「トンミーい」
数学の教師が、そのクラスの教室の最後列中央の席で、背中に棒でも入れたかのように背筋を伸ばして座る生徒を、指差しながら呼んだ。1967年4月、広島市立牛田中学校1年X組の教室であった。
「おい、これ解いてみい」
黒板に書かれた問題を解くよう、ビエール少年を指名した。黒板の横には、その問題を解けず、頭を掻きながら佇む別の生徒がいた。
「はい」
落ち着いた声で返事をしたビエール少年は、穏やかに席を立ち、問題を解けず席に戻る生徒とすれ違いながら、前に進み出て行った。
「また、トンミーくんじゃ」
生徒に一人が、そう云い、他の生徒たちも頷いた。まだ、入学して1ヶ月も経っていなかったが、数学の教師は、生徒たちが解けずにいる問題があると、すぐにビエール少年をあて、解かさせるようになっていたのだ。
「🎵スラスラスラ~」
チョークが黒板を滑る音が、何かの音楽のように聞こえ、女子生徒たちの眼は半開きとなり、その音楽に合せ、頭は緩やかに円を描くように揺れた。
「はい、できました」
ビエール少年は、チョークを黒板の粉受けに置き、教師に顔を向けると、静かにそう云った。
「おお、ほうじゃ。正解じゃ。トンミーには簡単過ぎたかのお」
と、教師は、満足感に崩れた顔をビエール少年に向けたが、ビエール少年は、謙虚に俯くだけであった。
(続く)
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