2017年9月7日木曜日

『一振り2万円』(後編)[B-Files No.2]



※ ビエール・トンミー氏のアーカイヴ『B-Files』だ。


エヴァンジェリスト氏は、町内(翠町)の小学生ソフトボール・チームでは、控えの投手兼9番ライト、つまり、『ライ9』であったが、ビエール・トンミー氏は、それ以上であった。

「新入社員時代、最初に配属された工場にも野球部があった。新入社員はその野球部に「強制入部」させられた。ユニフォームも新調した。ふふ。背番号は『10番』であった

最高の友人であるが、最大のライバルでもあるエヴァンジェリスト氏が、自身のスポーツ劣等生ぶりを『売り』にしていることが悔しかった。

「昼休みは当然、毎日野球の『稽古』だ。近隣のチームや他の工場と試合をしていた。ポジョンは『可動のライト』。つまりメンバーが足りない時だけライトを守った。そう、『ライ10』だったのだ。エヘン」

独り自分の部屋で、妻に云うでもなく、他の誰に云うでもなく、ビエール・トンミー氏は、独り言ちた。

「福岡工場まで遠征した時、何故か『可動のライト』に打席に立つ機会があり、一球目をサード・ゴロにして目出度くアウトになった。これぞ、『ライ10』。エヘン!」

もう手がつけられない。誰が聞いている訳でもないのだが。

「打席はこの一回だけ。遠征費用が2万円だったから、『一振り2万円』也ということだ。エヘン!」

……..そんな自慢は、ビエール・トンミー氏自身以外の誰も知る由もなかった。




しかし、どこで聞きつけたのか、エヴァンジェリスト氏からビエール・トンミー氏に電話が入った。

「君もスポーツ音痴であったのだってな?」
「ど、ど、どうして、それを知っている?」
「ハハ、世界中が知っているさ。日本は勿論、フランスだって、オランダ、ベルギー、スペイン、ポルトガル、カナダ、ブラジルだってどこだって、君が『ライ10』だっていうことは、もう評判になっているのさ」
「どうしてだ?」
『一振り2万円』だそうではないか!」
「ああ、その通りだ。エヘン!」

疑問解明はどうでもよくなり、ビエール・トンミー氏は、友に自慢を始めた

「打撃練習で20球くらいのボールを総て空振りにしてバッター・ボックスを出た際に思ったのは、『ああ、世間体が悪い』ということであった。こんな選手が遠征に出た場合『一振り2万円』になるのも必然であったのだ。エヘン!」
「いやはや、20球くらいのボールを総て空振りとは、私に勝るスポーツ劣等生だな。思わず笑っちゃったぜ。要は、君の『珍宝』を振ってもらうのに、『一振り2万円』なんだな?」



どうやらエヴァンジェリスト氏が電話をしてきた真意が透けて見えてきたように思えたが、ビエール・トンミー氏は、俯いて答えた。

「かつては、『原宿の凶器』とも呼ばれたものであったが、最近は振らんから分からぬ」
「おお、友よ、それはいかんぞ。抜かぬ刀はさび付いてしまうぞ」

『お下劣』優等生の爺さん達だ。


(おしまい)








2017年9月6日水曜日

『一振り2万円』(中編)[B-Files No.2]



※ ビエール・トンミー氏のアーカイヴ『B-Files』だ。


町内(翠町)の小学生ソフトボール・チームでは、控えの投手兼9番ライト、つまり、『ライ9』であったエヴァンジェリスト氏に対抗するように、ビエール・トンミー氏は、呟いた。

「いや、ボクの方こそ…..」

エヴァンジェリスト氏は、最高の友人であると共に、最大のライバルでもあるのだ。

エヴァンジェリスト氏は、自身のスポーツ劣等生ぶりを『売り』にしているようではないか。それが悔しかった。




「ボクは、『ライ9』以上だったのだ」

独り自分の部屋で、妻に云うでもなく、他の誰に云うでもなく、ビエール・トンミー氏は、独り言ちた。

「新入社員時代、最初に配属された工場にも野球部があった。新入社員はその野球部に「強制入部」させられた。ユニフォームも新調した」

そこで、ビエール・トンミー氏は、

「ふふ」

と笑った。

「ふふ。背番号は『10番』であったのだ」

ビエール・トンミー氏の目は、遠くを凝視めていた。遠い過去に想いを馳せていた。

「昼休みは当然、毎日野球の『稽古』だ。近隣のチームや他の工場と試合をしていた。ポジョンは『可動のライト』。つまりメンバーが足りない時だけライトを守った。そう、『ライ10』だったのだ。どうだ!『ライ9』以上だろう!エヘン!」



