の時代、『文政』年間に、『シーボルト』が来日した、と説明し、更に、その『シーボルト』が、オランダ人として日本に入国したものの、実はドイツ人の医者であったこと、更には、日本の女性との間に娘をもうけたことを説明したところ、『少年』が、『シーボルト』は日本で日本の女性と結婚したんだね、と確認してきた為、当時(江戸時代)の結婚というものの説明まで始めることとなり、結婚の際に必要となった書類の説明や、それに関連した宗教、宗派のこと等を説明し、『少年』の理解を得た。しかし、『少年』は、『シーボルト』は、要するに、日本の女性とどう結婚したのか、という質問に立ち戻ってきた為、『少年』の父親は、そもそも国際結婚は今でも容易ではないことを説明し、国際結婚ががちゃんと認められるようになったのは、明治6年に制定された明治6年に制定の『内外人民婚姻条規』であり、その法律の制定にあたり参考にされたという『ナポレオン法典』について説明し、『ナポレオン法典』を『仏蘭西法律書』という名前の書物に翻訳した『箕作麟祥』(みつくり・りんしょう)のこと、『箕作麟祥』の師である『坂野長英』、更には、同じく『坂野長英』を師とした『高野長英』、箕作麟祥』の父親である『箕作阮甫』のことまで説明していたが、ようやく話のテーマは、当時(江戸時代)の結婚へと戻ってきたところで、『結婚とは何か?』という根元的なものへと展開してしまい、父親が、古墳時際には、『妻問婚』(つまどいこん)という、夫が妻のところに通う結婚が一般的だったと説明したところ、『少年』は、『妻問婚』の場合、いつから結婚したことになるのか、と問い、父親は、回答に苦しみながら、『三日餅』(みかのもちひ)、そして、それを食べる、今でいう披露宴のようなものである『露顕』(ところあらわし)を説明したが、『少年』は、『露顕』まで三日間、男が女の元にこっそり通うことに納得せず、窮した父親は、『三日餅』(または、『三日夜の餅』)は、『源氏物語』にも出てくるものだ、と説明したものの、『少年』の納得を得られそうになく、『三日夜の餅』は、皇太子(今、つまり2022年の時点で『上皇』である人)の婚礼の際でもあったという説明を始めたのであったが、『少年』はその婚礼のパレードで投石事件があったことに触れ、天皇制の是非の論議になりそうであったのだ。


