2023年5月28日日曜日

チョコガム問題【非ハーバード流屁理屈論】(その136)

 


「(おーっと、危ない、危ない。また、アイツのペースに乗って、知りもしない『川崎敬三』の『アフタヌーンショー』を見る自分の姿を想像してしまうところだった)」


と反省したビエール・トンミー氏は、友人のエヴァンジェリスト氏に翻弄されないよう、『川崎敬三』とはまた別の人物を挙げるiMessageをエヴァンジェリスト氏に送った。



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「せやから、ワテ、『川崎敬三』て知らんのや。『アフタヌーンショー 』の司会いうたら、『桂小金治』やろ」

「そう、『アフタヌーンショー 』は、最初は、『榎本猛』いう、NECからRKB毎日放送に移籍しとったアナウンサーをNETに移籍させて司会にして、始めたんじゃそうじゃが、ワシ、この人、全然覚えとらん。1年もせん内に、『桂小金治』が司会になったんじゃそうじゃ」

「『桂小金治』の『アフタヌーンショー 』は、よう覚えとるが、何で落語家が?と思うたで」

「まあ、ワシの記憶にある頃は、とうに落語はしとらんかったと思うけどのお。映画なんかに出とったけえね」

「ワテも『桂小金』の落語見たことあらへんけど、名前が落語家やった。けど、確かに、ワテが『桂小金』を『アフタヌーンショー 』の前に知ったんも、ドラマや。『桂小金』いうたら、『ポンポン大将』や」

「おお、さすがじゃねえ。『ポンポン大将』のことはよう覚えとるん?ワシは、名前はよう覚えとるんじゃけど、内容は覚えとらんのんよ。『桂小金』が、ポンポン船の船長じゃったんは、後付けの記憶かもしれんけど、覚えとりはするんじゃけど」




「小学校行く前に見たで。ホンマにポンポンいう船やったで。モノクロの画面をよー覚えとるで」

『ポンポン大将』は、1960年-1963年に放送で、ワシ、小学校低中学年じゃったけえ、よう覚えとらんのかもしれん。兄のヒモくんは、確かよう覚えとった。ワシは、ポンポン船のことが微かに記憶にある程度じゃ。『桂小金治』は、ワシにとっては、『アフタヌーンショー』の司会じゃ」

「『アフタヌーンショー』では、涙もろい人やったなあ」

「『泣きの小金治』云われとった。アンタ、昔のゲーノー界のことなら、知らんでもないんじゃね」

「それはゲーノー界のことやのうて、当時の小学生の常識や。『桂小金治』は、好きじゃったん?」

「『桂小金治』は、『与件』みたいなモンで、そこにあるのが当り前のコト、いうか、当り前のモンやったさかい、好きも嫌いもなかったで」

「ああ、当り前のモンじゃけえ、『桂小金治』を『ヨケン』かったんじゃね」


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「(ふん!また、クダラン駄洒落か。折角、『与件』なんて、知的な言葉を使ってみせたのに)」


と、ビエール・トンミー氏は怒りを覚えながらも、『与件』という知性を感じさせる言葉が自分の口から自然と出てきたことに満足も覚えたのであった。



(続く)






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