2018年5月31日木曜日

【曲がったことが嫌いな男】石原プロに入らない?入れない?[その105]



「エヴァさん、曲がれるよね?」

列のすぐ前にいた女性が振り向いて云ったその言葉を聞いた時、エヴァンジェリスト氏は、2018年5月6日に、日本大学アメリカンフットボールの選手が、試合で、ハンドオフの後に、相手チーム関西学院大学の無防備な選手に対して、後方から『真っ直ぐに』に危険タックルをしてしまったのは、彼が『曲がったことが嫌いな男』であったからではないが、その後の記者会見で自らの罪を認め、コトの真相(監督、コーチの指示でそのような罪を犯したこと、でも、その指示を拒まなかった自身にやはり罪があること)を話す姿が、世間からは『真っ直ぐな』青年と評価されるようになることを、まだ知らなかった。


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「なんで、テニス部に入ったんだ?」
「ああ、テニスもしてみたくなりまして」
「じゃ、どうしてラケット持ってないんだ?」
「はっ!?」

1981年の夏、会社のテニス部に入り、参加した軽井沢の夏合宿でのことであった。

新入社員のエヴァンジェリスト氏は、冬でも半袖の服を着る、元気溌剌なテニス部の部長であるハンソデ先輩に痛いところを突かれた。

その時、

「ハンソデさーん!」

別のコートからハンソデ先輩を呼ぶ声が飛んで来た。

「ハンソデさんの番ですう!」

ハンソデ先輩は、別のコートの方に去って行きながら、

「お前、真面目にやれよ」

と言い残した。

「どうしてラケット持ってないんだ?」

ハンソデ先輩の言葉が、エヴァンジェリスト氏の耳に残っていた。

「(だって……)」

そう、だって、自分はまだ新入社員なで、ラケットを買うお金がなかった。中学でも、高校でも、大学でも、大学院でも、テニスをしたことはなかった。だから、元々、ラケットを持ってはいなかった。

「じゃなんでテニス部に入ったんだ?」

そこにはもういないハンソデ先輩の声が聞こえたような気がする。

「(だって……)」

と、声にならない声で言い訳しながらも、エヴァンジェリスト氏の目は、目の前のコートや、コートの側で揺らめく幾つもの白い物を追っていた。

「(んっ……)」

唾を飲み込む。



(参照:【曲がったことが嫌いな男】石原プロに入らない?入れない?[その104]



「じゃなんでテニス部に入ったんだ?」

ハンソデ先輩の声が、頭の
中でリフレインする。

「(だって……)」

エヴァンジェリスト氏の目が追う白い物は、それを着ている者が動く度、揺らめく。

「じゃなんでテニス部に入ったんだ?」
「(だって……野球部は....)」

白い物は、時々、ウワッと浮き上がる。すると、白い物の下には、また別の白い物が見える。

「じゃなんでテニス部に入ったんだ?」
「(だって……野球部は、男ばかりの世界だし.....)」

エヴァンジェリスト氏は、白い物が『スコート』と呼ばれるものであることは知らなかった。女性用のテニスウエアである。エヴァンジェリスト氏にとって、それはただ、艶めかしいミニ・スカートであった。



「(んっ……)」

また、唾を飲み込む。


(続く)



2018年5月30日水曜日

【曲がったことが嫌いな男】石原プロに入らない?入れない?[その104]



「エヴァさん、曲がれるよね?」

列のすぐ前にいた女性が振り向いて云ったその言葉を聞いた時、エヴァンジェリスト氏は、2018年5月6日に、日本大学アメリカンフットボールの選手が、試合で、ハンドオフの後に、相手チーム関西学院大学の無防備な選手に対して、後方から『真っ直ぐに』に危険タックルをしてしまったのは、彼が『曲がったことが嫌いな男』であったからではない、と思うようになることを、まだ知らなかった。


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1981年の夏、エヴァンジェリスト氏は、軽井沢のテニス・コートにいた。正確に云うと、テニス・コートの側に立っていた。

新入社員であったエヴァンジェリスト氏は、会社のテニス部に入り、夏合宿に参加していた。

「お前、野球部じゃなかったのか?」

ハンソデ先輩に訊かれた。冬でも半袖の服を着る、元気溌剌なテニス部の部長だ。

「ええ、野球部にも入っています」
「なんで、テニス部に入ったんだ?」
「ああ、テニスもしてみたくなりまして」
「じゃ、どうしてラケット持ってないんだ?」
「はっ!?」






