「ワシ、『ハナタバ』じゃけえ」
と、ビエール少年の隣席(右隣)の男子生徒は、不思議な言葉をビエール少年に告げた。1967年4月、広島市立牛田中学校1年X組の教室であった。体育館の『思道館』での入学式を終えたばかりである。
「『ハナタバ』?」
ビエール少年には、その言葉が何であるのか、すぐには理解できなかった。
「名前じゃあ」
「ああ…」
「変った名前じゃろ。東京にはない名前じゃあ、思うで」
「いや、ボクは、東京じゃなくって…」
というビエール少年の言葉に背を向け、隣席(右隣)の男子生徒は、自らの斜め右の席の男子生徒に声を掛けた。
「『ボッキ』くんも、一緒に東京弁習わん?」
「え?東京弁?」
「ああ、標準語かも知れんが、広島弁より綺麗じゃし、格好ええで」
「どこで習うん?」
「トンミーくんに習うんよ。のお、ええじゃろ、トンミーくん?」
「あ、まあ、いいけどお…」
東京弁、標準語を教える、といっても、どのように教えればいいのか分らない、いや、そもそも、自分がしゃべっている言葉は標準語なのだろうか、と思いつつも、ビエール少年は、『ハナタバ』少年の頼みを引き受けてしまった。
「『ボッキ』くん、トンミーくんがええそうじゃけえ、一緒に東京弁習おうや」
「まあ、いいけど」
「トンミーくんのお、『ボッキ』くんは頭ええんで。牛田小学校で一番じゃったんじゃけえ」
『ハナタバ』少年は、我が事のように『ボッキ』少年について、ビエール少年に紹自慢し始めた。
「それにのお…」
『ハナタバ』少年は、更に言葉を続けた。
(続く)
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