2019年8月31日土曜日

ハブテン少年[その16]




『少年』は、翠町にあった済世愛児園という幼稚園似通う最後の年、親は翠町に土地を買い、一戸建て住宅を建てたものの、周りは蓮田だらけで、後に高級住宅街になるとは予想だにできない環境に住むことになかったが、そんなことではハブテン少年ではあったのだ(いや、当時は、まだ『幼児』と云うべきであったであろうが)。

だって、ハブテルと、

「あんたあ、ハブテンさんな」

と母親に叱られるのだ。


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「ここを咥えるんで。マウスピース」

ヒザマゲ先輩は、エヴァンジェリスト少年にアルト・サックスの首からのぶら下げ方(ストラップを首にかけるのだ)、その上での両手での持ち方を教えた後、アルト・サックスの『し』の字の起点にある部分を咥えることを教えた。そして、その部分が、『マウスピース』と呼ぶものであることを教えた。

「はい」

と云って、咥えるところを見ると、竹がつけられていた。

「それ、リード云うんで」

エヴァンジェリスト少年は、恐々とマウスピースを咥え、リードを舌にあてた。

「(竹じゃ)」

タケノコを食べたことはあったが、竹は食べたことはなく、舐めたこともなかった。しかし、視覚が味覚にそれ(リード)が竹であることを教えた。

「(なんで、竹を舐めんといけんのんかいのお?)」



と、思ったが、ハブテン少年は、それを口にすることはなく、その日から、ヒザマゲ先輩にサックスの吹き方を教わっていったのであった。


(続く)


2019年8月30日金曜日

ハブテン少年[その15]




『少年』は、翠町にあった済世愛児園という幼稚園の時代、自宅は宇品の長屋住まいで、まだテレビもなく、お向かいのトコトコさんの家で見『日本プロレス中継』と『ディズニーランド』を見せてもらう他は、日曜日の朝、近所中の子どもたちが、その中でテレビのある子どもの家に集まり、『月光仮面』や『アラーの使者』、『紅孔雀』等の子どもむけドラマを見せてもらうという、貧しい暮らしながら、ハブテン少年ではあったのだ(いや、当時は、まだ『幼児』と云うべきであったであろうが)。

だって、ハブテルと、

「あんたあ、ハブテンさんな」

と母親に叱られるのだ。


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「ほいじゃったら、エヴァンジェリスト、お前、これじゃ」

と、エヴァンジェリスト少年が音楽室でムジカ先生に渡されたのは、ひらがなの『し』の字に似た金管楽器であった。放課後、ブラスバンド部員に紹介された後であった。

「サックスじゃ。アルト・サックスじゃ」

見たことがなくはない楽器であった。

「(ふううん。これがサックスかあ)」

エヴァンジェリスト少年は、手渡されたアルト・サックスをどう持っていいのか分からないまま両手で抱えた。



「あっちのが、テナー・サックスじゃ」

ムジカ先生は、すぐ近くで先輩らしき男子部員が吹いていた楽器を差して説明した。アルト・サックスに似ていたが、もっと大きい楽器であった。

「おい、ヒザマゲ。エヴァンジェリストに教えたれえ」
「はい」

ヒザマゲと呼ばれた先輩は、テナー・サックスを吹くのを止め、後輩に会釈した。

「よろしくお願いします」

エヴァンジェリスト少年は、ハブテン少年であるだけはなく、礼を知る少年であった。


(続く)


2019年8月29日木曜日

ハブテン少年[その14]




『少年』は、翠町にあった済世愛児園という幼稚園の時代、宇品にあった自宅は、風呂は共同風呂の長屋で、まだテレビもなく、毎週金曜日の夜には、お向かいのトコトコさんの家で見せてもらえるテレビ番組は、隔週で放送となる『日本プロレス中継』と『ディズニーランド』だけという貧しい暮らしながら、ハブテン少年ではあったのだ(いや、当時は、まだ『幼児』と云うべきであったであろうが)。