「ハンソデさーん!」

痛いところを突かれた、と思った時、別のコートからハンソデ先輩を呼ぶ声が飛んで来た。

助かった。

ハンソデ先輩は、新入社員のエヴァンジェリスト氏から目をそらし、自分を呼ぶ声の方に振り向いた。

「ハンソデさんの番ですう!」

ハンソデ先輩の後頭部を見たエヴァンジェリスト氏は、

「….ふっ……」

と、吐息を漏らした。こっそりと。

…….が、ハンソデ先輩は、振り向いた。そして、

「お前、真面目にやれよ」

と言い残すと、別のコートの方に去って行った。



「どうしてラケット持ってないんだ?」

ハンソデ先輩の言葉が、エヴァンジェリスト氏の耳に残っていた。

「(だって……)」

そう、だって、自分はまだ新入社員なのだ。ラケットを買うお金がなかった。

これまで、中学でも、高校でも、大学でも、大学院でも、テニスをしたことはなかった。だから、元々、ラケットを持ってはいなかった。

「じゃ、なんで、テニス部に入ったんだ?」

そこにはもういないハンソデ先輩の声が聞こえたような気がする。

「(だって……)」

と、声にならない声で言い訳しながらも、エヴァンジェリスト氏の目は、目の前のコートや、コートの側で揺らめく幾つもの白い物を追っていた。

「(んっ……)」

唾を飲み込む。


(続く)




2018年5月29日火曜日

【曲がったことが嫌いな男】石原プロに入らない?入れない?[その103]



「エヴァさん、曲がれるよね?」

列のすぐ前にいた女性が振り向いて云ったその言葉を聞いた時、エヴァンジェリスト氏は、『冤罪弁護士』として、儲けにはならないが、刑事事件を扱う『今村核』氏は、大会社の副社長であった父親の理解を得られなかったようだが、その父親が、定年退職後、自らも弁護士となったのは、『曲がったことが嫌いな男』である息子のことを、実は理解していたか、理解しようとしていたのであろう、と思うようになることをまだ知らなかった。


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1982年の冬……….

エヴァンジェリスト氏は、会社の同期の皆でスキーに行くことなり、同期の1人であるオン・ゾーシ氏の依頼でオン・ゾーシ氏運転のセダンに同乗していたが、軽井沢のやや急なその坂道を登り切れなかった、その時、大学1年の時の夏合宿を想い出していた。

OK牧場大学文学部1年の時(1974年だ)、エヴァンジェリスト氏は、所属した大学公認サークルの『四田文学学生会』の夏合宿で、軽井沢に来た。

エヴァンジェリスト氏には、OK牧場大学文学部に入ったからには『文学者』にならないといけない、という思い、そして、歴史ある『四田文学』の一員に自分もならなくてはならない、という焦燥感のようなものがあった。

金持ちだけが行く場所であり、そこには、自分が永久に触れることもないであろうと想っていた華やかな女性もいる場所でもある軽井沢に行くこと自体も、エヴァンジェリスト氏の胸を期待に膨らませた。

しかし、『四田文学学生会』の夏合宿のあった軽井沢は、草の生い茂った場所で、高級避暑地を思わせるものは何もなく、合宿にいたのも、暗い文学者然とした先輩や、やたら声高に『文学』を論じる同期たちだけであった。

