2022年5月2日月曜日

【牛田デラシネ中学生】変態の作られ方[その216]

 


「『さんま』が、『秋』の『刀』の『魚』と書かれるようになる前も、『さんま』の漢字はなくはなかったんだ」


と、『少年』の父親は、『少年』の質問に答える。『牛田新町一丁目』のバス停を背にし、家族と共に、自宅へと向っているところであった。


「例えば、『夏目漱石』は、漢数字の『三』に『馬』と書いて、『さんま』としているし、江戸時代に書かれた『本朝食鑑』(ほんちょうしょっかん)という食物に関する本には、漢数字の『三』に『摩擦』の『摩』と書いて、『さんま』としているようなんだ」


と、『少年』の父親は、またしても博識ぶりを見せた。


八丁堀から牛田まで、随分、時間がかかったような気がする、と『少年』は疑問に思ったのであった。八丁堀から牛田まではバスで10分から15分くらいしかかからないのに、そんな時間ではとてもし切れない程のボリュームの話を父親から聞いたことを訝しく思い、その疑問に対し、『少年』の父親は、『アインシュタイン』の『相対性理論』を持ち出し、時間の進み方が遅かったのかもしれない、と答えた。しかし、『少年』はまだ納得できていないからか、『少年』の父親は、『閏年』があること、更には、『閏年』になるはずの年でも『閏年』にならない年もあることから、『1年』という時間は一定ではないと主張したものの、『少年』は、どこか誤魔化されている感を拭えないでいた。そこで、『少年』の父親は、日付変更線を越えることで、『昨日』にも『明日』にも行ける、と説明したかと思ったら、次に、1時間だけだが、日付変更線を越えなくても、『未来』や『過去』に行ける、とまで云い出した。それに対し、『少年』は、未来や過去を絵に描けばいい、そして、その未来を予見するには、自らが未来を創ればいい、と主張し、その慧眼に『少年』の父親は、驚きと共に喜びを表したが、またまた、アメリカやイタリア等は、強制的に1時間先の未来に連れて行かれたり、1時間昔に戻されたりすることがある、それも一瞬にして、と謎のようなことを云い出し、日本でもかつてそうであったことがあり、『4月か5月の第1土曜日の夜中24時に、1時間先の未来に連れて行かれ、9月の第2土曜日の25時になると、1時間昔に戻される』と法律で決められていたと説明した。しかし、『少年』には、『1時間先の未来に連れて行かれ、1時間昔に戻される』その『間』が何であるのか、理解できず、父親に訊いたところ、『サンマータイム』という返事があり、そこから『秋刀魚』という漢字の由来、『佐藤春夫』の詩『秋刀魚の歌』へと話は派生していっていたが、今また、

『さんま』を漢字でどう書くのか、という質疑に戻っていた。


「ふううん、『さんま』に、魚偏の漢字はなかったの?」

「なくはなかったんだ」

「魚偏に『秋』って書くの?」


『少年』は、頭の中で『鰍』という文字を思い浮かべた。


「それは、『カジカ』だ」

「んふ?『カジカ』って、カエルじゃないの?」

「ああ、『カジカ』は、そうだ、『カジカガエル』といってカエル一種だな。でも、それは、『河』(さんずいがわ)に『鹿』って書くんだ。魚偏に『秋』ノ『カジカ』は、魚で、鳴くというか、何か音を出すようで、それが『カジカガエル』に似ているから、そういう名前になったともされているらしい」

「でも、どうして、魚偏に『秋』なの?秋に獲れて美味しいから?」

「はっきりは知らないが、確かに、秋に獲れるからともされているし、実は、『ドジョウ』に似ているからともされているようだ」




「ええ?どうして、『ドジョウ』に似ていたら、魚偏に『秋』になるの?」

「ああ、すまん、すまん。説明が抜けていたな。中国では、魚偏に『秋』と書く魚は、『ドジョウ』なんだよ。尤も、中国の『ドジョウ』は、日本の『ドジョウ』とは違う、と聞いた気もするが...」