だって、ハブテルと、

「あんたあ、ハブテンさんな」

と母親に叱られるのだ。


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「ほおねえ」

居間のソファに座った母親の言葉は、ただ一言であった。

「ムジカ先生が、『明日から、お前、ブラスバンドに入れ』じゃと」

エヴァンジェリスト少年は、ハブテン少年としてはギリギリの不満を言葉に滲ませ、母親に訴えた。しかし……

「ほおねえ」

母親の反応は、変わらずつれないものであった。

「入らんといけんのんかいねえ?」

気落ちしたエヴァンジェリスト少年は、母親の顔色を伺うような物言いになった。

「嫌なんねえ?」
「嫌じゃないけど….」

ハブテン少年としては、そう云うしかない。

「ほいじゃったら、入ったらええじゃないねえ」
「ほおかいねえ….」
「あんたあ、鼓笛隊にも入っとったじゃないねえ」
「ほおじゃけど….」
「笛も上手いけえ」
「うん、ほおよねえ」

エヴァンジェリスト少年は、ハブテン少年である前に、まだ、ただの『少年』であり、母親の褒め言葉にいい気になってしまった。調子に乗ってしまったのだ。



母親も決してベンチャラで褒めた訳ではなく、素直な気持ちから発した言葉であった。鼓笛隊の中で、自分の息子の吹く笛の音を聞き分けることができたのではなかったが、何をしても優秀な末息子のことだから、きっと笛も上手い、と確認したのだ。

こうして、

「明日から、お前、ブラスバンドに入れ」

というムジカ先生の言葉通り、エヴァンジェリスト少年は、その翌日から、放課後、ブラスバンド活動をすることになったのである。




(続く)



2019年8月28日水曜日

ハブテン少年[その13]




『少年』は、翠町にあった済世愛児園という幼稚園の時代、宇品にあった自宅は、風呂は共同風呂の長屋で、まだテレビもなく、毎週金曜日の夜には、お向かいのトコトコさんの家で見せてもらえるテレビ番組は、隔週で放送となる『日本プロレス中継』と『ディズニーランド』だけという貧しい暮らしながら、ハブテン少年ではあったのだ(いや、当時は、まだ『幼児』と云うべきであったであろうが)。

だって、ハブテルと、

「あんたあ、ハブテンさんな」

と母親に叱られるのだ。


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「お母ちゃん!」

母親が、玄関を開けて入ってくると、エヴァンジェリスト少年は、玄関入ってすぐにある子ども部屋を飛び出し、叫んだ。

「どしたん?」

母親は、仕事用に使っている手提げ袋を置きながら、末息子なんだか必死な形相に口を開けたままになった。

「ブラスバンドじゃ」

思いが先走るエヴァンジェリスト少年の言葉は、説明にならない。

「あんたあ、どしたん?」



母親は、居間に入り、息子はその後を追う。

「今日、音楽の授業の後、ムジカ先生に呼ばれたんよ」

ようやく説明らしい説明を始める。

「ああ、ムジカ先生」

母親は、ムジカ先生を良く知っている。『おおきょうニイチャン』の『ミドリチュー』(広島市立翠町中学)時代の担任であったし、『おおきょうニイチャン』が入っていたブラスバンドの指導教諭でもあった。更には、『超』という枕詞がつく程に社交的な性格の母親は、PTAの役員もしており、ムジカ先生に限らず、『ミドリチュー』の先生たちとも親しかったのだ。

「ムジカ先生が、『ブラスバンドに入れ』じゃと」

出来るだけ口を尖らせないよう気を付けながら、エヴァンジェリスト少年は、問題の核心に触れた。

だって、いつも母親に、

「あんたあ、ハブテンさんな」

と躾けられていたのだ。エヴァンジェリスト少年は、ハブテン少年であったのだ。


(続く)


2019年8月27日火曜日

ハブテン少年[その12]




『少年』は、翠町にあった済世愛児園という幼稚園の時代、宇品にあった自宅は、風呂は共同風呂の長屋で、まだテレビもなく、毎週金曜日の夜には、お向かいのトコトコさんの家に、テレビを見せてもらいに行くという貧しい暮らしながら、ハブテン少年ではあったのだ(いや、当時は、まだ『幼児』と云うべきであったであろうが)。

