「(プロレスが、八百長だろうが、タンバリンを叩こうが、どうでもいいのに…)」
と、ビエール・トンミー氏が、部屋の壁に目を遣りながら、友人のエヴァンジェリスト氏にどうメッセージを打とうかと思案していたが、エヴァンジェリスト氏の方は、構わず、持論を続けるiMessageを送ってきた。
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「日本のプロレスも今はもう、そうじゃあないかあ、思うんよ。あまり見んし、見る機会も殆どないんじゃが、インディ団体のプロレスはそうじゃあないかあ思うし、メジャー団体でもそうじゃけえ」
「ワテは、『猪木』と『馬場』くらいしか知らへんで」
「私見なんじゃけど、『馬場』の頃の『全日本プロレス』は、当時から『そう』じゃと思うとったしし、『猪木』以後の『新日本プロレス』じゃって、『そう』じゃあ思うんよ。『長州力』が一時、新日本プロレスで権力を持ってしきっとったけど、ワシからすると、『長州力』の最大の罪は、ハイパー・レスリングながらも、『新日本プロレス』に『コリア・グラフト・タンバリン』的な要素を強く入れ過ぎたことじゃあ、思うとるんよ」
「ああ、『長州力』いうんは、知らんこともなかったのお。最近、テレビでよう出とるような気もするが、何云うとるんか、聞き取れん奴っちゃな、確か」
「でものお、『長州力』の頃の『新日本プロレス』は、今からしたらまだマシじゃったあ、思うんよ。今の『新日本プロレス』は、もう完全に『猪木』の『新日本プロレス』とは違うけえ。レスラーたちは、そりゃ、一所懸命『プロレス』しとるんよ。もの凄う危ない無茶苦茶な技もようけ使うけえ、それはそれで止めときんさいやあ、いう感じなくらいなんじゃけど、レスラーたちには悪いんじゃが、全然、心が打たれんのよ。どうしてかあ、云うたら、『コリア・グラフト・タンバリン』じゃけえなんよ。『戦い』がない、いう云い方もあるんじゃけどね」
「タンバリン持って戦おうても戦わんでも、ワシには、どっちでもエエで」
「『コリア・グラフト・タンバリン』の度を超すと、何だか相撲の『しょっきり』のようにも見えてしまうんよ」
「何や、『しょっきり』て?」
「ああ、『しょっきり』はのお、相撲の見せもんで、相撲の禁じ手を面白可笑しゅう紹介してみせるもんなんよ」
「ああ、そう云うたら、テレビで見たことあんような気もするで」
「今のプロレスは、『しょっきり』みたいなプロレスじゃけえ、ビデオ録画した試合を見る時、もう何年もワシは、1.3倍速で見とるんよ。つまらんけえ」
「そこまでして見んでもエエんやないか?」
「プロレスはのお、今云うたように、『見せる』要素があるし、殺し合いじゃあないけえ、一種の予定調和、というか、暗黙の諒解がプロレスにはあるんよ。じゃけど、それは、ある時、不意に破られるんよ。通常、暗黙の諒解の限界は超えのんじゃが、相手を潰しにかかるんよ。それで勝負が決るんよ。でもの、ここでいう『勝負』は試合の結果じゃあないんじゃけえね」
「何、云うとんのか、さっぱり分りまへんで」
「この辺の間合いが抜群にうまかったんが、『アントニオ猪木』なんよ。『猪木』の場合、暗黙の諒解の限界をこえることもしとったように思うんじゃけどの」
「アンサンの場合、暗黙の諒解も、明示の諒解もなんも、限界を超えとるで」
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「(そうなんだ。アイツは、限度というものを知らないんだ)」
と思いながら、ビエール・トンミー氏は、友人のエヴァンジェリスト氏が作るオゲレツという言葉では云い尽くせないヘドを吐きたくなるようなアイコラの数々を思い出した。
(続く)
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