「長ーい歴史があるのは、皇室だけなの?」

「え?まあ、皇室だけではなく、由緒ある家には、皇室ほどではないにしても、長ーい歴史があるだろうなあ」

「ええ?そうかなあ?」

「ん?」


思い掛けない息子の否定の言葉に、『少年』の父親は、またもや自らの息子の顔を覗き込むようにした。


「普通の人、普通の家にだって歴史はあるんじゃないの?」

「…ん、まあ、そうだな」

「ウチにだって、ボクにだって、先祖はいるでしょ?」

「勿論、いるさ」

「ボクの先祖は、天皇の先祖より後に生まれたの?」

「え?....いや、そこは分らないなあ…」

「ボクの先祖が天皇の先祖より後に生まれたとしたら、その先祖は、どうやって生れたの?」

「それは、その親がいたからだろう」

「じゃあ、その親は、やっぱりボクの先祖なんじゃないの?」

「そうなるなあ」

「ボクの先祖が、まあ、ボクじゃなくって、他の人の先祖でもいいんだけど、その先祖より天皇の先祖が先に存在したっていうことがあり得るの?」

「ああ、そうだなあ。『アダムとイヴ』かあ」




と、『少年』の父親は、聡明な彼には珍しく、他人に、それも実の息子に押し捲られていたが、ようやく息子の云わんとすることを理解し、冷静さを取り戻したように見えた時、


「でも、『洋子』ちゃんは、『ハンカチ』には似合わないなあ…」


バスの中の他の誰にも聞き取れない程度の小さな声が、呟きを続けていた。どうやら、広島の進学校である広島県立広島皆実高校の出身で、『ハンカチ大学』の商学部に在籍しているようである呟きの主は、その時、同じ『青バス』(広電バス)に乗り合わせた美少女、前年(1966年)にテレビ・ドラマ化もされた三浦綾子・原作の『氷点』のヒロインの少女『陽子』を演じる『内藤洋子』に似た美少女が、それから数年後に、本当に『広島皆実高校』に入学することを知らず、『広島皆実高校』に入ることを望んだものの、自分が進学した田舎臭い学生が多い『ハンカチ大学』のキャンパスにいる姿を思い描けないようであった。実際、『内藤洋子』に似た美少女は、その後、親の転勤に伴い、東京の都立高校に転校し、『ハンカチ大学』ではなく、難関の女子大に入学することになるのであった。


(続く)




2022年1月22日土曜日

【牛田デラシネ中学生】変態の作られ方[その116]

 


「知ってのたか?」


と、『少年』の父親は、純粋な、ともいえる驚きをもって、自らの息子の顔を覗き込むようにした。牛田方面に向う『青バス』(広電バス)の中であった。


「あれは、19歳の浪人生だったと思う」


と、『少年』の父親は、息子への回答を、自らの記憶を辿るように、虚空に視線を遣りながら、始めた。広島の老舗デパート『福屋』本店の南側出口(えびす通り玄関)を出た『少年』とその家族が、帰宅の為、えびす通りをバス停に向い、えびす通りと中央通りとの交差点の横断歩道近くまで来た時、父親は、中央通りの向こう側に聳える百貨店『天満屋広島店』を指差しながら、『天満屋』の歴史を語り出した。そして、『天満屋』の創業の時代、『文政』年間に、『シーボルト』が来日した、と説明し、更に、その『シーボルト』が、オランダ人として日本に入国したものの、実はドイツ人の医者であったこと、更には、日本の女性との間に娘をもうけたことを説明したところ、『少年』が、『シーボルト』は日本で日本の女性と結婚したんだね、と確認してきた為、当時(江戸時代)の結婚というものの説明まで始めることとなり、結婚の際に必要となった書類の説明や、それに関連した宗教、宗派のこと等を説明し、『少年』の理解を得た。しかし、『少年』は、『シーボルト』は、要するに、日本の女性とどう結婚したのか、という質問に立ち戻ってきた為、『少年』の父親は、そもそも国際結婚は今でも容易ではないことを説明し、国際結婚ががちゃんと認められるようになったのは、明治6年に制定された明治6年に制定の『内外人民婚姻条規』であり、その法律の制定にあたり参考にされたという『ナポレオン法典』について説明し、『ナポレオン法典』を『仏蘭西法律書』という名前の書物に翻訳した『箕作麟祥』(みつくり・りんしょう)のこと、『箕作麟祥』の師である『坂野長英』、更には、同じく『坂野長英』を師とした『高野長英』、箕作麟祥』の父親である『箕作阮甫』のことまで説明していたが、ようやく話のテーマは、当時(江戸時代)の結婚へと戻ってきたところで、『結婚とは何か?』という根元的なものへと展開してしまい、父親が、古墳時際には、『妻問婚』(つまどいこん)という、夫が妻のところに通う結婚が一般的だったと説明したところ、『少年』は、『妻問婚』の場合、いつから結婚したことになるのか、と問い、父親は、回答に苦しみながら、『三日餅』(みかのもちひ)、そして、それを食べる、今でいう披露宴のようなものである『露顕』(ところあらわし)を説明したが、『少年』は、『露顕』まで三日間、男が女の元にこっそり通うことに納得せず、窮した父親は、『三日餅』(または、『三日夜の餅』)は、『源氏物語』にも出てくるものだ、と説明したものの、『少年』の納得を得られそうになく、『三日夜の餅』は、皇太子(今、つまり2022年の時点で『上皇』である人)の婚礼の際でもあったという説明を始めたのであったが、『少年』はその婚礼のパレードで投石事件があったことに触れてきたのだ。