「じゃあ、結局、『さんま』は、魚偏では、どんな漢字なの?」



(続く)




2022年5月1日日曜日

【牛田デラシネ中学生】変態の作られ方[その215]

 


「『さんま、さんま さんま苦いか塩つぱいか』だなあ」


と、『少年』の父親は、歌うように、呟くような言葉を『少年』に向けた。『牛田新町一丁目』のバス停を背にし、家族と共に、自宅へと向っているところであった。


「え?」

「『秋刀魚の歌』だ。『佐藤春夫』の詩だ」


と、『少年』の父親は、秋刀魚を食べた時のように、少し苦い表情を浮かべ、そう云った。


八丁堀から牛田まで、随分、時間がかかったような気がする、と『少年』は疑問に思ったのであった。八丁堀から牛田まではバスで10分から15分くらいしかかからないのに、そんな時間ではとてもし切れない程のボリュームの話を父親から聞いたことを訝しく思い、その疑問に対し、『少年』の父親は、『アインシュタイン』の『相対性理論』を持ち出し、時間の進み方が遅かったのかもしれない、と答えた。しかし、『少年』はまだ納得できていないからか、『少年』の父親は、『閏年』があること、更には、『閏年』になるはずの年でも『閏年』にならない年もあることから、『1年』という時間は一定ではないと主張したものの、『少年』は、どこか誤魔化されている感を拭えないでいた。そこで、『少年』の父親は、日付変更線を越えることで、『昨日』にも『明日』にも行ける、と説明したかと思ったら、次に、1時間だけだが、日付変更線を越えなくても、『未来』や『過去』に行ける、とまで云い出した。それに対し、『少年』は、未来や過去を絵に描けばいい、そして、その未来を予見するには、自らが未来を創ればいい、と主張し、その慧眼に『少年』の父親は、驚きと共に喜びを表したが、またまた、アメリカやイタリア等は、強制的に1時間先の未来に連れて行かれたり、1時間昔に戻されたりすることがある、それも一瞬にして、と謎のようなことを云い出し、日本でもかつてそうであったことがあり、『4月か5月の第1土曜日の夜中24時に、1時間先の未来に連れて行かれ、9月の第2土曜日の25時になると、1時間昔に戻される』と法律で決められていたと説明した。しかし、『少年』には、『1時間先の未来に連れて行かれ、1時間昔に戻される』その『間』が何であるのか、理解できず、父親に訊いたところ、『サンマータイム』という返事があり、そこから『秋刀魚』という漢字の由来、『佐藤春夫』の詩『秋刀魚の歌』へと話は派生していっていたのである。


「ふううん、『さんま』が詩になるんだあ」

「ああ、『さんま』を独り食べながら、好きな女性とその娘と『さんま』を食べた時のことを詠った、切ない詩だ」

「『好きな女性とその娘』って、奥さんと娘?それが、切ないの?切ないって、なんだかよく分からないけど」

「ああ、『谷崎潤一郎』の奥さんと娘だけどな」

「『たにざき・じゅんいちろう』って、聞いたことあるような気はするけど」

「有名な小説家だ。『佐藤春夫』は、『谷崎潤一郎』の推薦で文壇デビューしたようなものだったんだ」

「へ?...お世話になった人の奥さん…?」

「んまあ、そこは色んなことがあったんだけど、結局は、『佐藤春夫』は、その『谷崎潤一郎』の奥さんと結婚したんだ。だが、問題は、『秋刀魚の歌』の内容ではなく、その漢字だ」


『少年』の父親は、『谷崎潤一郎』と『佐藤春夫』との間の、所謂、『細君譲渡事件』を、小学校を卒業したばかりの『少年』に説明するのを憚り、話を『秋刀魚』という漢字に戻した。




