「エヴァさん、曲がれるよね?」
列のすぐ前にいた女性が振り向いて云ったその言葉を聞いた時、エヴァンジェリスト氏は、『曲がったことが嫌いな男』である自分は、力道山時代からずっとプロレス・ファンである、と思った。
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1979年、ビエール・トンミー氏は、フォルクスワーゲンの『ビートル』で、友人であるエヴァンジェリスト氏の上井草の下宿に向ったが、エヴァンジェリスト氏の下宿の前の道への交差点を曲がることができなかった。
「かろうじて『前科者』になるのを免れたからではない」
その交差点を曲がれないのは、スピード違反で危うく『逮捕』されそうになったからではない、とビエール・トンミー氏は思ったのだ。
「ボクは、『曲がったことが嫌いな男』だからなのだ」
幾度か、いや幾度もハンドルを切ってようやく角を曲がることができ、エヴァンジェリスト氏の下宿に着いたが、ビエール・ トンミー氏は、友人に角を曲がれなかったことは云わないでいた。
そうして、かろうじて『逮捕』は免れたものの、その日、環状7号線で『犯罪』を犯したことも、エヴァンジェリスト氏には伏せておいた。
しかし、『汲み取り式便所』の臭気から逃れるようにエヴァンジェリスト氏の下宿を出たビエール・トンミー氏は、友人の冷静な言葉に、その場に立ちすくんだ。
「君は、犯罪者になったんだ」
下宿前に止めていたフォルクスワーゲンの『ビートル』のバックミラーに駐車違反ロックが付けられていたのであった。
エヴァンジェリスト氏は呑気に、駐車違反ロックを手に取り、云った。
「これは、犯罪の印だな」
「え!?...犯罪….」
「ああ、君は、犯罪者になったんだ」
エヴァンジェリスト氏は更に、ビエール・トンミー氏を追い込んだ。
「君は、これで前科者になったんだなあ」
「ぜ、ぜ、前科者!?」
友人の更なる衝撃的な言葉に、ビエール・トンミー氏は、体が震え出した。
「小菅にだって面会に行くさ」
優しさを見せながら、エヴァンジェリスト氏は、追い込まれた友人をさらに追い込むような言葉を発した。
「差し入れは、ビニ本がいいか?」
「おお、ビニ本か!」
ビエール・トンミー氏の眼が潤んで来ていた。
当時、流行っていた『ビニ本』なるエロい雑誌が差し入れで認められる訳がなかろうことは、エヴァンジェリスト氏には判っていたが、動揺する友人を揶揄ったのであった。
しかし、エヴァンジェリスト氏は分っていなかった。
『犯罪者』、『前科者』、『小菅』といった言葉が、ビエール・トンミー氏にとっては、決して冗談にはならない言葉であったことを。
ビエール・トンミー氏は、駐車違反の前に、スピード違反という犯罪を既に犯していたのだ。
「君は、これで前科者になったんだなあ」
とエヴァンジェリスト氏に揶揄われた時点で既に、前科者であったのだ。
エヴァンジェリスト氏の下宿の『汲み取り式便所』の臭気に鼻を『曲げ』、免許を取ったその日に2度の交通犯罪を犯すという『曲がった行為』を取ったことにより、ビエール・トンミー氏は、『曲がったことが嫌いな男』から『変態』への道へと大きく『曲がった』人生を歩むことになった。
しかし、そのことをエヴァンジェリスト氏は知る由もなかった。
『前科者』となる切っ掛けとなった愛車『ビートル』に乗り、『前科者』となったことに打ちひしがれ、ビエール・トンミー氏は、友人の下宿を離れていった。
『ビートル』を見送りながら、エヴァンジェリスト氏は呟いた。
「アイツも『曲がったことが嫌いな男』だと思っていたのに、『汲み取り式便所』の臭気に鼻を『曲げ』、それに、駐車違反なんて『曲がった』もするなんて」
その後に、『曲がったことが嫌い』な故に、今度は自分が、窮地に陥ることになるとは知らずに。
(続く)
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