詰まらなかった。エヴァンジェリスト氏にとって、『四田文学学生会』の夏合宿は、堪らなく詰まらないものであった。

『四田文学学生会』の夏合宿で、エヴァンジェリスト氏は、自分が『文学者』ではないこと、『文学者』にはなれないことを知った。

夏合宿以降、エヴァンジェリスト氏は一切、『四田文学学生会』の部室にも、合宿等のイベントにも顔を出すことはなかった。

しかし1982年の冬、スキー場に向う途中、

『キュ、キュ、キューッ!』

と、乗ったクルマが凍結した坂道を転げ落ちそうになり、そこが『軽井沢』と聞いた時、エヴァンジェリスト氏は、『四田文学学生会』を苦く思い出したのだ。

「(結局、ボクは、『文学者』にはなれなかった。いや、ならなかった)」

そして、エヴァンジェリスト氏は、更に、多分、氏以外の誰にも理解不能な、もう一つの回想を始めた。

「(そして、ボクは、『ボルグ』にも『マッケンロー』にもなれなかった…..)」






それも、軽井沢であった。

1981年の夏、エヴァンジェリスト氏は、軽井沢のテニス・コートにいた。

正確に云うと、テニス・コートの側に立っていた。

新入社員であったエヴァンジェリスト氏は、テニス部に入り、夏合宿に参加していたのだ。

「お前、野球部じゃなかったのか?」

ハンソデ先輩に訊かれた。

「ええ、野球部にも入っています」
「なんで、テニス部に入ったんだ?」



ハンソデ先輩は、テニス部の部長だ。冬でも半袖の服を着る、元気溌剌なハンソデ先輩だ。

「ああ、テニスもしてみたくなりまして」

嘘ではなかった。

「じゃ、どうしてラケット持ってないんだ?」
「はっ!?」


(続く)



【曲がったことが嫌いな男】石原プロに入らない?入れない?[その102]


====== 「公開」が操作ミスにより、遅れました。申し訳ありません。=====

「エヴァさん、曲がれるよね?」

列のすぐ前にいた女性が振り向いて云ったその言葉を聞いた時、エヴァンジェリスト氏は、『冤罪弁護士』として、儲けにはならないが、刑事事件を扱う『今村核』氏のことを知り、『今村核』もやはり『曲がったことが嫌いな男』なんだなあ、と思うようになることをまだ知らなかった。


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会社の同期の皆でスキーに行くことなり、エヴァンジェリスト氏が、同期の1人であるオン・ゾーシ氏の依頼でオン・ゾーシ氏運転のセダンに同乗していたが、軽井沢のやや急なその坂道を登り切れず、別の道を行くことになった1982年の冬……….

『軽井沢』という言葉から、エヴァンジェリスト氏は、OK牧場大学文学部1年(1974年だ)の自分を想い出していた。

OK牧場大学文学部1年の時(1974年だ)、エヴァンジェリスト氏は、所属した大学公認サークルの『四田文学学生会』の夏合宿で、軽井沢に来たのだ。

エヴァンジェリスト氏には、OK牧場大学文学部に入ったからには『文学者』にならないといけない、という思い、そして、歴史ある『四田文学』の一員に自分もならなくてはならない(その一員になることができる大学に入ったのだから)、という焦燥感のようなものもあった。

更に、合宿は、軽井沢で開催されることも、エヴァンジェリスト氏に参加の気持ちを持たせた。

軽井沢は、金持ちだけが行く場所であった。そこには、自分が永久に触れることもないであろうと想っていた華やかな女性もいる…….

しかし、『四田文学学生会』の夏合宿のあった軽井沢は、草の生い茂った場所で、高級避暑地を思わせるものは何もなく、合宿にいたのも、暗い文学者然とした先輩や、やたら声高に『文学』を論じる同期たちだけであった。

詰まらなかった。エヴァンジェリスト氏にとって、『四田文学学生会』の夏合宿は、堪らなく詰まらないものであった。

そもそも文学に興味があったのではない。エヴァンジェリスト氏に興味があったのは、遠藤周作とFrançois MAURIAC(フランソワ・モーリアック)だけであった。

OK牧場大学文学に入ってからも、極端な偏食ならぬ『偏読』であった。

読むのは、遠藤周作とフランソワ・モーリアック、そして、やはり遠藤周作の影響で、グレアム・グリーン、ジュリアン・グリーン、マルキド・サドだけであった。

因みに、遠藤周作が、そして、その影響を受けたエヴァンジェリスト氏が、マルキド・サド(サド侯爵)に関心を持ったのは、『サディスト』であったからではなく、『義人』ではないマルキド・サド(サド侯爵)は、『偽善への嫌悪』の象徴であったからであった。






『四田文学学生会』の夏合宿で、エヴァンジェリスト氏は、自分が『文学者』ではないこと、『文学者』にはなれないことを知った。

それなのに、エヴァンジェリスト氏は、OK牧場大学の大学院修士課程文学研究科フランス文学専攻にまで行ってしまったが、それは、ただただ、遠藤周作の『孤独』、フランソワ・モーリアックの『孤独』への共感からなのである。