だって、ハブテルと、

「あんたあ、ハブテンさんな」

と母親に叱られるのだ。


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「(お母ちゃんは、まだかのう?)」

自宅に戻ったエヴァンジェリスト少年は、彼が中学に入ると働きに出始めた母親の帰宅を待った。

「(比治山の方じゃ、云うとったのお)」

母親は、比治山近くのお寺に設けられた『留守家庭児童会』で働き始めたのだ。『留守家庭児童会』は、日中保護者が家にいなくて、下校しても家に誰もいない児童を、保護者が帰宅する時間帯まで預かる施設だ(今時は、学童保育ともいうようだ)。広島市が設けた施設である。

「(お母ちゃん、昔、教師やっとたあいうけえ)」

エヴァンジェリスト少年の母親は、戦中戦後(昭和20年前後)、音戸で(今の呉市音戸町で)『助教』(代用教員)をしていたので、勉強も含め児童の面倒をみる仕事に自分は向いていると考えたのであろう。また、極めて社交的な性格で、大人しく専業主婦をしているタイプの女性でもなかった。

「(お寺なんかあ)」

その時はまだ、母親の勤める『留守家庭児童会』に行ったことはなかったのだ。

しかし、やがて頻繁に顔を出すようになり、その『留守家庭児童会』のあるお寺の住職(『留守家庭児童会』の責任者)の『当時』小学生の息子(現在の住職)から、

「なんとハンサムな人なんじゃろう」

と思われるようになるのだが、そのことを知るのは、それから40年程、後のことである。






「(電車じゃけえ、『県病院前』じゃろ)」

母親は、『当時』、広島県立病院の他に広陵高校もあった『県病院前』の電停から、ちんちん電車(広島電鉄の路面電車)で通勤するようになっていた。翠町(といっても、西旭町に隣接する翠町の東端だ)の自宅から、『県病院前』の電停までは、徒歩で15分くらいかかるが、そろそろ帰宅してもいい時間ではあった。

「(帰ってきたら、お母ちゃんに云わんといけん)」

エヴァンジェリスト少年は、自分の勉強机の間に座り、そこにはいないムジカ先生を睨みつけるようにし、腕組みをした。


(続く)


2019年8月26日月曜日

ハブテン少年[その11]




『少年』は、翠町にあった済世愛児園という幼稚園の時代、宇品にあった自宅は、長屋であったし、風呂も何世帯もある長屋の共同風呂、そして、まだテレビもなかったが、その貧しい暮らしにもハブテン少年ではあったのだ(いや、当時は、まだ『幼児』と云うべきであったであろうが)。

だって、ハブテルと、

「あんたあ、ハブテンさんな」

と母親に叱られるのだ。


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「(上手いのは上手いんじゃ….)」

自分の勉強机の横にぶら下げたままになっている、袋に入った小学校時代のたて笛を見て、エヴァンジェリスト少年は思った。

「(あの時、何の曲吹いたのか覚えとらんけど)」

広島市の1番の繁華街である本通りを行進した時のことを思い出した。皆実小学校の時、鼓笛隊に選ばれたのだ。そのメンバーとして、たて笛を吹いたのである。

「(やりかったんじゃなかったんじゃが)」

そうだ。エヴァンジェリスト少年は、好き好んで鼓笛隊に入ったのではない。皆実小学校の時、少年は、成績は常にトップクラスで、行儀正しく、人をまとめる力もあったので、毎学年、学級委員をしていた。

「(学級委員もしたかったんじゃないんじゃけど)」

したくはなかったが、選挙をすると必ず選ばれてしまうのだった。選挙は立候補制ではなく、互選であった。クラスの子たちは、勉強で分からないことがあると、エヴァンジェリスト少年に訊き、少年はそれに丁寧に答えた。人望があった。

「(先生が勝手に選んだんじゃ)」

先生たちも、成績優秀で、品行方正、同級生の人望も厚いエヴァンジェリスト少年を、何かあるとクラスの代表に選ぶのであった。鼓笛隊のメンバーに選んだのも、先生であった。