「『秋刀魚の歌』という詩の題名の『さんま』は、『秋』の『刀』の『魚』と書くんだが、『さんま』の漢字が、『秋』の『刀』の『魚』となって広まったのは、この『佐藤春夫』の『秋刀魚の歌』が切っ掛けだ、と云われているんだ」

「へええ、そうなんだ。じゃあ、それまでは、『さんま』には漢字はなかったの?」



(続く)




2022年4月30日土曜日

【牛田デラシネ中学生】変態の作られ方[その214]

 


「土曜日の25時?何、それ?そんな時間なんてないよ。それに、未来に連れて行かれるとか、1時間昔に戻されるとか、そんなことが、法律で決められたの?


と、『少年』は、父親に強く抗議的な質問をぶつけた。『牛田新町一丁目』のバス停を背にし、家族と共に、自宅へと向っているところであった。


「正確に云うと、『四月の第一土曜日の午後十二時から九月の第二土曜日の翌日の午前零時までの間』と云うことになるんだ、法律の条文ではな」


と、『少年』の父親は、法律を諳んじてみせた。


八丁堀から牛田まで、随分、時間がかかったような気がする、と『少年』は疑問に思ったのであった。八丁堀から牛田まではバスで10分から15分くらいしかかからないのに、そんな時間ではとてもし切れない程のボリュームの話を父親から聞いたことを訝しく思い、その疑問に対し、『少年』の父親は、『アインシュタイン』の『相対性理論』を持ち出し、時間の進み方が遅かったのかもしれない、と答えた。しかし、『少年』はまだ納得できていないからか、『少年』の父親は、『閏年』があること、更には、『閏年』になるはずの年でも『閏年』にならない年もあることから、『1年』という時間は一定ではないと主張したものの、『少年』は、どこか誤魔化されている感を拭えないでいた。そこで、『少年』の父親は、日付変更線を越えることで、『昨日』にも『明日』にも行ける、と説明したかと思ったら、次に、1時間だけだが、日付変更線を越えなくても、『未来』や『過去』に行ける、とまで云い出した。それに対し、『少年』は、未来や過去を絵に描けばいい、そして、その未来を予見するには、自らが未来を創ればいい、と主張し、その慧眼に『少年』の父親は、驚きと共に喜びを表したが、またまた、アメリカやイタリア等は、強制的に1時間先の未来に連れて行かれたり、1時間昔に戻されたりすることがある、それも一瞬にして、と謎のようなことを云い出し、日本でもかつてそうであったことがあり、それも法律で決められていた、とその法律の条文を『少年』に教えたのである。


「『までの間』って、どういうこと?『4月か5月の第1土曜日の夜中24時に、1時間先の未来に連れて行かれ、9月の第2土曜日の25時になると、1時間昔に戻される』ってことも全然、分らないけど、その『間』は何なの???」

「『サンマータイム』だ」

「は?『さんま』?4月か5月から9月でしょ?でも、『さんま』って、秋の魚だよね」




「そうだな、『さんま』は、『秋』の『刀』の『魚』と書くくらいだからな」

「うん、知ってる」

「でも、不思議に思わないか?」

「何が?」

「魚って、漢字で書くと、大体が、魚へんの一文字だろ。なのに、『さんま』は、どうして『三文字』で書くと思う?」

「ああ….そうだねえ…んん、『さんま』を『秋』の『刀』の『魚』と書くのは、『さんま』が『秋』に獲れて『秋』に美味しい、形が『刀』みたいな『魚』だからで、でも、それって当て字で、『さんま』の本当の漢字は、別にあるんじゃないの?魚へんの一文字の」

