2020年11月7日土曜日

バスローブの男[その9]

 


「ラブホテルって、温泉があるの?」


と、『マダム・トンミーとなる前のマダム・トンミー』は、人差し指を顎に当て小首を傾げた。同僚のトシ代と社内のエレベーター・ホールにいた。


「はああ!?」


トシ代は、口を開け、眉毛を拗らせ、不快感を隠さなかった。


「あなた、ラブホテル行ったことないの?!」

「あら、トシ代さんは、いらしたことあるの?」

「そりゃ、あるでしょ」

「やっぱり温泉はあったのかしら?」

「んもう!お風呂はあるけど、温泉はないわよ!」

「じゃあ、どうして『逆さクラゲ』なの?『逆さクラゲ』って、温泉マークのことなんでしょ?」

「うっ……知らないわよ、そんなこと!とにかく、『逆さクラゲ』はラブホテルのことなの!」

「じゃあ、あの2人、『逆さクラゲ』に一緒に入っても混浴はしなかったのね?」


『マダム・トンミーとなる前のマダム・トンミー』と同僚のトシ代は、会社の女性社員の憧れの的であるビエール・トンミー氏と人事総務部の古株女性社員『お局様』との噂について話しているのだ。


「温泉はないけど、お風呂はあるから、一緒に入ったんじゃあないの」

「んまあ!結婚もしていない男女が、一緒にお風呂に入るなんて!」






(続く)



2020年11月6日金曜日

バスローブの男[その8]



「あのねえ、いい加減にしてよ!」


『マダム・トンミーとなる前のマダム・トンミー』に、同僚のトシ代は、苛立ちを隠せなくなっていた。2人は、社内のエレベーター・ホールにいた。


「『逆さクラゲ』って温泉マークのことよ。クラゲを逆さにしたみたいでしょ」


苛立ちながらも、子どもに教えるように説明をする。


「あら、確かにそうだわ。トシ代さんって、面白い見方なさるのねえ」

「アタシが、『逆さクラゲ』って云ってるんじゃないわ。温泉マークのことを『逆さクラゲ』っていうのは常識よ」

「あら、アタシって無知ねえ。ごめんなさい。『逆さクラゲ』って、温泉で、スーパー銭湯じゃあないのね」

「だからあ、スーパー銭湯じゃあないけど、温泉でもないの!」

「え?だって、『逆さクラゲ』って、温泉のマークなんでしょ?」

「いいこと、『逆さクラゲ』って、『連れ込み宿』のことよ!」

「『連れ込み宿』?え、旅館なの?何を連れ込むの?犬でも連れ込むの?まさか何かの人質を!?そんな酷い旅館なの?」




「あなたって、もう、天然記念物ね。要するに、ラブホテルよ!」

「ええ!ええ、ええ、ええー!でも、どうして、『逆さクラゲ』が、ラブホテルなの?」

「ラブホテルは知ってるのね」


トシ代は、ようやくホッとした表情を見せた。


(続く)



2020年11月5日木曜日

バスローブの男[その7]

 


「レンタルルームだけじゃないのよ」


顔を紅潮させた『マダム・トンミーとなる前のマダム・トンミー』に対し、同僚のトシ代が、追い討ちをかけるように、言葉を被せていった。ビエール・トンミーと人事総務部の『お局様』との噂である。


「池袋西口で、『逆さクラゲ』から出てくるところを見た人もいるんですって」


同僚のトシ代は、年齢に似合わぬ古臭い表現を使った。


「え?クラゲ?あの2人、クラゲ料理のお店から出てきたの?」


マダム・トンミーは、真顔で訊いた。


「あなた、巫山戯てるの?」

「だって、クラゲって…中華料理かしら?トンミーさんって、中華料理がお好きなのかしら?」

「カマトトって、あなたの為の言葉ね。温泉マークよお」

「温泉マーク?」

「そうよ、温泉マーク。湯気が3本立ってるやつよ」

「ああ、知ってるわ。温泉の入り口の暖簾なんかに書いてあるマークね。あの2人、一緒に温泉に行ったの?ま、まさか混浴!?」




「違うけどお….まあ、違わないような…」

「混浴だなんて、イヤらしいわねえ」

「『逆さクラゲ』で一緒にお風呂に入ったかもね」

「ええ?ええ?中華料理店を併設した温泉なの?スーパー銭湯みたいなものなの?」


(続く)



2020年11月4日水曜日

バスローブの男[その6]

 


「2人でレンタルルームに入るところを見たって人いるみたいよ」


マダム・トンミーとなる前のマダム・トンミーに、同僚のトシ代が、噂話を囁いていた。ビエール・トンミーと人事総務部の『お局様』を歌舞伎町で見かけたという社員の話である。