「(たて笛も別に好きじゃないけえ)」

唾の味がする笛を吹くのは、むしろ好きではなかった。自分の唾ではあるが、臭い味がした。

「(間違えたらいけんのんも、好きじゃないけえ)」

他人の前で間違える、という事態が生じ得る状況に置かれることも好きではなかった。他人前に立つことそのものにプレッシャーは感じる方ではなかったが、間違えるということはしたくはなかった。

「テストの際、軽率な解決が多く」

と、『よい子のあゆみ』(通知表)に書かれたことがあった。ケアレス・ミスが多かったのだ。そんな自分をエヴァンジェリスト少年は、知っていた。

「(それに、音楽は別に好きじゃないけえ)」

音楽を嫌いではなかったが、決して好きでもなかった。それなのに、『ミドリチュー』(広島市立翠町中学)に入ったら、ムジカ先生に、

「明日から、お前、ブラスバンドに入れ」

と云われたのだ。そして、それを拒否することができなかったのだ。

だって、いつも母親に、

「あんたあ、ハブテンさんな」

と躾けられていたのだ。エヴァンジェリスト少年は、 ハブテン少年であったのだ。


(続く)



2019年8月25日日曜日

ハブテン少年[その10]




『少年』は、翠町にあった済世愛児園という幼稚園の時代、済世愛児園前まで行ったものの引き返すことが幾度もあった宇品にあった自宅は、長屋であったし、風呂は何世帯もある長屋の共同風呂であったが、貧しい暮らしながら、ハブテン少年ではあったのだ(いや、当時は、まだ『幼児』と云うべきであったであろうが)。

だって、ハブテルと、

「あんたあ、ハブテンさんな」

と母親に叱られるのだ。


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「(おおきょうニイチャンが『ミドリチュー』でブラスバンドじゃったら、なんで、ボクもブラスバンドに入らんといけんのんじゃ!?)」

尖らせた口にハブテタ様子を露わにしながら、エヴァンジェリスト少年は、翠町の自宅の門を開け、玄関に向った。



「(お母ちゃんに云うけえ)」

玄関を入った時は、尖らせた口は自然と両端が横に引かれ、もう尖っていなかった。

だって、ハブテテいると、

「あんたあ、ハブテンさんな」

と母親に叱られると思ったのだ。

「(ほいじゃけど、お母ちゃんに云うけえ)」

お母ちゃんなら、なんとかしてくれると思ったのだ。

「ただいまー」

母親はまだ帰宅していなかったが、エヴァンジェリスト少年は、そう云った。そして、靴を脱ぐと、玄関を入ってすぐ眼の前にある『こども部屋』に入った。そこは、男3兄弟の部屋であった。

「ふん!」

おおきょうニイチャンの勉強机に向け、鼻を鳴らし、自分の勉強机に鞄を置いた。

「(たて笛かあ)」

自分の勉強机の横に、小学校時代のたて笛を袋に入れ、ぶら下げたままになっていた。


(続く)



2019年8月24日土曜日

ハブテン少年[その9]




『少年』は、翠町にあった済世愛児園という幼稚園の時代、済世愛児園前まで行ったものの引き返すことが幾度もあった宇品にあった自宅は長屋で、貧しい暮らしであったが、ハブテン少年ではあったのだ(いや、当時は、まだ『幼児』と云うべきであったであろうが)。

だって、ハブテルと、

「あんたあ、ハブテンさんな」

と母親に叱られるのだ。


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「(お母ちゃんに云わんといけん)」

『ミドリチュー』の正門を出て、帰宅しながら、エヴァンジェリスト少年は、そのことしか考えていなかった。

「(なんで、ブラスバンドに入らんといけんのんじゃ!)」

エヴァンジェリスト少年は、心の中でハブテまくっていた。

「(ブラスバンドなんか、興味ないけえ!)」

音楽のムジカ先生に、ブラスバンド入りすることを強要されたのだ。それを拒否できなかったのではあったが。

「(トロンボーンのなにがええんや!?)」

おおきょうニイチャンが、楽しそうにトロンボーンを吹く姿が脳裏に浮かぶ。おおきょうニイチャンは、国泰寺高校でもブラスバンドに入り、そこではトロンボーンもフルートも吹いていたが、『ミドリチュー』でも、そうブラスバンドに入っていたのだ。



