2020年3月20日金曜日

うつり病に導かれ[その50]






「祖父が申しておりました。『あの青年はハンサムなだけではなく優秀なんだ』と」

ドクトル・マリコは診察中であることを忘れ、眼の前の老患者を正面から見据え、祖父が住んでいた広島市牛田で見かけた美男高校生について語っていた。

「(まさか…)」

ビエール・トンミー氏も、診察を受けていることを忘れていた。

「確か、『ミナミ高校の生徒だ』、と」

ドクトル・マリコが、衝撃的な言葉を発した。ビエール・トンミー氏にとっては、衝撃的な言葉であった。

「(ええ、ええー!)」
「『ミナミ高校』と云っても、東西南北の『南』の高校ではありませんの。トンミーさんはご存じでしょうけれど」
「ええ、ええ!『カイジツ』と書いて『ミナミ高校』です。『皆』が『実』と書くんです」
「ええ、そうですわ!ひょっとして…」
「はい!私も広島皆実高校の出身です」

老患者は、胸を張った。

「まあ!」
「当時は、広島市内の公立高校の受験は、総合選抜制だったんです。だから、当時は皆実高校も優秀だったんです!」
「あら、今は違いましての?」
「いや、それは、まあ、そのお…」
「広島大学なんて普通に入れ、ハンカチ大学やOK牧場大学に進学する生徒もいる、って祖父に聞きましたわ」
「はい!私もハンカチ大学卒です。商学部です。フランス語経済学で『優』を取ったこともあります。『SNCF』も知っています」





と云ったものの、そんな自分に顔を赤らめた。

「まあ、素敵!」
「皆実高校の1年生からの友人は、OK牧場大学に入り、文学研究科修士課程を修了しています。『François MAURIAC論』を書いています」
「祖父から聞いていた通りの高校ですのね、皆実高校って。比治山にも近くていい所にもありますものね」
「え!?皆実高校にいらしたことがあるんですか?」


(続く)




2020年3月19日木曜日

うつり病に導かれ[その49]






「あら、そうでしたの!」

ドクトル・マリコは、医師らしからぬ声で老患者に話す。

「祖父が広島出身で、私、子どもの頃、よく広島に参りましたの」

ドクトル・マリコは、老患者を凝視めて話す。

「(あ!沢口靖子!)」

ビエール・トンミー氏は、女医が沢口靖子に酷似していることを思い出した。

「(んぐっ!)」

思わず『反応』し、股間に両手を当てる。

「祖父は、牛田に住んでましたので、牛田にも参りましたわ!」
「え!」
「素敵なところでしたわ」
「ああ、昔は田舎でしたが」
「それに、祖父の家の近所に、素敵なお兄様がいらしたの
「は?」
「とってもハンサムな高校生で、まるでジェームス・ボンドみたいでしたわ」



ドクトル・マリコの表情は、恋する乙女のものとなっていた。

「(んぐっ!)」


(続く)




2020年3月18日水曜日

うつり病に導かれ[その48]






「肺炎ではありませんね、トンミーさん」

ドクトル・マリコは、老患者にレントゲンの結果を伝えた。

「ほうかいねえ」

高熱でぐったりし、目も虚ろなビエール・トンミー氏が発したその言葉に、ドクトル・マリコは、思わず声が出た。

「え?!」

しかし、老患者は、両肩を落とし、項垂れ、椅子に座っていた。

「(今のは広島弁?)」

自身は東京で生まれ育ったので、話せないが、祖父の言葉はコテコテの広島弁であった為、広島弁のリスニングはできた。

「(この爺さん、広島出身なのかしら?)」

ビエール・トンミー氏は、広島出身ではないが、中学・高校という多感な時期を広島で過ごしたことをドクトル・マリコは知る由もない。

「トンミーさん、広島出身ですか?」

ドクトル・マリコは、思い切って訊いてみた。

「はあ?」

老患者は、口をだらしなく開けた。

「先程、広島弁を…」
「ええ!ボクは、広島弁なんて使いません!」

項垂れていた老患者が、急に頭を上げ、強い口調で云い切った。眼の前の女医が広島に縁があることを、その縁から医者の道を選んだことをビエール・トンミー氏も知る由もなかった。

