2018年3月25日日曜日

【曲がったことが嫌いな男】石原プロに入らない?入れない?[その44]



「エヴァさん、曲がれるよね?」

列のすぐ前にいた女性が振り向いて云ったその言葉を聞いた時、エヴァンジェリスト氏は、自分と同じで『曲がったことが嫌い』なプロレスラーというか格闘家というか前田日明は、師匠である猪木さん批判さえ辞さないものの、それでも師匠の猪木さんのことを好きなのだ、と思うようになることを、まだ知らなかった。

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1980年、上池袋の『3.75畳』の下宿で、炬燵で修士論文『François MAURIAC論』を書いていたエヴァンジェリスト氏に、泣き声が聞こえて来た。

泣き声がして来ているのは、妙なことに、半間の押入れからであった。

エヴァンジェリスト氏は、開けっ放しとしている半間の押入れの上段に両肘を付き、上半身を押入れの中に入れた。

「あ……んん……」

微かだが、泣き声が聞こえるものの、押入れの中には勿論、誰もいないので、隣室から聞こえて来ているのか、と思った。

しかし、隣室の住人は、エヴァンジェリスト氏より少し年上の30歳前後と見える『お兄さん』で、極めて普通のサラリーマンであり、ステレオを大音響でかけたり、友人が来て騒いだりすることもない常識人であった。

その『お兄さん』は実は、トイレのドアの外に立って、そこから小水を飛ばし、トイレを水(おしっこ)浸しにするという妙な性癖の持ち主であったが、その時、エヴァンジェリスト氏はまだ『お兄さん』のその性癖を知らなかったし、いずれにしても、部屋で一人泣くような人とは思えなかった。

それに、泣き声は、押入れの隣室との壁から聞こえて来てはいなく、押入れの天井からであった。

隣室ではなく、泣き声は、どこか他の部屋から天井を通して聞こえて来ているようなのであった。

隣室の隣室に住むのは、50歳台と思しき『お父さん』であった。

この『お父さん』は、エヴァンジェリスト氏のことを、挨拶ぶりから、それ以上に、エヴァンジェリスト氏の存在そのものが醸し出す『真っ直ぐな』好青年ぶりから、この『お父さん』に気に入られるのであるが、その時はまだ、そのことをエヴァンジェリスト氏は知らなかった。

エヴァンジェリスト氏は、お父さん』に気に入られ、『手伝い』を頼まれるようになるのだ。『泣き声』事件の翌年(1981年)のことである。

ある日、エヴァンジェリスト氏の住む『3.75畳』の入口の扉が、突然、ノックされた。

誰だろうかと思いながら、エヴァンジェリスト氏は、炬燵から立ち上がり、入口まで行き、扉を開けた。

「ああ、すみませんね、突然」

隣室の隣室の『お父さん』であった。

「ちょっと、アナタにね、お願いがあるんですよ。アルバイトしてくれませんか?いやね、ベッドを運びたいんですよ」

そう、『お父さん』は、エヴァンジェリスト氏にアルバイトの依頼に来たのだ。そして、そのアルバイトをエヴァンジェリスト氏は引き受けることになるのだが、まさか『事件』に巻き込まれることになろうとは思わなかった。

『事件』は、川越街道で起きた……






「いやね、ベッドを運びたいんですよ」
「は?」
「ここでベッドを買ったんだけど、狭いんでね、ウチに運びたいんですよ」

隣室の隣室の『お父さん』は、埼玉県の上福岡に家を持っているのであった。しかし、仕事の関係で、上池袋のエヴァンジェリスト氏と同じ下宿に部屋を借りている、と説明された。

トラックを借りて、その上福岡の家までベッドを運ぶつもりであるが、一人では無理なので、エヴァンジェリスト氏に手伝って欲しい、というのであった。勿論、バイト代は出す、というのである。

「アナタさ、とっても『真っ直ぐ』そうな人だからね。だから、アナタに手伝ってもらいたいんだよ」

エヴァンジェリスト氏は、『お父さん』の申し出を引き受けた。

バイド代が欲しかった訳ではない。『曲がったことが嫌いな男』としては、困っている『お父さん』を拒否することはできなかったのだ。

こうして、エヴァンジェリスト氏は、『お父さん』を手伝って、『お父さん』のベッドを上池袋から上福岡まで運ぶ手伝いをした。





上池袋の下宿から『お父さん』と一緒にベッドを運び出し、『お父さん』が借りた2トン・トラックに載せた。

そして、エヴァンジェリスト氏は、助手席に乗り、トラックは上池袋を出発した。

道すがら、『お父さん』は、自身のことを説明した。

日中は、ある会社でサラリーマンをしているのだが、夜はバイトをしているのだそうだ。『危険物取扱者』の資格をとって、夜も、その資格を活かしたバイトで働く日があるのだそうだ。

会社もバイト先も都心にある。だから、都心から遠い上福岡の自宅には、帰れない日があるので、上池袋に部屋を借りたのだそうだ。

『お父さん』のそんな説明を聞いていない訳ではなかったが、エヴァンジェリスト氏のは気になることがあり、ぼんやりと前方を見ていた。



(続く)



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