「(ふぁ~あ…)」
ビエール少年の顔が、自らの顔を近付いた隣席(ビエール少年の左隣)の女子生徒は、鼻を上向け、眼を泳がせた。1967年4月、広島市立牛田中学校1年X組の数学の授業で、他の生徒が解けなかった問題を、ビエール少年が、教師に示され、難なく黒板上で解いてみせ、教師やクラスの生徒たちの称賛を得ながら、席に戻ったところであった。
「(ああ~!これじゃ、アメリカの匂いじゃ)」
と、その日の朝食でも、極めて日本人らしく納豆を食してきたビエール少年を、そうとも知らず、アメリカ帰りの少年と決めつける隣席(左隣)の女子生徒は、そう、ビエール少年が、広島に引っ越してきた日、広島駅から乗った青バス(広電バス)に乗り合わせたあの少女であった。
「(やっぱり『バド』じゃ)」
ビエール少年を当時(1960年代である)、人気のあったアメリカのテレビ映画『パパは何でも知っている』の長男『バド』のように捉えた少女、『トシエ』である。
そして…
クラスの他の女子生徒たちも、ビエール少年のことを、
「アメリカに長うおったんじゃろうねえ」
「アメリカの小学校、卒業したんじゃろう」
「なんか日本人じゃないような顔しとらん?」
「お父さんかお母さん、アメリカ人じゃないん?」
「おじいちゃんかおばあちゃんがアメリカ人じゃったんかもしれんよ」
と、さすがにアメリカ人少年とは思わないものの、アメリカ帰りと信じ込んでいたし、それも無理からぬところではったのだ。
それは……
「トンミーい」
英語の授業でも、教師が、数学の教師同様、ビエール少年を指名するからであった。
(続く)
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