「ああ、確かに、『さんま』って、『秋』の『刀』の『魚』と書くようになったのは、そんなに昔のことじゃないらしい。『佐藤春夫』って知っているか?」

「え?『琴芝小学校』に佐藤くんって何人かいたけど、『ハルオ』って子はいなかったと思うけどお」

「いや、『佐藤春夫』は3年くらい前に亡くなっている。詩人で小説家だった人だ。芥川賞の選考委員もしていたんだ」

「へええ、そうなの。その『佐藤ハルオ』さんが、『さんま』を好きだったの?」

「うーんむう….」


と、『少年』の父親は、唸り出してしまった。



(続く)




2022年4月29日金曜日

【牛田デラシネ中学生】変態の作られ方[その213]

 


「未来はなあ、創らなくったって、もっと簡単に行けちゃうものなんだよ」


と、云いながらも、『少年』の父親は、何やら不本意という表情を『少年』に見せた。『牛田新町一丁目』のバス停を背にし、家族と共に、自宅へと向っているところであった。


「というか、強制的に1時間先の未来に連れて行かれたり、1時間昔に戻されたりすることがあるんだよ」

「強制的に?」

「ああ、こちらにそのつもりがなくても、だ。それも、一瞬にして、だ」

「えええ?また頓知?」


と、『少年』は、まるで少し前の過去にも出されたかのような感情を持った言葉を発した。


八丁堀から牛田まで、随分、時間がかかったような気がする、と『少年』は疑問に思ったのであった。八丁堀から牛田まではバスで10分から15分くらいしかかからないのに、そんな時間ではとてもし切れない程のボリュームの話を父親から聞いたことを訝しく思い、その疑問に対し、『少年』の父親は、『アインシュタイン』の『相対性理論』を持ち出し、時間の進み方が遅かったのかもしれない、と答えた。しかし、『少年』はまだ納得できていないからか、『少年』の父親は、『閏年』があること、更には、『閏年』になるはずの年でも『閏年』にならない年もあることから、『1年』という時間は一定ではないと主張したものの、『少年』は、どこか誤魔化されている感を拭えないでいた。そこで、『少年』の父親は、日付変更線を越えることで、『昨日』にも『明日』にも行ける、と説明したかと思ったら、次に、1時間だけだが、日付変更線を越えなくても、『未来』や『過去』に行ける、とまで云い出した。それに対し、『少年』は、未来や過去を絵に描けばいい、そして、その未来を予見するには、自らが未来を創ればいい、と主張し、その慧眼に『少年』の父親は、驚きと共に喜びを表したが、またまた強制的に1時間先の未来に連れて行かれたり、1時間昔に戻されたりすることがある、それも一瞬にして、と謎のようなことを云い出したのであった。


「いや、現実の話だ。今の日本ではないことだけどな」

「じゃあ、どこでなら、強制的に1時間先の未来に連れて行かれたり、1時間昔に戻されたりするの?」

「ああ、例えば、アメリカ、うん、アメリカ合衆国だな。一部の州はそうじゃないみたいだが。確か、イタリアもそうだったと思う。他にも、そういう国はあると思うぞ、日本だって、今は違うが、戦後少しした頃、確か、1949年からだったと思うが、3年くらいは、そうだったんだ。んまあ、なんか変な感じだったけどな」

「え?父さんも経験したことがあるの???」

「あるさ。母さんだってそうだし、その時は、日本人みんながそうだったんだからな」

「まさかあ!日本人みんなが、強制的に1時間先の未来に連れて行かれたり、1時間昔に戻されたりしたの?」

「そうだぞ。確か、最初の年、1949年は4月、それ以降は5月の第1土曜日の夜中24時に、1時間先の未来に連れて行かれ、9月の第2土曜日の25時になると、1時間昔に戻されたんだ。法律で決められたから、いいも悪いもなく、そうなったんだ」

「はああ?」


と、『少年』は、首を前に突き出し、更に、窄めた口を更に前に突き出し、驚きと疑問を体で表現した。




(続く)




2022年4月28日木曜日

【牛田デラシネ中学生】変態の作られ方[その212]

 