夏合宿以降、エヴァンジェリスト氏は一切、『四田文学学生会』の部室にも、合宿等のイベントにも顔を出すことはなかった。

2年生になり、四田のキャンパスでフランス文学専攻になると(OK牧場大学文学部は、教養課程は1年だけで、2年からは専攻に入る)、そこには、エヴァンジェリスト氏の股間に『大異変』を生じさせる女性が出現し、『四田文学』のことも、『四田文学学生会』ことも考えることはなくなった。

しかし今(1982年の冬)、スキー場に向う途中、

『キュ、キュ、キューッ!』

と、乗ったクルマが凍結した坂道を転げ落ちそうになり、そこが軽井沢と聞いた時、エヴァンジェリスト氏は、『四田文学学生会』を苦く思い出したのだ。

「(結局、ボクは、『文学者』にはなれなかった。いや、ならなかった)」

OK牧場大学に入った頃には、まさか自分がサラリーマンになるとは想っていなかった。

「(そして、ボクは、『ボルグ』にも『マッケンロー』にもなれなかった…..)」



エヴァンジェリスト氏は、多分、氏以外の誰にも理解不能な、もう一つの回想を始めた。


(続く)





2018年5月27日日曜日

【曲がったことが嫌いな男】石原プロに入らない?入れない?[その101]



「エヴァさん、曲がれるよね?」

列のすぐ前にいた女性が振り向いて云ったその言葉を聞いた時、エヴァンジェリスト氏は、「海は危険」という親の忠告を守り、海水浴をしなかった朝丘雪路は、自分と同じで『曲がったことが嫌いな男、いや、女』だと思うようになることをまだ知らなかった。


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田舎(広島)に育った者(エヴァンジェリスト氏)には、軽井沢は夢の地であった。

「軽井沢のここを通った方が早いんだけどねえ」
「軽井沢……」
「(軽井沢かあ……)」
「別の道、行くね」

1982年の冬、会社の同期の皆でスキーに行くことなり、エヴァンジェリスト氏が、同期の1人であるオン・ゾーシ氏の依頼で同乗していたセダンが、軽井沢のやや急なその坂道を登り切れず、別の道を行くことになったのだ。

しかし、エヴァンジェリスト氏の意識はもう別のところに行っていた。

OK牧場大学文学部1年の時(1974年だ)、エヴァンジェリスト氏は、所属した大学公認サークルの『四田文学学生会』の夏合宿で、軽井沢に来たことがあった。

エヴァンジェリスト氏には、OK牧場大学文学部に入ったからには『文学者』にならないといけない、という思いがあった。

そして、歴史ある『四田文学』の一員に自分もならなくてはならない(その一員になることができる大学に入ったのだから)、という焦燥感のようなものもあったのだ。

更に、合宿は、軽井沢で開催されることも、エヴァンジェリスト氏に参加の気持ちを持たせた。

軽井沢は、金持ちだけが行く場所であった。そこには、自分が永久に触れることもないであろうと想っていた華やかな女性もいる。でも、ひょっとしたら、こんな自分でも….……..






しかし、『四田文学学生会』の夏合宿のあった軽井沢は、草の生い茂った場所で、高級避暑地を思わせるものは何もなかった。

また、合宿にいたのは、暗い文学者然とした先輩や、やたら声高に『文学』を論じる同期たちだけであった。

女性もいたような気もするが、明確な記憶はない。少なくとも、エヴァンジェリスト氏の股間に『異変』を生じさせるような女性はいなかったのであろう。

合宿で何をしたのかの記憶も定かではないが、読書会であったような気がする。

三島(由紀夫)だとか、川端(康成)といった作家の名前が交わされていたようにも思う。他にも、エヴァンジェリスト氏の知らない作家の名前も出ていた、多分。

詰まらなかった。エヴァンジェリスト氏にとって、『四田文学学生会』の夏合宿は、堪らなく詰まらないものであった。

エヴァンジェリスト氏は、三島(由紀夫)の小説も川端(康成)の小説も、他の学生達が名前を出した作家の小説も詩も読んだことはなかった。

興味がなかったのだ。そもそも文学に興味があったのではない。エヴァンジェリスト氏に興味があったのは、遠藤周作とFrançois MAURIAC(フランソワ・モーリアック)だけであった。