「明日から、お前、ブラスバンドに入れ」

と、ムジカ先生が、エヴァンジェリスト少年に云ったのは、エヴァンジェリスト少年が、『おおきょうニイチャン』の弟であったから、なのであろう。


(続く)



2019年8月23日金曜日

ハブテン少年[その8]




『少年』は、翠町にあった済世愛児園という幼稚園の時代、済世愛児園前まで行って、宇品にあった家に引き返し、家の裏口に蹲っていることが幾度もあった情けいない子ながら、ハブテン少年ではあったのだ(いや、当時は、まだ『幼児』と云うべきであったであろうが)。

だって、ハブテルと、

「あんたあ、ハブテンさんな」

と母親に叱られるのだ。


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「(どうしょう?)」

体はまだ小学生と殆ど変わらず、詰襟の学生服を着ているというよりも、大きめな詰襟の学生服に着られている、といった方が合っているエヴァンジェリスト少年の幼い心は、不安と不満にかき乱されていた。

「(おおきょうニイチャンのせいじゃ)」

エヴァンジェリスト少年の怒りは、長兄に向けられた。音楽のムジカ先生に、ブラスバンド入りすることを強要され、それを拒否できなかったのだ。

「(おおきょうニイチャンが、トロンボーンなんかやっとるけえ、こうなったんじゃ)」



エヴァンジェリスト少年は、男3兄弟の末っ子であった。

「(なんで、おおきょうニイチャンは、『おおきょうニイチャン』なんかのお?)」

と思うことはあったが、長兄が、『大きいニイチャン』であり、それがなまって『おおきょうニイチャン』となったのであろうと推定できたのは、高校生になってからであったように記憶する。

『その時』は、とにかく、

「(おおきょうニイチャンが、いけんのんじゃ)」

と、エヴァンジェリスト少年は、心の中でハブテテいた。


(続く)



2019年8月22日木曜日

ハブテン少年[その7]




『少年』は、翠町にあった済世愛児園という幼稚園の時代、済世愛児園前まで行って家に引き返すような情けいない子ながら、ハブテン少年ではあったのだ(いや、当時は、まだ『幼児』と云うべきであったであろうが)。

だって、ハブテルと、

「あんたあ、ハブテンさんな」

と母親に叱られるのだ。


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「ええのお?!」

少し欧米人の血が入っているのでは、とも見える容貌のムジカ先生の眼差しに、エヴァンジェリスト少年は、身竦まされる。

「あ….」

と、半開きの口から、一音を発することしかできない。『当時』はまだ巷に滅多に外国人を見かけることはなく、ムジカ先生の視線を受け、意思の疎通のしようがない相手と対峙している感覚であったのだ。

「お前、ブラスバンドで、ええのお?!」

ムジカ先生は、もう一度、訊いた、というか、決めつけてきた。

「あ、はい…..」

エヴァンジェリスト少年は、肯定するしかなかった。拒否するようなハブテタ態度を取ることはできなかった。だって、いつも母親に、

「あんたあ、ハブテンさんな」

と躾けられていたのだ。エヴァンジェリスト少年は、 ハブテン少年ではあったのだ。

「ほいじゃ、明日の放課後から音楽室に来い」

と云うと、ムジカ先生は、自分の机に向い、何やら資料をめくり始めた。

「あ、はい…..」

自失したエヴァンジェリスト少年が、音楽教師の教務室を出て、その前の階段を降りていく様を誰かが見ていたら、

「『猿の惑星』のラストシーンの『テイラー』のようだ」



と思ったかもしれないが、『猿の惑星』が公開されたのは、それから1年後のことであったし、『その時』、そこには誰もいなかったので、実際には、誰も、

「『猿の惑星』のラストシーンの『テイラー』のようだ」

とは思わなかった。


(続く)


2019年8月21日水曜日

【緊急依頼】身元引受人になってえや![後編]