ビエール・トンミー氏は、自慢げだ。

「ライトを守った、とは云っても、実際は全然守れなくエラーばかりしていた。なにしろ、『ボールよ飛んで来るな来るな』と必死に願っている外野手の所にボールが飛んで来た場合、捕れるワケがない。エヘン!」

スポーツ劣等生ぶりは、自分の方がウエだ、とばかりの自惚れ爺さんだ。

「福岡工場まで遠征した時、何故か『可動のライト』に打席に立つ機会があり、一球目をサード・ゴロにして目出度くアウトになった。これぞ、『ライ10』。エヘン!」

もう手がつけられない。誰が聞いている訳でもないのだが。

「打席はこの一回だけ。遠征費用が2万円だったから、『一振り2万円』也ということだ。エヘン!」


(続く)






2017年9月5日火曜日

『一振り2万円』(前編)[B-Files No.2]



※ ビエール・トンミー氏のアーカイヴ『B-Files』だ。


小学6年生のエヴァンジェリスト氏が、町内(翠町)の小学生ソフトボール・チームでは、控えの投手兼9番ライト、つまり、『ライ9』であったことを知り、ビエール・トンミー氏は、ひとしきり笑った。

「情けない奴だ、へへへへへへ!」




ライトに飛んできたフライは毎回、万歳をして後ろに球を逸らし、打席に立つと、これも毎度、3球3振だなんて、笑止千万だ。

エヴァンジェリスト氏は、最高の友人であるが、滑稽なものは滑稽と云うしかない。

しかし、なんだか悔しい。

エヴァンジェリスト氏は、自身のスポーツ劣等生ぶりを『売り』にしているようではないか。

エヴァンジェリスト氏は、最高の友人であると共に、最大のライバルでもあるのだ。

「いや、ボクの方こそ…..」

ビエール・トンミー氏は、口の端をやや歪めながら呟いた。

「ボクは、『ライ9』以上だったのだ」




(続く)



2017年9月4日月曜日

ヘイズ(世界記録)に並んだ(後編)[B-Files No.1 ]



※ ビエール・トンミー氏のアーカイヴ『B-Files』だ。


「しかし、ボクだって…..」

最高の友人にして最大のライバルであるエヴァンジェリスト氏が、小学6年生の時、50m走で「6秒9」という驚異の記録を出していたことが悔しいビエール・トンミー氏は、口の端をやや歪めながら呟いた。

「ボクは、ヘイズに並んだんだ」




独り自分の部屋で、妻に云うでもなく、他の誰に云うでもなく、独り言ちたのだ。

「ボクは、『10秒0』という記録を出したのだ。小学4年生の時だ」

ビエール・トンミー氏が小学4年であったのは(勿論、エヴァンジェリスト氏も小学4年生であった)、1960年である。

だから、『10秒0』というその記録をよく覚えているのだ。

1960年は、東京オリンピックの開催された年であった。

その東京オリンピックの100m走で、アメリカのヘイズ選手が出した世界タイ記録が『10秒0』であったのだ。

「皆、驚くであろうが、これは『事実』なのだ」

誰が聞いている訳でもないのに、ビエール・トンミー氏はムキになっていた

「誰がなんと云おうと、ボクは、ヘイズに並んだんだ。ヘイズとどうタイムを出したのだ」



そうだ、その通りだ。ビエール・トンミー氏は正しい。

ビエール・トンミー氏は、小学4年ながら『10秒0』という記録を出したのだ。

そして、『10秒0』は、東京オリンピックの100m走で、アメリカのヘイズ選手が出した世界タイ記録と同タイムだ。

しかし、ビエール・トンミー氏が、独り言ながら、口にしていない『事実』があった。

ビエール・トンミー氏の、いや、小学4年生のビエール・トンミー君の記録は、50m走でのものであったのだ。

だから、ビエール・トンミー君が『10秒0』の記録と打ち立てた時、先生も同級生もどよめかなかった。

「距離は半分だけど、記録は同じだ」

と、ビエール・トンミー君自ら独り、何故か誇らしく思っただけであったのだ。


(おしまい)



2017年9月3日日曜日

ヘイズ(世界記録)に並んだ(前編)[B-Files No.1 ]



