「(今の後輩たちには申し訳ないというか、失礼かもしれないが、『広島皆実高校』は、ボクやアイツがいた頃は、もう少し有名大学に多く進学していたもんだ。だが、今は、『ハンカチ大学』や『OK牧場大学』に進学する者は殆どいないらしい。だから、ボクは、『広島皆実高校』出身とは云わない、いや、云えないんだ)」
と、ビエール・トンミー氏が、まさに失礼なことを思っていると、友人のエヴァンジェリスト氏から、遠慮することもなく、『広島皆実高校』の名前を出すiMessageが送られてきた。
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「でも、ワシの父親が定年退職した後に入ったんは、ワシの『広島皆実高校』の2年、3年の時の担任で社会科の『村木勉」先生じゃのうて『村井勉』さんじゃけえね」
「もうどうでもエエが、そうすると、アンサン、もっと面倒臭いこと云うさかい訊くけど、誰やその『村井勉』はんは?で、どこに入ったんや?」
「アンタも態とらしいのお。アンタくらいの頭脳があったら分るはずじゃろう。ワシの父親が定年退職した後じゃったあ、云うたじゃろがあ」
「あ!そういうことか!アンサンのお父はん、真面目な設計技師やったな」
「おお、ほうでえ。毎朝、早う起きて、会社に行く前に、数学の勉強をずーっとやっとった」
「そりゃ、アンサンとはえらい違いやな。アンサンは、毎朝、オゲレツBlog書いて、そこに貼るオゲレツいうか醜悪で面白うもないアイコラ作って、その日の13:00に公開予約しとんのやろ。誰も見いへんのに」
「いや、多分、世界で2人くらいは見とってじゃけえ」
「そないな物好き、どこの誰や、その2人?でも、問題はそこやないなあ。アンサンのお父はん、戦時中は、『戦艦大和』の設計もしてはって、『マツダ』でも設計技師してはったんやさかい、『村井勉』はんは、アンサンのお父はんと入れ替りで『マツダ』の設計技師になった人やな」
「アンタあ、いい加減にしてえや。何回云うたら分るん!?ワシの父親が勤めとったんは、『トーヨー』じゃけえ。『トーヨー』、つまり、『東洋工業株式会社』が『マツダ株式会社』になったんは、1984年で、父親が55歳で定年退職して10年近う後になってからじゃけえ、父親が勤めとったんは『トーヨー』なんよ」
「ごちゃごちゃ五月蝿い奴っちゃなあ。ブランドは、『東洋工業株式会社』時代から『マツダ』なんやから『マツダ』でもエエやないか」
「それに、『村井勉』さんは、『ヒモ』くんの先輩じゃけえ、設計できる訳ないじゃろうねえ」
「は?『村井勉』はんは、『ヒモ』くん、つまり、アンサンのお兄さん(次兄)の先輩なんか?ちゅうことは、広島の名門の『修道』卒業しはったんやな。でも、それでなんで、設計できる訳ない、云うことなんのや?」
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「(『修道』かあ……ボクも、『牛田中学』の時、担任の先生から『修道高校』を受けんか、と云われたけど、断った)」
と、ビエール・トンミー氏は、『牛田中学』での進路に関する面談で、自分が『修道高校』受験を断った時の担任のがっかりした様子と、担任ががっかりする理由が解せず、少し首を捻ったことを思い出した。
(続く)
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