「『フージン』だけじゃないんかあ」
と、ビエール少年の隣席(右隣)の男子生徒は、腕組みをして、感心を態度で見せた。1967年4月、広島市立牛田中学校1年X組の教室であった。体育館の『思道館』での入学式を終えたばかりである。
「『フージン』?」
ビエール少年は、その言葉が、日本語であるのか外国語であるのか、判断がつきかねたが、
「三菱電機いうたら、ワシ、『フージン』しか知らんけえ」
と続けた隣席(右隣)の男子生徒の言葉で、合点がいった。
「ああ、『風神』ね」
ビエール少年は、プロレスのリングを掃除する電気掃除機を思い出した。
「プロレスって、『三菱ダイヤモンド・アワー』だからね」
とビエール少年が云う通り、当時、プロレスのテレビ中継(『日本プロレス』の中継)は、三菱電機一社が提供する『三菱ダイヤモンド・アワー』の時間帯(金曜日の夜8時から1時間である)で放映されていた。
「『フージン』は、凄いのお。プロレスラーが散らかしたんを全部、掃除するんじゃけえ」
隣席(右隣)の男子生徒は、頷きながら、そう云った。しかし、
「え?そう?なんか、わざとらしいと思うんだけどなあ。リングの上には、別に掃除するようなものはないと思う。まあ、プロレス自体、わざとらしいと思うけど。それに、もう『力道山』がいなくなって、プロレスって、つまらなくなったんじゃないの?」
と、ビエール少年は、冷めた言葉を返した。
ビエール少年は、テレビでプロレスを見ることは少なくなっていた。プロレスを見たい訳ではなかったが、親が金曜日の夜8時になると、プロレス中継にチャンネルを合わせていたので、一緒に見ることになっていたのだ。
しかし、何年か前に(1963年である)、『力道山』が亡くなってからは、親も以前程には、プロレスを見ることが少なくはなっていたのだが、ビエール少年は、ロープに飛ばされたレスラーが、わざわざはね返ってきて、相手レスラーの攻撃を受けるなんておかしい、と元々、興味はなかったのだ。
「何、云いよるんならあ!」
隣席(右隣)の男子生徒は、声を荒げた。
(続く)
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