※ ビエール・トンミー氏のアーカイヴ『B-Files』だ。


小学6年生のエヴァンジェリスト氏の記録を知り、ビエール・トンミー氏は、ひとしきり歯ぎしりをした。




50mを「6秒9」は、悔しいが驚異的な記録だ。

エヴァンジェリスト氏は、最高の友人だ(正しくは唯一人の友人だが)。

しかし、最高の友人であると共に、最大のライバルでもあるのだ。

ビエール・トンミー氏も、エヴァンジェリスト氏同様、ほぼ勉強は万能であった。

だから、エヴァンジェリスト氏が、フランス文學界の最高峰のOK牧場大学大学院の修士課程を修了したのに対し、ビエール・トンミー氏は、OK牧場大学の一番のライバル校であるハンカチ大学の商学部を卒業しているのだ。しかも、フランス語経済学では、『優』を取っているのだ

そのライバルが、小学6年生の時、50m走で「6秒9」という驚異の記録を出していたとは………

「しかし、ボクだって…..」

ビエール・トンミー氏は、口の端をやや歪めながら呟いた。

「ボクは、ヘイズに並んだんだ」





(続く)



2017年9月2日土曜日

見てはいけないもの(その4)[M-Files No.1 ]



1966年のこと、広島市立皆実小学校6年生たちは、戸惑った。

同じ6年生のエヴァンジェリスト君が、やはり6年生のイダテン君と同タイムの50m走「6.9秒」という驚異的な記録を出したのだ。

スポーツ万能であったイダテン君に対し、エヴァンジェリスト君は、勉強は万能であったが、スポーツは万能ではなかったからである。

見てはいけないものを見てしまったのだ。

エヴァンジェリスト君は、スポーツ劣等生であった。しかし、エヴァンジェリスト君にも『言い分』はあった。

水泳では、25mを泳ぎきることはできなかったが、小学3年まではむしろ水泳は得意であったのに、ある時、バタ足の競泳で隣の子とぶつかり、足をついてしまうという『事故』が、エヴァンジェリスト君を水泳を嫌いに、苦手にしてしまった。

足をついたのは隣の子とぶつかったからなのに、それを見ていなかった先生から、

「おい、エヴァ!なんだよ、お前。そのくらいしか泳げないのに、なんで3本線なんだあ!」(水泳帽の3本線は、まずまずの等級の印であった)

と云われてしまったのだ。それがトラウマになったのだ。

エヴァンジェリスト君は、住んでいる町内(翠町)の小学生ソフトボール・チームでは、控えの投手兼9番ライトであった。『ライ9』であった。

しかし、ただの『ライ9』であった訳はなかったのだ。




エヴァンジェリスト君が、『ライ9』であることは妥当であった。

守備機会は殆どなかったが、稀にフライが飛んでくると、万歳をして後ろに球をそらすのが常であった。

その度に、チーム・メイトと応援の家族たちから、ため息が漏れた。

しかし、エヴァンジェリスト君はフライの捕り方を教えてもらっていなかったのだ。

フライは、体の前で捕球しないといけない。しかし、そんなことは誰も教えてくれなかった。なまじ足の速いエヴァンジェリスト君は、フライに対し敏捷に反応し、フライの球にあっという間に追いつくのだ。つまり、球の真下まで行ってしまうのだ。

そうすると、頭上で捕球することとなり、万歳状態となり、球はエヴァンジェリスト君の頭上を通り過ぎていくのだ。

後年、フライは、体の前で捕球しないといけない、と教えてもらってからは、フライの球を万歳をして後ろに逸らすことはなくなった。

理論をきちんと教えてもらっていれば、守備が下手であることはなかったのだ。

尤も、他の子たちも、今時と違い、野球理論を教えてもらうことはなかったのに、エヴァンジェリスト君のような守備はしていなかったので、エヴァンジェリスト君の言い分も妥当とは言い難いかもしれない。

打撃についても理論を教えてもらっていなかったからだ、とエヴァンジェリスト君は云う。

目を球から離さず、つまり球をよく見てバットを振らないとならないのに、そんなことは知らない(教えてもらっていない)エヴァンジェリスト君は、投手が球を投げたら、それがどんな球であれ、思い切りバットをスイングさせた。

ストライクであろうとボールであろうと、総ての投球に対して、思い切りバットをスイングさせた。それも、球なんか見ることなく、である。

だから、バットが球に当たる訳がない。殆どの打席が、3球3振だ。

※ 写真と本文とはあまり関係ありません。

後年、目を球から離さず、つまり球をよく見てバットを振らないと知ってからは、エヴァンジェリスト君はむしろ強打者となった。長打さえ打てるようになった。

或いは、足の速さを活かそうと、セイフティ・バントを試みることも多かった。その為に、右打者であったエヴァンジェリスト君は、左打席に立つようにもなった。スイッチ・ヒッターである。