「え?レンタルルーム?」


同僚のトシ代の口調には明らかに淫靡のニュアンスがあったが、マダム・トンミーは、『レンタルルーム』なるものを知らなかった。


「2人でお部屋探し?」






「あら、知らないの?ホテル代りよ。レンタルルームによるけど、30分で1,000円とか60分で1,500円とかもあって安いのよ」

「あら、そうなの。トシ代さん、お詳しいのねえ」

「え、まあ、そのねえ、ええ、短時間で済ませるときには、ホテルより手軽でいいみたいよ。ま、聞いた話ではね」

「ん?済ませる?...って、何を?」

「あなたって…本当にお嬢様なのねえ」

「ええ?ええ?」

「男と女が2人だけで同じ部屋に入るのよ。そこですることって、決まってるでしょ」

「ま、ま、まあ!」


マダム・トンミーとなる前のマダム・トンミーの色白の顔が、みるみる紅潮した。


(続く)





2020年11月3日火曜日

バスローブの男[その5]

 


「(……見たわ、あの人のアソコを!んもう!)」


マダム・トンミーは、社内のエレベーター・ホールで、『お局様』が、夫(当時は、結婚前で、まだ夫ではなかったが)と2人で話している時に、手にしていた種類を態と落とし、ブラウスの谷間に夫の視線を誘導して、夫の体に『異変』を生じさせ、逆に自分の視線をその『異変』に向けたところを目撃したのだ。


「(あの時、同僚のトシ代がアタシに声を掛けなかったら、『お局様』、あの人に何をしたことだか!)」


同僚のトシ代が、マダム・トンミーの名前を呼んだので(当時は、まだ結婚していなかったので、旧姓で読んだのだが)、『お局様』は、エレベーター・ホールに他の社員がいると気付いたのだ。


「トンミーさん、今後は気を付けてね」


とキツい口調で、『お局様』は、如何にも若い男性社員に注意をしていただけよ、と見せかけたが、彼女の視線がまだ、夫の『異変』部分に向いていることをマダム・トンミーは、見逃さなかった。しかし…


「んぐっ!」


マダム・トンミーの視線も必然的に夫の『異変』部分に向き、彼女も、自らの体のどこかに『異変』が生じているような感覚に囚われた。


「あの2人、噂があるのよねえ」


エレベーター・ホールから立ち去る『お局様』とビーエル・トンミー氏の背を見ながら、トシ代が呟いた。


「歌舞伎町を2人で歩いてたって…」





(続く)



2020年11月2日月曜日

バスローブの男[その4]

 


「(あれは、年末調整か何かの書類の確認をしていただけだわ、きっと…)」


と思うことで、マダム・トンミーは、脳裡からアノ映像を消そうとしたが…


「(あの人、『お局様』の脚を見てたわ)」


社内のエレベーター・ホールで、『お局様』と夫(当時は、結婚前で、まだ夫ではなかったが)が、2人で話しているところを見かけたことがあったのだ。


「(そりゃ、あんな格好していると、殿方の眼は、どうしても向いてしまうわ。あの人だって…)」


『お局様』は、網タイツを履いていたのだ。





「(それに、あの時、『お局様』が書類を落としたのも、きっと態とだわ!)」


『お局様』が、夫と話している最中に、手にしていた書類を落とし、上半身を前傾させながら、それを拾ったのだ。


「(丸見えだったわ、絶対!だって、あんなに胸の開いたブラウスを着ているんだもの!)」


夫は、いや後に夫となる男の視線は当然のように、『お局様』の胸の谷間に落ちていた。


「んぐっ!」


夫の体のどこかに『異変』が生じたのを本能的に感じ取った。


「(『お局様』も…)」



(続く)



2020年11月1日日曜日

バスローブの男[その3]



「(でも、あの噂だけはガセだったと思う)」


マダム・トンミーは、同じ会社に勤めていた結婚前の夫の女性に関する噂を思い出していた。色々な部署の女性や取引のある会社の女性との噂の中でも、今でも信じたくない噂があった。


「(だって、あの人、若い娘が好きだもの)」


10歳も歳下の自分を結婚相手に選んだことから、そのことに確信はあった。けれど……


「(まさか『お局様』となんて!)」


『お局様』は、人事総務部の古株の女性社員であった。


「(だって、もう50歳を過ぎていたはずだわ。そんな『お局様』となんて…)」


と思いはするものの、今も胸騒ぎがするのを止めることができない。


「(確かにお綺麗ではあったけど…)」


『お局様』は、美人であった。今で云うと、『美熟女』だ。独身であった。




「(若い男性社員の中にも、『お局様』を物欲しそうに見る子たちがいたけど…)」


専務の『元カノ』だったとも云われ、社長とも『関係』を持ったことがあると聞いたこともある。『お局様』は、役員秘書をしていたこともあった。


「(フケツだわ!『お局様』とあの人がなんて!)」


『お局様』と夫とのことは、単なる噂に過ぎず、それも、もう30年も前のことであったが、マダム・トンミーの脳裡には、未だに消すことのできない映像があった。



(続く)