高校時代、エヴァンジェリスト氏が読んでいたのは、殆ど遠藤周作の小説と随筆だけなのである。

OK牧場大学文学に入ってからも読むのは、遠藤周作とフランソワ・モーリアック、そして、やはり遠藤周作の影響で、グレアム・グリーン、ジュリアン・グリーン、マルキド・サドだけであった。

極端な偏食ならぬ『偏読』であった。

因みに、遠藤周作が、そして、その影響を受けたエヴァンジェリスト氏が、マルキド・サド(サド侯爵)に関心を持ったのは、『サディスト』であったからではない。


遠藤周作のことは知らないが、エヴァンジェリスト氏はどちらかと云えば、『S』ではなく『M』の方だ。

『義人』ではないマルキド・サド(サド侯爵)は、『偽善への嫌悪』の象徴であったのだ。


(続く)



2018年5月26日土曜日

【曲がったことが嫌いな男】石原プロに入らない?入れない?[その100]



「エヴァさん、曲がれるよね?」

列のすぐ前にいた女性が振り向いて云ったその言葉を聞いた時、エヴァンジェリスト氏は、自動券売機で切符を購入する際に、自動券売機に話しかけていた朝丘雪路は、ひょっとしたら『真っ直ぐに』AI時代を予見していたのかもしれないと思うようになることをまだ知らなかった。


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「(うっ…..)」

セダンの前方席の2人(オン・ゾーシ氏とその恋人のニキ・ウエ子さん)の痴話を耳にしながら、うたた寝し、いつの間にか後部座席で横になっていたエヴァンジェリスト氏は、シートの背に体を打ち付けた。

1982年の冬、同期の皆でスキーに行くことなり、エヴァンジェリスト氏が、同期の1人であるオン・ゾーシ氏の依頼で同乗していたセダンが、やや急なその坂道を登り切れず、スリップして下にずり落ちたようであった。

坂道は、凍結していたようなのだ。

「スリップしてね。この坂は無理かなあ…..」
「ああ…..」
「軽井沢のここを通った方が早いんだけどねえ」
「軽井沢……」
「(軽井沢かあ……)」
「別の道、行くね」

というオン・ゾーシ氏の言葉も聞こえてはいたが、エヴァンジェリスト氏の意識はもう別のところに行っていた。

OK牧場大学文学部1年の時、エヴァンジェリスト氏は、所属した大学公認サークルの『四田文学学生会』の夏合宿で、軽井沢に来たことがあった。

『四田文学』なる雑誌がある。OK牧場大学文学部を中心として刊行されて来た文芸雑誌である。

OK牧場大学文学部に入ったからには、『四田文学』に(正しくは、『四田文学学生会』に)入らなければならない、という一種の強迫観念から、エヴァンジェリスト氏は、入学して間もなく、『四田文学学生会』に入部した。

『四田文学学生会』で何をするか分からぬまま入会したエヴァンジェリスト氏は、その後、部室には1、2度しか足を踏み入れなかった。

1年生は授業も多く、結構忙しくもあった。それに、授業を受けている方が楽しかった。

しかし、OK牧場大学文学には、女性が多かった。広島から出て来たウブな青年(というか少年に近い男)には、都会の女性は眩しく、また、馨しかった。

講師の授業を一応は聴きながら、目と鼻は同期の女性たちに向い、『四田文学学生会』の部室に向かう気持ちは湧かなかった。

授業中、常に股間には『異変』が生じていたのだ。






『文学者』なるものがどういうものであるのか知らなかったが、エヴァンジェリスト氏には、OK牧場大学文学部に入ったからには『文学者』にならないといけない、という思いがあった。

『四田文学』に対する思いよりも、股間の本能の方が強かったが、歴史ある『四田文学』の一員に自分もならなくてはならない(その一員になることができる大学に入ったのだから)、という焦燥感のようなものもあったのだ。

そうした時、エヴァンジェリスト氏は、『四田文学学生会』の夏合宿があることを知り、合宿参加の申込をした。合宿費用は、親に無心した。

合宿は、軽井沢で開催されることも、エヴァンジェリスト氏に参加の気持ちを持たせた。

田舎(広島)に育った者には、軽井沢は夢の地であった。

軽井沢は、金持ちだけが行く場所であった。そこには、自分が永久に触れることもないであろうと想っていた華やかな女性もいる。でも、ひょっとしたら、こんな自分でも….……..