「あら、失礼…」

ドクトル・マリコは、眼を伏せた。

「いえ、すみません」

ビエール・トンミー氏も慌てた。

「ボク、広島出身ではありませんから広島弁は使いませんが、いや、使えませんが、中学・高校時代は広島に住んでいたんです。牛田中学出身です」





何故か、広島皆実高校出身であることは云わなかった。


(続く)




2020年3月17日火曜日

うつり病に導かれ[その47]






「(しっかりするのよ、マリコ!)」

第2診察室に戻ったドクトル・マリコは、自らを励ました。

「(私は、医者よ。患者に、それもあんな爺さん患者に翻弄されるなんて!)」

そして、シャウカステンのレントゲン写真を見入った。

「(大好きだった祖父が切っ掛けで医者になったのよ)」

祖父の顔を思い出す。

「(そういえば、あの爺さん、どこか祖父に似ていた。でも、祖父はあんなに臭くはなかった)」

と、鼻腔にレントゲン室で老患者に浴びせられて臭気が蘇った。

「(んぐっ!)」

両足を窄める。

「(いけない!いけない!しっかりして、マリコ!私は、医者よ)」

ドクトル・マリコは、広島で被爆した祖父が甲状腺癌を患い、亡くなったことから医者の道を選んだ。だから大学病院では、内分泌代謝科を選び、当時、甲状腺疾患の権威であり内科医局長だったドクトル・ヘイゾーに師事し、ドクトル・ヘイゾーの後を追うようにして甲状腺疾患を専門とする病院に勤務、その後、ドクトル・ヘイゾーが開業したこのクリニックに勤務するようになっていたのだ。




「トンミーさん、お座り下さい」

看護師ドモンが、レントゲン室から戻ったビエール・トンミー氏に促した。


(続く)





2020年3月16日月曜日

うつり病に導かれ[その46]






「ふーっ」

ドクトル・マリコは、大きく深呼吸をして再び、レントゲン室に入った。

「(息をしちゃいけないわ)」

レントゲン室にいる老人が放つあの臭いが、鼻腔に蘇ってくる。

「(えっ!)」

老人が振り向いていた。

「(んぐっ!)」

老人は、裸の胸を女医に見せていた。

「(どうして!?ただの爺さんじゃないの!でも……んぐっ!)」

老人の裸に胸には、白髪混じりの胸毛がだらしなく垂れ下がっていたのだ。


「(貧弱じゃないの!)」

確かに衰えてはいたが、ビエール・トンミー氏の胸は、その昔、『琴芝のジェームス・ボンド』と呼ばれていた面影があったのだ。

「(何よ!乳首からも白髪なんて!でも……んぐっ!)」

老人の方も、レントゲン室の入口で立ちすくんだまま睨みつけてきている女医に、

「(え?)」

と怯みながらも、

「(んぐっ!)」

『反応』してしまい、慌てて着衣を、いや、パジャマを手に取り、女医に背を向けながら、頭からそれを被った。

「うっ!」

ドクトル・マリコは、思わず噎せた。老人が、脱いでいたものを再び着る時に、饐えたような猛烈な臭いが女医を襲ったのだ。

「(んぐっ!)」

女医は、直ぐにレントゲン室を出ると、振り向かず、老人に告げた。

「診察室にお戻り下さい」


(続く)




2020年3月15日日曜日

うつり病に導かれ[その45]






「陰性です」

ドクトル・マリコは、インフルエンザの検査結果を告げた。

「はああ……」

高熱のビエール・トンミー氏は、呆けた反応しかできない。

「風邪だと思いますが、肺炎かもしれませんので、念の為、レントゲンを撮りましょう」

ビエール・トンミー氏は、ドクトル・マリコに連れられ、レントゲン室に入った。

「うっ!」

ドクトル・マリコは、思わず噎せた。患者に着ているものを脱がせた時、饐えたような猛烈な臭いに襲われたのだ。

「(え、何なの、これ!?)」

ビエール・トンミー氏が脱いだものはノルディック風のセーターのように見えたが、実は、ビエール・トンミー氏が寝ている時も起きている間も、そして、外出している時も着ているパジャマであった。もう3ヶ月洗濯していないものであった。ドクトル・マリコは、そのことを知る由もなかったが…….