「ほほー、一体、どうやって『屏風の中の虎の退治』をするんだ?」


と、『少年』の父親は、反撃をしてきた『少年』に微笑みを返した。『牛田新町一丁目』のバス停を背にし、家族と共に、自宅へと向っているところであった。


「まさか、父さんに、『先ず、屏風の中の虎を出してくれ、そうしたら退治する』って云うんじゃなだろうな?」

「それじゃ、一休さんじゃない」

「ああ、屏風に描かれた虎の絵に、自分が虎を退治する姿の絵を描き加えるんじゃあないだろうな?」


と、『少年』の父親は、『少年』の心見透かしたような云い方をした。


八丁堀から牛田まで、随分、時間がかかったような気がする、と『少年』は疑問に思ったのであった。八丁堀から牛田まではバスで10分から15分くらいしかかからないのに、そんな時間ではとてもし切れない程のボリュームの話を父親から聞いたことを訝しく思い、その疑問に対し、『少年』の父親は、『アインシュタイン』の『相対性理論』を持ち出し、時間の進み方が遅かったのかもしれない、と答えた。しかし、『少年』はまだ納得できていないからか、『少年』の父親は、『閏年』があること、更には、『閏年』になるはずの年でも『閏年』にならない年もあることから、『1年』という時間は一定ではないと主張したものの、『少年』は、どこか誤魔化されている感を拭えないでいた。そこで、『少年』の父親は、日付変更線を越えることで、『昨日』にも『明日』にも行ける、と説明をしたのであったが、『少年』は、それは頓知だと批判しきた為、『少年』の父親は、今度は、1時間だけだが、日付変更線を越えなくても、『未来』や『過去』に行けるという、またもや頓知めいたことを云い出したので、『少年』は、自分は『屏風の中の虎の退治』ができる、と頓知返しをしたのであったが….


「っ…そうだけどお…でもお、だからあ、屏風に絵を描くように、未来や過去を絵に描けばいいんだ」

「ほほー。過去は、もう知っているから絵に描けるだろうが、未来はまだ分からないから絵に描けないんじゃないのか?」

「はっ…….いや、描けるよ!」

「どうするんだ?」

「未来を描いて、未来を、描いた通りに作ればいいんだ!」




「おおお!ビエール!」父さんの負けだ」

「え?ボクは、ただあ…」

「そうなんだよ。未来を予見するには、自分が、その未来を創ればいいんだ。ビエールがそこまで解っていたとは、ああ、父さんの負けだ」


という『少年』の父親の言葉は、後にパーソナル・コンピュータの父と呼ばれるよになる『アラン・ケイ』の言葉を予見していたかのようなものであった。『未来を予測する最善の方法は、それを発明することだ』という『アラン・ケイ』の言葉を。


「んんん、考えがとってもふかーい父さんには、やっぱり敵わないよ。でも、父さんに負けないよう、んん、ボクは、未来を創るよ」

「ああ、期待しているぞ。だけどなあ…」


と、『少年』の父親は、またもや自らの口中に含みを持たせた。



(続く)




2022年4月27日水曜日

【牛田デラシネ中学生】変態の作られ方[その211]

 


「なーんだ、そういうことかあ」


と、『少年』は、含み笑いをしてきた父親に対して、ようやく合点と呆然の言葉を向けた。『牛田新町一丁目』のバス停を背にし、家族と共に、自宅へと向っているところであった。


