2018年3月24日土曜日

【曲がったことが嫌いな男】石原プロに入らない?入れない?[その43]



「エヴァさん、曲がれるよね?」

列のすぐ前にいた女性が振り向いて云ったその言葉を聞いた時、エヴァンジェリスト氏は、自分と同じで『曲がったことが嫌い』な猪木さんについて、相手が、弟子であれ誰であれ、勝つ為なら、反則であろうと何であろうと手段を選ばないのは、やはり猪木さんが『真っ直ぐ』だからだ、と思うようになることは、まだ知らなかった。

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エヴァンジェリスト氏が、いつものように『3.75畳』の下宿で、炬燵を机に修士論文『François MAURIAC論』を書いていた1980年のその日、どこからか泣き声が聞こえて来た。

泣き声は、窓の向こうの外から聞こえて来たものでもなく、下宿の廊下から聞こえて来たものでもなかった。

泣き声がして来ているのは、やはり、半間の押入れであった。

エヴァンジェリスト氏は、開けっ放しとしている半間の押入れの上段に両肘を付き、上半身を押入れの中に入れた。

「あ……んん……」

微かだが、泣き声が聞こえるものの、押入れの中には勿論、誰もいない。

先ず、隣室から聞こえて来ているのか、と思った。

隣室の住人は、エヴァンジェリスト氏より少し年上の30歳前後と見える『お兄さん』で、廊下や共同台所で会うと挨拶を交わすだけの間柄であったが、極めて普通のサラリーマンのようであった。

隣室であったが、ステレオを大音響でかけたり、友人が来て騒いだりすることもない常識人であった。

しかし、『曲がったことが嫌い』で余りにも『真っ直ぐな』エヴァンジェリスト氏は、知らなかった。

隣室の『お兄さん』も『曲がったことが嫌いな男』であったのであろうか、トイレのドアの外に立って、そこから小水を飛ばしていたのだ。

隣室の『お兄さん』のこの性癖を知る前、エヴァンジエリスト氏は時々、トイレがやけに水浸しになっているなあ、と思いながら、濡れたトイレの床を拭いていたのだ。

しかし、泣き声が聞こえたこの時はまだ、エヴァンジェリスト氏は、隣室の『お兄さん』のその性癖を知らず、常識人と思っていた。部屋で一人泣くような人とは思えなかった。

それに、泣き声は、押入れの隣室との壁から聞こえて来てはいなかったのだ。

泣き声がしていたのは…………






泣き声がしていたのは、半間の押入れの天井からであった。

隣室ではなく、泣き声は、どこか他の部屋から天井を通して聞こえて来ているようなのであった。

どこの部屋からであろうか?

隣室の隣室に住むのは、50歳台と思しき『お父さん』であった。

稀にしか遭遇しない人であったが、エヴァンジェリスト氏のことを、挨拶ぶりから、それ以上に、エヴァンジェリスト氏の存在そのものが醸し出す『真っ直ぐな』好青年ぶりから、この『お父さん』に気に入られるようになるのだ。

しかし、その時はまだ、そのことをエヴァンジェリスト氏は知らなかった。『お父さん』に気に入られ、『手伝い』を頼まれるようになることを。

『泣き声』事件の翌年(1981年)のことである。

エヴァンジェリスト氏の住む『3.75畳』の入口の扉が、突然、ノックされた。

『3.75畳』を訪れるのは、大家である未亡人くらいであった。電話の呼び出しである。

当時は、携帯電話は勿論なく、また下宿するような人間が自分用の電話を引くということはなかった。親や、用のある人は、下宿の大家さんチに電話してくるのだ。

友人が来ることは滅多になかった。

同じ大学(OK牧場大学)の友人で、『3.75畳』への引越しを手伝ってくれたショーゲン氏は、エヴァンジェリスト氏の友人らしからぬ上流階級の子息で、後に母校の教授となるような人間であり(今も教授である)、貧乏くさい『3.75畳』に脚を踏み入れることは稀であった。

ビエール・トンミー氏は、就職し、岡山勤務となっていたので、普段、上池袋まで来ることはできなかった。いや、新小岩だったら……





だから、『3.75畳』の入口の扉をノックするのは、大家である未亡人くらいなのであったが、その時は、

「エヴァンジェリストさん、電話ですよ」

という声は聞こえてこなかった。

誰だろうかと思いながら、炬燵から立ち上がり、入口まで行き、扉を開けた。

「ああ、すみませんね、突然」

隣室の隣室の『お父さん』であった。

「いえ….」
「ちょっと、アナタにね、お願いがあるんですよ」
「はあ….」
「アルバイトしてくれませんか?」
「アルバイト?」

そう、『お父さん』は、エヴァンジェリスト氏にアルバイトの依頼に来たのだ。

そのアルバイトをエヴァンジェリスト氏は引き受けることになるのだが、まさか『事件』に巻き込まれることになろうとは思わなかった。

『事件』は、川越街道で起きた……



(続く)




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