行ったことも、見たこともないのに、そう想っていた。


(続く)


2018年5月25日金曜日

【曲がったことが嫌いな男】石原プロに入らない?入れない?[その99]



「エヴァさん、曲がれるよね?」

列のすぐ前にいた女性が振り向いて云ったその言葉を聞いた時、エヴァンジェリスト氏は、「我が家には主婦がいない」と云う夫(津川雅彦)に対して、「私も家事のできる奧さんが欲しい」と云ったという朝丘雪路もある意味で『真っ直ぐな人』であったのだと思うようになることをまだ知らなかった。


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『キュ、キュ、キューッ!』

「(うっ…..)」

セダンの前方席の2人(オン・ゾーシ氏とその恋人のニキ・ウエ子さん)の痴話を耳にしながら、うたた寝し、いつの間にか後部座席で横になっていたエヴァンジェリスト氏は、シートの背に体を打ち付けた。

1982年の冬、同期の皆でスキーに行くことなり、エヴァンジェリスト氏は、同期の1人であるオン・ゾーシ氏の依頼で、オン・ゾーシ氏のクルマ(セダン)に同乗していた。

しかし、セダンは、やや急なその坂道を登り切れず、スリップして下にずり落ちたようであった。

坂道は、凍結していたようなのだ。

「ごめんね、エヴァさん」

オン・ゾーシ氏が、エヴァンジェリスト氏に詫びた。

「スリップしてね。この坂は無理かなあ…..」
「ああ…..」
「軽井沢のここを通った方が早いんだけどねえ」
「軽井沢……」

と、独り言ちたエヴァンジェリスト氏は、そのまま口を開けていた






開けたままの口の中に、エヴァンジェリスト氏は、何か苦い物を感じた。

「(軽井沢かあ……)」
「別の道、行くね」

というオン・ゾーシ氏の言葉も聞こえてはいたが、エヴァンジェリスト氏の意識はもう別のところに行っていた。

「(『学生四田文学』の合宿は、軽井沢だった…..)」

OK牧場大学文学部1年の時、エヴァンジェリスト氏は、所属した大学公認サークルの『四田文学学生会』の夏合宿で、軽井沢に来たことがあった。

「(場違いだった….)」

『四田文学』なる雑誌がある。OK牧場大学文学部を中心として刊行されて来た文芸雑誌である。

そして、『四田文学学生会』は、『学生四田文学』なる雑誌(同人誌)を刊行している。

『学生四田文学』は『学生四田文学』であり、勿論、『四田文学』そのもではない。

しかし、OK牧場大学文学部に入ったからには、『四田文学』に(正しくは、『四田文学学生会』に)入らなければならない、という一種の強迫観念から、エヴァンジェリスト氏は、入学して間もなく、田吉にあるOK牧場大学の教養課程のキャンパスの校舎の一つにある『四田文学学生会』の部室の扉を開けた。

薄暗い部室の中には、髪をむさ苦しく長くした、年齢不詳の学生らしき男がおり、愛想なく、エヴァンジェリスト氏の入会手続をした。

「(ああ、これが文学者なのか….)」



『四田文学学生会』で何をするか分からぬまま入会したエヴァンジェリスト氏は、その後、部室には1、2度しか足を踏み入れなかった。

1年生は授業も多く、結構忙しくもあった。それに、授業を受けている方が楽しかった。

授業が面白かった訳ではない。当時も今も、エヴァンジェリスト氏は、勉強なるものが大嫌いだ。

しかし、OK牧場大学文学には、女性が多かった。広島から出て来たウブな青年(というか少年に近い男)には、都会の女性は眩しく、また、馨しかった。

講師の授業を一応は聴きながら、目と鼻は同期の女性たちに向い、『四田文学学生会』の部室に向かう気持ちは湧かなかった。

授業中、常に股間には『異変』が生じていたのだ。


(続く)