2018年3月21日水曜日

【曲がったことが嫌いな男】石原プロに入らない?入れない?[その40]



「エヴァさん、曲がれるよね?」

列のすぐ前にいた女性が振り向いて云ったその言葉を聞いた時、エヴァンジェリスト氏は、自分と同じで『曲がったことが嫌い』なプロレスラーというか格闘家というか前田日明は、師匠である猪木さんが、同じく自分の師匠とも云える藤原喜明と、1986年2月6日、シングル・マッチで対決した時、急所蹴りとも見えるキックや顔面パンチとも見えるエルボー・スマッシュを繰り出して藤原喜明を下した時、リングに乱入し、猪木さんをハイキックでノックアウトするようになることは、まだ知らなかった。

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1980年のその日も、上池袋のエヴァンジェリスト氏は、いつものように『3.75畳』で、敷きぱなっしの布団を座布団がわりにその上に座り、布団の直ぐ横に置いた小さな炬燵に足を入れ、炬燵を机に修士論文を書いていた。

論文のテーマは、『François MAURIAC』(フランソワ・モーリアック)である。

エヴァンジェリスト氏は、中学生時代から遠藤周作の著作ばかり読んでいた。遠藤周作は、直木賞作家であったが、エヴァンジェリスト氏が遠藤周作を読み始めた頃は、まだ『違いがわかる男』としてネスカフェのCMに出る前で、一般にはまださほど有名ではなかった。

中学生2年生のエヴァンジェリスト氏が最初、読んだ遠藤周作の小説は、『海と毒薬』であり、次に読んだのは、『白い人・黄色い人』であったが、いずれも面白いと思えなかったが、それ以前に内容を理解できなかった。

なのに何故、遠藤周作の小説を読む気になったのか、不明である。

それは、『運命』とでも云うしかない。ある意味で、今のエヴァンジェリスト氏を形成したのは、遠藤周作なのである。『エヴァンジェリスト』(福音を述べ、伝道する人)という名前そのものに、それは現れているではないか。

『運命』に導かれたエヴァンジェリスト氏は、高校生になってもまだ遠藤周作の小説を購入した。

それが、『おバカさん』であった。『純文学』作品に比べ、読み易いものであったせいか、『おバカさん』で初めて、エヴァンジェリスト氏は、『遠藤周作』なるものを理解した。いや、『遠藤周作』なるものに捉えられた。

『おバカさん』に続き、『ヘチマくん』、『わたしが棄てた女』と遠藤周作の中間小説を読み進み、『狐狸庵閑話』等のエッセイも読むようになり、『沈黙』や『青い小さな葡萄』等の純文学小説も読むようになり、そう、エヴァンジェリスト氏は、高校生時代は殆ど、遠藤周作の著作しか読まなかった。

そうして、その延長線上に『François MAURIAC』がいたのだ。『François MAURIAC』は、遠藤周作に強い影響を与えたフランスのカトリック作家である。

『遠藤周作』をもっと知りたく、その為には、『遠藤周作』に影響を与えた『François MAURIAC』も知ろうと思い、エヴァンジェリスト氏は、OK牧場大学へと進学し、そこでフラン文学を専攻し、更には、OK牧場大学の修士課程でもフランス文学を専攻するようになった。

必然的に、学部の卒業論文も『François MAURIAC論』であり、修士論文も『François MAURIAC論』とすることになったのである。

そう、『曲がったことが嫌いな男』であるエヴァンジェリスト氏は、中学、高校、大学、大学院と『真っ直ぐに』、『遠藤周作』・『François MAURIAC』の道を歩んで来たのだ。

そして、上池袋で、その時も、座布団がわりの布団(万年床)の上に座り、机代りに布団の直ぐ横に置いた小さな炬燵に足を入れ、炬燵の天板に左腕の肘を置き、左手で頭を抱え、悩み深き作家然として修士論文『François MAURIAC論』に向かっていたのであった。

が………

どこかで、人の泣き声が聞こえたような気がした。

エヴァンジェリスト氏は、左で抱えていた頭を上げ、周りを見回した…..






『3.75畳』は、その下宿の2階の東北の角部屋で、東側と北側に窓があった。

エヴァンジェリスト氏は、先ず、東側の窓の方に右耳を傾け、次に、北側の窓の方に左耳を傾けた。

しかし、泣き声が聞こえて来ているのは、東側でも北側でもなかった。

エヴァンジェリスト氏は、炬燵に脚を入れたまま、部屋の入り口の方に体を向けた。そちらから聞こえて来ているような気がしたのだ。

しかし、『曲がったことが嫌いな男』としては、炬燵に入ったまま、そのように体を『曲げる』ことはあってはならぬと、直ぐに、炬燵から脚を抜き、立ち上がり、入口の扉まで行った。

だが、扉の向こう、廊下に誰かいる様子はなかった。

その時、泣き声は聞こえなくなっていた。

エヴァンジェリスト氏は炬燵に戻り、再び、そこに脚を入れ、修士論文に向った。

まだ草稿であったので、原稿用紙ではなく、B4の横置きの紙に、プロットのようなものを書いていた。

時々、炬燵の天板の上に置いた『Le Nœud de Vipères』を開き、内容を確認した。『Le Nœud de Vipères』は、通常、『蝮の絡み合い』と訳される『François MAURIAC』(フランソワ・モーリアック)の最高傑作である(エヴァンジェリスト氏は、それを最高傑作と思ったし、いまもそう思う)。

「ああ…….」

『Le Nœud de Vipères』(蝮の絡み合い)は、幾度も読んだ小説であるが、論文の為に部分を読み返すだけでも、エヴァンジェリスト氏は胸に詰るものがあった。





主人公への共感である。

「ああ…….」

しかし、その時、再び、泣き声が聞こえて来た。やはり、入口の方から聞こえるような気がした。

炬燵から出て、再度、入口に向った。

入口まで行った時、泣き声がするのは、やはり入口の扉ではないことが分った。

泣き声がしていたのは……….


(続く)



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