ビエール・トンミー氏は、泣いた。

友人エヴァンジェリスト氏から、iMessageで返信が来たのだ。

自分がいつか警察に逮捕され、保釈されるにあたって、身元引受人になってくれまいか、と頼ってみたとろ、早々に快諾の返信があったのだ。

普段から、友人とはいえ、エヴァンジェリスト氏のことを虐げてきた身としては、友人のまさに友情が嬉しかった。

こちらから頼まずとも、差入れのことまで気にかけてくれているのだ。

「やっぱり裸体画がいいか?」

と。

涙に濡れた眼を拭かず、そのままに、iMessaageを友人に打ち始めた。


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あっ、いや、まだそういう事態にはなっとらんのや。そやけどそういう可能性は一杯やるんや。

破廉恥系の可能性が一杯あるんや。それに道路交通法違反(一時停止違反)やろ、軽犯罪法違反やろ(バス待ちの列に割り込む)やろ、市条例違反(前の晩にゴミを出す)やろ、環境保護法違反(尾瀬で木道から謝ってピーナッツをおとす)、動物愛護法違反(猫のウンコをほっておく)やろ。


要するにワデは大悪人なんや。

だからいつお縄を頂戴する身になってもおかしくないんや。

アンタはんは小菅拘置所に慣れてはる。その道の専門家や。だからご禁制の裸体画の差入れを頼みまっせ。

あとお弁当もな。アンタはんはヒモのヒモやさかい(ヒモ的生活を送っているお兄さんにおごってもらってるアンタは、ヒモのヒモやろ)、余裕があるやろ。その辺の料亭で見繕って1個5,000円位のお弁当頼みまっせ。

その代り、後で、小菅情報をたんまり教えまっせ。興味あるやろ。

ところでな、ワテの関西弁やが、影響されたんは朝ドラは朝ドラでも、「カーネーション」やで。

「まんぷく」の関西弁は酷かった。あんなん関西弁とちゃう。そもそも萬平さんは東京弁やったやんか。他の役者も酷かった。特に松坂慶子は関西弁を東京弁で喋る気持ちワルイ関西弁やったで(それに、ワテはワテの名誉の為に云っておくけど、ワテは、松坂慶子で『んぐっ!』してへんで)。

その点、「カーネーション」は、出てくる役者が全部関西出身や。主演の尾野真千子は奈良、小林薫は京都、極め付けは正司照江や。コテコテの大阪弁やで。尾野真千子の河内弁は迫力あったで。ワテはコロッとカーネーションに影響されたんや(まあ、ワテは、尾野真千子にも、小林薫にも、正司照江にも、『んぐっ!』してへんけどな)。

ここんトコちゃんと解ってもらわんとアカン。

とは云うてもな、アンタはんには、感謝や。破廉恥系犯罪で逮捕されるワテの身元引受人になってくれるやなんて、やっぱり友だちや。世界でただ一人の友だちや。

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「あら、アータ、どうしたの?泣いてるの?」

iPhoneをいじりながら、パジャマの袖で眼を拭った夫の顔を、マダム・トンミーは覗き込んだ。

「いや、なんでもないよ。ちょっと老眼で目が霞んじゃってさ」

妻に対しては、標準語になる。妻は、自分(夫)が『変態」であることを知らないのだ。

「あーら、そうなの。まだまだ色んなところに一緒に旅行したいんだから、あんまり老けないでよ」

と、妻(私)は、夫の身を案ずる妻の態度を取ったものの、知っていたのだ。

「(どうせ、また、エヴァンジェリストさんと変なメッセージのやり取りしてるんだわ。きっとエロ系ね。どうして泣いてたのかは分からないけど、イヤラシイ画像でも送ってもらって、嬉し泣きだったのかも。バレてないと思ってるみたいだけど、アータが『変態』だってこと、知ってるのよ。だって、アタシ、アータの妻よ。ここしばらく、ソンナコトはないけど……アータって、今はソンナコトはできないけど、気持ちだけは、変わらず『変態』だし、この前だって、PCの画面見たら、『んぐっ!』だとか、『股間の異変』だとか、なんだか分からないけど、もうイヤラシそうな言葉ばっかりだったもの。それは構わないの。でも、気持ちだけでなく、そろそろアッチの方も『変態』に戻って欲しいわ

ビエール・トンミー氏は、何故かいつもよりプリプリとお尻を横に揺らしながら台所に向かう妻の後ろ姿を見ていた。

「んぐっ!」


(おしまい)