既に皆さん、ご存じの通り、エヴァンジェリスト君の足はとにかく速い。だから、セイフティ・バントはほぼ100%成功する。

という次第なので、エヴァンジェリスト君は、小学生の頃、打撃がダメだったのも守備と同様、理論をきちんと教えてもらっていなかったからだ、と主張する。

しかし、それも守備の場合と同じで、他の子たちも、今時と違い、打撃理論を教えてもらうことはなかったのに、エヴァンジェリスト君のような打撃はしていなかったので、エヴァンジェリスト君の言い分も妥当とは言い難いと思う。

ただ、『ライ9』のエヴァンジェリスト君も、小学生当時、試合でチーム・メイトや応援の家族たちをどよめかせたことがあった。たった一度だけだけれども、周囲の者たちを感嘆させたことがあったのだ。

それは、広島市の小学生ソフトボール大会であった。

『ライ9』のエヴァンジェリスト君はチームのお荷物であったが、チーム自体は強豪であった。

予選を順調に勝ち上がって行った。幸いに、ライトに球は一度も飛んでこなかった。エヴァンジェリスト君の打席はいずれも3球3振であったが、それでも、チームは、決勝まで勝ち進んだ。

そして、決勝も僅差の勝負となっていた。

しかし、後攻のエヴァンジェリスト君のチームは、9回の表までで『1-3』で負けていた。

9回裏、ヒットは出ず、2アウトまできた。

さて、そこでバッター・ボックスに立ったのは、我らがエヴァンジェリスト君である。

観客席は沈み込んだ。ベンチでは皆、俯いていた。

だって、バッターは、3球3振しかしないエヴァンジェリスト君なのだ。勝負は見えている。

そして、皆の予想通り、エヴァンジェリスト君は、思い切りだけはいいスイングで空振り2回、2ストライク・0ボールとなった。

観客席の人たちも帰路につくべく、腰を浮かせ始めた。

その時である。その時、奇跡が起きた!

3球目が投げられた。エヴァンジェリスト君はまた、球を見ることもなく、また思い切りスイングした。

勿論、球がバットに当たることはなかった。

「やっちまった。まあ、いつも通りだが」

とエヴァンジェリスト君が思った時、

「ワアー」

という歓声が起きた。

エヴァンジェリスト君は周囲を見回した。

「走れ!」

という声がベンチから飛んだ。キャッチャーが球を後逸したのだ。

エヴァンジェリスト君は一塁に向け、突進した。

速い!

振り逃げだ。エヴァンジェリスト君は、悠々セーフとなった。

観客席は盛り上がった。腰を浮かせ始めていた人たちも再び、椅子にお尻をつけた。

次の打者がバッターボックスに立った。

投手が第1球を投げた。

その瞬間、エヴァンジェリスト君が二塁に向け、猛突進した。

盗塁だ!

盗塁のサインが出ていたわけではない。1960年代の子供ソフトボールでは、サインなんかそもそもなかったし、仮にサインがあったととしても、野球理論なんて全く持ち合わせないエヴァンジェリスト君は、サインを見ることはなかったであろう。

二塁に向け、猛突進したエヴァンジェリスト君は、これも悠々セーフであった。

エヴァンジェリスト君は猛烈に速かったのだ。捕手は、二塁に送球することもなかった。捕手は、9回の裏、2アウトでまさか盗塁するとは思っていなかったであろう。それに、走者は、『ライ9』の子だ。スポーツ音痴な少年なのだ。

観客席もベンチも更に盛り上がった。

相手チームは呆然としていた。

「なんだ、アイツは」

という目で二塁ベース上に立つエヴァンジェリスト君を見た。

エヴァンジェリスト君は、胸を張った。そして、いい気になった。

投手は、第2球を投げた。

その時、またまた、まさかなことが起きた。

エヴァンジェリスト君が、三塁に向け、猛突進したのだ。

また盗塁だ!

