「エヴァさん、曲がれるよね?」
列のすぐ前にいた女性が振り向いて云ったその言葉を聞いた時、エヴァンジェリスト氏は、NHKの朝ドラ『わろてんか』の中で高橋一生が演じる伊能栞が、戦時中、国の検閲に屈した映画は作ろうとしなかったことに、『曲がったことが嫌いな男』としては大いに共感するようになることを、まだ知らなかった。
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1981年のその日、エヴァンジェリスト氏が、上池袋の下宿の隣室の隣室に住む50歳台と思しき『お父さん』に頼まれて、『お父さん』のベッドを『上福岡』にある『お父さん』の自宅まで運ぶべく、『お父さん』の運転する2トン・トラックの助手席に乗っていた。
「お兄さんは学生だろ?どこの大学?」
「ああ、OK牧場大学です。今、修士論文を書いています」
「へええ、OK牧場大学!名門だねえ。修士!頭いいんだねえ、顔だけでなく」
「でも、親友は、ライバルのハンカチ大学です。それも、変態です」
そんな他愛もない会話をしながら、トラックは関越道を順調に進んでいたが、
「あ!」
突然、『お父さん』が叫んだ。
「あ!」
同時に、エヴァンジェリスト氏も叫んだ。
「ドン!」
軽いが衝撃音が走った。一旦、前のめりになったエヴァンジェリスト氏の背中が振り戻されてシートの背にぶつかり、
「うっ!」
と、エヴァンジェリスト氏は軽く呻いた。
事態は把握できていた。目の前で『事件』は起きたからだ。
「あ、あ………」
『お父さん』は吐息を漏らした。
『オカマ』を掘ったのだ。
『お父さん』が運転し、エヴァンジェリスト氏が助手席に乗った2トン・トラックが、直ぐ前を走る乗用車にぶつかったのだ。
ぶつかった、というよりも、『触れた』と云った方が正しいくらいの衝突であった。が、その『事故』が起きた場所が、絶妙とも云える処であった。
『事故』が起きた川越街道のその場所は、交差点であり、その交差点には交番があったのだ。
警察の眼の前で『お父さん』は、『事故』を起こししまったのだ。
軽度とは思えるものであっても『事故』は『事故』であるし、なかったことにはできなかったであろうが、交番の真ん前では尚更、『事故』をなかったことにすることはできなかった。
衝撃音がしたからであろう、交番から警官が出てきていて、こちらを見ていた。
「お兄さん、悪いね。ちょっと待っててくれる」
そう云うと、『お父さん』はトラックを降り、乗用車のところまで行った。
乗用車からも人が降りてきていた。やはり、特段、怪我をしているようには見えなかった。怒っている様子でもない。
「それはそうだろう」
と、エヴァンジェリスト氏は思った。
エヴァンジェリスト氏は見ていたのだ。
乗用車が交差点に差し掛かったとき、信号が黄色に変った。乗用車はそのまま直進し、交差点を渡ってしまうと思えた。運転免許は持っていないが、エヴァンジェリスト氏は、
「普通は止まらず、そのまま行くであろう」
と思った。
「『お父さん』はスピードも制限速度内で走っていたはずだ。『お父さん』が『オカマ』を掘ってしまったのも仕方がない」
少しだが、乗用車を運転していた人に怒りを感じた。
「そうだ、『お父さん』は、『曲がったことが嫌い』なのだ。だから、『真っ直ぐに』進もうとしていたのに、乗用車が急に止ったのだ。この場合、『お父さん』は加害者ということになるだろうが、むしろ被害者と云ってもいいくらいだ」
と思ったが、エヴァンジェリスト氏は、自身が心の中で発したある言葉に囚われてしまった…….
(続く)
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