「エヴァさん、曲がれるよね?」
列のすぐ前にいた女性が振り向いて云ったその言葉を聞いた時、エヴァンジェリスト氏は、自分と同じで『曲がったことが嫌い』な猪木さんの期待を受け、プロレスと総合格闘技との二刀流をしていた中邑真輔が、猪木さんが新日本プロレスの経営から離れた後、片手でロープを持ち、もう一方の手を下にダランと垂らし、『ギャオーッ!』と云って、『曲がる』なんてものではなくクネクネするようになることをまだ知らなかった。
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1980年、エヴァンジェリスト氏は、上井草の下宿に替る新たな下宿候補として新小岩の物件に決めようとしたが、その物件には、一週間前に手付金を置いていった先客があった。
しかし、大家のおばさんは困っていた。
「でもさ、その人はさ、それから全然連絡が来ないんだよ。直ぐに正式契約するって云ってたのにさ。だから、手付金を置いて行った人から明日までに連絡が来なかったら、もういいさ、貴方に決めるよ。いいかい?」
「あ、はい……」
多分、手付金を置いて行った人は、明日もおばさんに連絡して来ないだろう、エヴァンジェリスト氏は、そんな気がした。
しかし、翌日、上井草の下宿のエヴァンジェリスト氏に電話があった。新小岩の物件のおばさんからであった。
「ごめんね。今日、来たのさ、手付金を置いて行った人がね。ごめんね。アタシは、貴方に借りて欲しかったんだけどさ。ジェラール・フィリップに似た貴方にさ」
「ビエールに新小岩の物件のことを話す前でよかった」
そう思った。友人ビエール・トンミー氏をガッカリさせたくはなかったのだ。そして、新小岩の物件の鼻が『曲がりそうな』便所臭に悩まされることはなくなったと思い、自身も少しホッとした。
しかし、新しい下宿探しは振り出しに戻理、エヴァンジェリスト氏はもう一度、新宿の学生専門の不動産会社に行った。
そうして、次に紹介を受けたのが、上池袋交差点近くの物件であった。
上池袋交差点近くの物件は、未亡人が持つ一戸建ての二階を改造して数部屋を作り、下宿(間借り)としたものであった。
エヴァンジェリスト氏が紹介され、契約したのは、3.75畳の部屋であった。台所は共用、トイレも共用であった。風呂は勿論、ない。家賃は、新小岩の物件より少し高く、9,000円であった。
3.75畳の部屋は、布団を敷くとそれだけで部屋は、ほぼ埋ってしまった。
しかし、それはそれで便利ではあった。
敷きぱなっしの布団を座布団がわりにその上に座り、布団の直ぐ横に置いた小さな炬燵に足を入れ、炬燵を机に論文を書くことができた。『François MAURIAC論』である。
上井草の下宿から、その下宿の前の住人が置いていったミニ冷蔵庫を持ってきたが、炬燵に足を入れたまま、右手を伸ばすと、その冷蔵庫を開け、オレンジ・ジュースを取ることができた。
アウトドア用の5インチ白黒ポータブルテレビ である「National RANGER-505」を炬燵の左手に置き、大好きなテレビを見ながら、論文を書くこともできた。
杉良太郎の『遠山の金さん』や天知茂の『非情のライセンス』等の再放送は、いくら修士論文執筆中でも視聴を欠かすことはできなかった。
エヴァンジェリスト氏は、『曲がった事が嫌いな男』だったのである。長年、見続けてきた『遠山の金さん』や『非情のライセンス』を、修士論文に為に見るのを止めるなんて『曲がった』ことはできなかった。
しかし、便利なこの『3.75畳』が、エヴァンジェリスト氏に悲劇をもたらすことになるのだ。
(続く)
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