「(んぐっ!)」

女医の思考とは別に、彼女のある部分が敏感に『反応』した。

「(違うの!違うのよ!)」

何が違うのか分らなかったが、ドクトル・マリコは、その場を早く脱出しなければ、と患者の胸をレントゲン装置の平面センサー部に押し付けた。



「(んぐっ!)」

呆けたようであった患者が、思わず声を発した。

「あ!」

ドクトル・マリコも声を発した。患者の胸をレントゲン装置の平面センサー部に押し付けた際に、自分の胸の『先端』が患者の背中に当ったのだ。

「(んぐっ!違うの!違うのよ!)」

ドクトル・マリコは急いで患者から離れ、レントゲン室を出た。


(続く)



2020年3月14日土曜日

うつり病に導かれ[その44]






「おや、どうなさいました?」

椅子に座った白衣の女が、診察室に入ってきた老人に声をかけた。

「(へ?)」

女医であった。第2診察室のドアが開いて自分を呼んだ白衣の中年男が医師だと思い込んでいたのだ。

「さあ、お掛け下さい。」

と、老人に声をかけた白衣の中年男は、立ったままでいた。

「(看護師か….男の看護師か)」

看護師は、老人を睨みつけるようにしていた。

「(あれ?)」

どこかで見たことのあるような顔であった。老人は、芸能界に疎い為、思い出せなかったが、その看護師は内藤剛志に酷似していた。

「さあ、さあ、お掛け下さい。」

女医が、老人に促した。老人ではあるが、まだ腰が曲がる程の歳ではない患者が、かなりの前傾姿勢で、顔も真っ赤にしていた。

「トンミーさんですね。苦しいですか?」

椅子に座ったビエール・トンミー氏は、股間に両手を当て、まだ身体を前傾させていた。

「いえ、大丈夫で…あ!」

顔を上げたビエール・トンミー氏は、思わず叫んでしまった。

「(沢口靖子!)」

女医は、沢口靖子であった……いや、沢口靖子本人と云っていい程、沢口靖子に酷似していたのだ。白衣の左腕に『Mariko』と赤い刺繍が入っていた。


「あら、相当お苦しいのね?」

と沢口靖子に酷似した女医が、ビエール・トンミー氏の喉元に手を当てた。

「(んぐっ!)」

ビエール・トンミー氏は、慌てて股間に両手を持っていった。

「(んぐっ!)」

老人の顔をよく確認した女医も『反応』した。

「(吉沢亮!)」

お気に入りの美男の若手俳優の老いた顔を見たように思ったのだ。

「(は?)」

内藤剛志に酷似した看護師が、女医の方に顔を向けたが、女医は、医師としての自覚を取り戻し、患者に訊いた。

「あら、腹痛もありますか?」
「あ…いえ、な、ないです。熱があります。咳も鼻水も…」
「熱は、38度7分ですね」

受付で熱を測るように云われていたのだ。ビエール・トンミー氏は、前日、ギャランドゥ・クリニックに行った事情を説明した。

「では、インフルエンザの検査をしましょう。ドモンさん」

ドクトル・マリコは、看護師ドモンに検査を指示し、自分は、PCに向かい、電子カルテに入力し始めた。

「では、トンミーさん、顔を少し上に向けて下さい」

と、看護師ドモンは、減菌綿棒を患者の鼻腔に差し込んだ。

「(ふん、何だ!?この爺さんもスケベーだな)」

爺さんは、顔を上げると共に、両手が離れ、股間にまだ残る『異変』を目にすることになったのだ。

「(男性患者って、皆、ドクトル・マリコ目当てなんだ)」

減菌綿棒で鼻甲介を擦る。

「うっ!」

ビエール・トンミー氏は、顔を歪めた。

「(だが、この爺さん、よく見ると、ハンサムだな。さっき、ドクトルは….)」

ビエール・トンミー氏がかつて、『自由ヶ丘のアラン・ドロン』、『原宿のアラン・ドロン』と呼ばれていたことは知るはずもなかった。

「(チクショー!ドクトルは俺のものだ!)」

と怒りから、最後に綿棒を余計に人擦りして、綿棒を検査キットの検体希釈液に入れ、そして抽出した検体を、濾過フィルターに入れ、テストデバイスに滴下する。


(続く)