「『変な人』だったんんでしょう?」


『少年』は、もっと別の云い方をしたかったが、その時持ち合わせている語彙では、そうとしか表現できなかった。


「いや、『変』ではなかったかもしれない。確か、週刊現代か石原慎太郎が書いたものにあったように思うんだが….皇太子や皇太子妃に対して、個人的な恨みを持っていた訳ではなく、その結婚も否定していたのではなく、それ自体は祝福されてしかるべきように思っていた、とあったと思う」

「なのに、どうして、皇太子やその奥さんに石を投げたの?」

「その結婚にあたって、御所が2億円以上もかけて建てられたり、パレードにも随分、お金をかけていることに疑問を持ったようだ。自分の母校である高校が火事で全焼した時には、数百人も生徒がいる学校なのに、その建て替えには、確か4千万円くらいしかかけられなかったことなんかを考えるとおかしい、と思ったようだ」

「ふううん。そう思うことって、うん、『変』ではないような気がする。でも、石を投げるのはいけないと思う」

「ああ、石を投げるのはいけない。でも、元々は、皇太子や皇太子妃に石を投げるけるつもりではなかったんだと思う。馬車の窓ガラスを破るつもりだったんじゃなかったかなあ」

「あれ、よく覚えていないけど、あのパレードの馬車って、オープンカーみたいで、窓なんかなかったんじゃないの?」

「そうだ。窓はなかった。で、その19歳の浪人生は、無意識のうちに、石を投げてしまったようだ」




「馬車の窓ガラスはなかったんだろうけど、でも、もし窓ガラスがあったとしても、それを破って、どうしようとしていたの?」

「一言、云いたかった、ということだったと思う」

「え?何を云いたかったの?」

「皇太子は一応でも最高学府、つまり、大学だな、そこを出ているし、皇太子妃は、その皇太子よりももっと頭がいいという噂だから、彼らは、自分が云うことを理解するんじゃないかと思ったようだ」

「何を理解するの?」

「さっきも云ったように、国民の生活に関わるようなことに余りお金を使わず、皇室のことに多額のお金を使うこと、いや、もっと云うと、天皇制そのものだろうなあ、それがおかしい、ということを皇太子や皇太子妃は、頭がいいなら、彼ら自身、そう思っているんじゃないか、と思ったようだ。だから、そういったことについて話し、皇太子が自ら自分の地位について判断することを願った、というようなことだったと書いてあったように思う」

「ふううん。『変な人』ではなかった、ような感じがする。でも、皇太子や奥さんは、その人が思ったように、天皇制がおかしい、と思っているの?」

「それは知らないなあ」

「どうして、沢山、お金をかけてパレードをしたの?」

「うーむ、皇太子自身の判断ではなく、政府がそうしたんだと思うが」

「政府は、どうして、沢山、お金をかけてパレードをすることにしたの?」


と、『少年』が、やや冷静さを失いかけているようにも見える父親に対して、冷静さを更に失わせかけない質問をした時、


「『洋子』ちゃんなら、『ミナミ』に入れるだけではなく…」


バスの中の他の誰にも聞き取れない程度の小さな声が、呟きを続けていた。どうやら、広島の進学校である広島県立広島皆実高校の出身で、『ハンカチ大学』の商学部に在籍しているようである呟きの主は、その時、同じ『青バス』(広電バス)に乗り合わせた美少女、前年(1966年)にテレビ・ドラマ化もされた三浦綾子・原作の『氷点』のヒロインの少女『陽子』を演じる『内藤洋子』に似た美少女が、それから数年後に、本当に『広島皆実高校』に入学することを知らなかった。


(続く)