今度も、エヴァンジェリスト君は猛烈に速かった。捕手は、やはり三塁に送球することもなかった。

悠々セーフであった。

観客席もベンチも更にどよめいた。

三塁ベース上でエヴァンジェリスト君は、更に胸を張っていた。

そのままだと本盗もしかねない状況、雰囲気であった。

そして、投手は第3球を投げた。

エヴァンジェリスト君は、今度は、本塁に向け、猛突進した。

しかし、今度は事情が違った。

バッターが打球を打ち返したのだ。打球は、三遊間に転がり、レフト前に抜けた。

レフトが捕球する頃には、エヴァンジェリスト君はとっくにホームを駆け抜けていた。

大歓声だ!『2-3』となった。

9回裏、2アウト、2ストライク・0ボールからの大反撃であった。

こんなことがあるのか!エヴァンジェリスト君が起こした奇跡であった。

この後、次の打者がアウトとなり、エヴァンジェリスト君のチームは、結局は負け、準優勝で終ったが、チームも応援の人たちも大満足であった。

驚異の粘りを見せたのだ。

あの『ライ9』のエヴァンジェリスト君が、『奇跡』を起こしたのだから。

しかし、冷静に見ると、それは捕手の後逸があったからであり、通常で云うと、2度の盗塁は無謀であったであろう。

1966年当時、エヴァンジェリスト君が、スポーツ劣等生であったことに変りはないのだ。

だから、エヴァンジェリスト君が、50m走で「6.9秒」という記録を出し、それが、スポーツ万能のイダテン君と同タイムであったことに、広島市立皆実小学校6年生の子供たちは、戸惑ってしまったのだ。

広島市立皆実小学校6年生の子どもたちは、見てはいけないものを見てしまったのである。

そして、その1966年、広島市立皆実小学校4年生のある女子児童も、見てはいけないものを見てしまったのであった……..



(続く)





見てはいけないもの(その3)[M-Files No.1 ]



1966年のこと、広島市立皆実小学校6年生のエヴァンジェリスト君は、50mを「6.9秒」で走った。

同級生たちは困った。エヴァンジェリスト君の取扱いに困った。

同じ日、同じ皆実小学校6年生のイダテン君も50mを「6.9秒」で走った。

スポーツ万能のイダテン君と同タイムの50m走「6.9秒」という驚異的な記録を出したエヴァンジェリスト君の取扱いに困ったのだ。

エヴァンジェリスト君は、勉強は万能であったが、スポーツは万能ではなかったのだ。

水泳では、25mを泳ぎきることはできなかった。

住んでいる町内(翠町)の小学生ソフトボール・チームでは、控えの投手兼9番ライトであった。『ライ9』であった。

エヴァンジェリスト君は、スポーツ劣等生なのであった。

エヴァンジェリスト君の同級生たちは、見てはいけないものを見てしまったのであった。




しかし、エヴァンジェリスト君にも『言い分』はあった。

確かに、水泳では、25mを泳ぎきることはできず、『カナヅチ』に近かったが、それには理由があったのだ。

小学3年生までは、水泳はむしろ得意であったのだ。

ビート板を使ったバタ足の練習も無難にこなした。

ビート板無しでのバタ足もきちんとこなせるようになった。

水泳の『級』も順調に上がっていった。水泳帽には、3本線の入る『等級』にまでなった。

しかし、ある時、バタ足での競泳があった際に、『事故』が起きた。

エヴァンジェリスト君は、隣を泳ぐ子とぶつかり、ほんの3-4mで泳ぎを止め、プールの底に足をつき、立ってしまったのだ。



「なんだよ」

という目で隣の子を見た。その時、

プールサイドにいた先生が云った。

「おい、エヴァ!なんだよ、お前。そのくらいしか泳げないのに、なんで3本線なんだあ!」

えええーっ!それはないです、先生。エヴァンジェリスト君はそう思った

隣とぶつかちゃったんです。エヴァンジェリスト君は、そう云いたかった。

しかし、エヴァンジェリスト君は、まだ小学3年生であった。先生に言い返すだけの強い気持ちを持っていなかった。

サラリーマンになり、何かあると、上司であろうと平気で言い返すようになったエヴァンジェリスト君も、小学3年生の頃は、まだまだウブであったのだ。

「そのくらいしか泳げないのに、なんで3本線なんだあ!」

と先生に言われのない叱られ方をされた時を境に、エヴァンジェリスト君は、水泳が嫌いになった。苦手になった。

エヴァンジェリスト君が、水泳で25mを泳ぎきることはできなくなったのには、そんな不幸な過去があったのだ。

そして、ソフトボール・チームでも、『ライ9』であったが、ただの『ライ9』であった訳はなかったのだ。


(続く)