「それって、ずるいよお」

「分ったのか、どうやって『昨日』や『明日』に行くのか?」

「海外に行くんでしょ?って云うか、日付変更線を越えるって云うことでしょ?」


『少年』の言葉には、面倒臭そうな臭いが漂っていた。


八丁堀から牛田まで、随分、時間がかかったような気がする、と『少年』は疑問に思ったのであった。八丁堀から牛田まではバスで10分から15分くらいしかかからないのに、そんな時間ではとてもし切れない程のボリュームの話を父親から聞いたことを訝しく思い、その疑問に対し、『少年』の父親は、『アインシュタイン』の『相対性理論』を持ち出し、時間の進み方が遅かったのかもしれない、と答えた。しかし、『少年』はまだ納得できていないからか、『少年』の父親は、『閏年』があること、更には、『閏年』になるはずの年でも『閏年』にならない年もあることから、『1年』という時間は一定ではないと主張したものの、『少年』は、どこか誤魔化されている感を拭えないでいたが、『少年』の父親は、過去に、『昨日』にも行ける、と謎めいたことを云ってきていた。しかし、その謎が今、解けたのである。


「その通りだ」

「一休さんみたいな頓知だね」

「頓知といえば頓知かもしれないが、『時間』なんて、そんなものなのさ。要は、人間が決めたものに過ぎないんじゃないのかなあ」

「でも、『時間』って、人間が決めた日付変更線で『昨日』になったり『明日』なったりするんだろうけど、実際には、確実に進んでいってるよ」

「『昨日』、『明日』じゃなく、1時間だけだが、日付変更線を越えなくても、『未来』や『過去』に行けるのを知っているか?」

「ああ、時計を進ませたり、遅らせたりするんでしょう?」

「それは公式な時間には影響しないだろ。それに、そのやり方だったら、1時間だけじゃなく、もっと短い時間でも長い時間でも戻したり、進ませたりできるだろう?」

「それはそうだけどお…また、頓知なの?『屏風の中の虎の退治』なら、ボク、できるよ」


と、『少年』は、父親の頓知攻撃に反撃を始めた。




(続く)




2022年4月26日火曜日

【牛田デラシネ中学生】変態の作られ方[その210]

 


「ビエールだって、『昨日』にも『明日』にも簡単に行けるようになる日が、その内、来るさ」


と、『少年』の肩を叩いた『少年』の父親の表情は、確信に満ちていた。『牛田新町一丁目』のバス停を背にし、家族と共に、自宅へと向っているところであった。


「今だって、『昨日』や『明日』に行けなくはないんだが、随分、お金がかかるからなあ」

「お金があれば、今も『昨日』に行けるの?」

「そうだ。但し、年に1回だけだけどな」

「どうして、年に1回だけなの」

「3年前にそう認められたからだよ」

「認められた?ええ?ええ、ええ、ええ?」


『少年』は、謎に謎を重ねる父親の言葉に、少し苛立ちを見せた。


八丁堀から牛田まで、随分、時間がかかったような気がする、と『少年』は疑問に思ったのであった。八丁堀から牛田まではバスで10分から15分くらいしかかからないのに、そんな時間ではとてもし切れない程のボリュームの話を父親から聞いたことを訝しく思い、その疑問に対し、『少年』の父親は、『アインシュタイン』の『相対性理論』を持ち出し、時間の進み方が遅かったのかもしれない、と答えた。しかし、『少年』はまだ納得できていないからか、『少年』の父親は、『閏年』があること、更には、『閏年』になるはずの年でも『閏年』にならない年もあることから、『1年』という時間は一定ではないと主張したものの、『少年』は、どこか誤魔化されている感を拭えないでいたが、『少年』の父親は、過去に、『昨日』にも行ける、と云い出してきていたのである。


「1964年4月1日以前は、と云っても、戦後でのことだが、観光目的のパスポートは認められていなかったんだ。今は、認められるようになっているが、年に1回だけだ」

「え?観光?パスポート?『昨日』に行くのに、パスポートがいるの?」




「こっそり行けば行けなくはないだろうけど、うん、密航だな。でも、それは薦められんな」

「『昨日』に密航?なんか、海外に行くみたいだね」

「そうだ。海外に行くんだ」

「へ?『昨日』に行く話じゃなかったの?」

「そうだよ。ふふ」


『少年』の父親は、含み笑いしたが….



(続く)