2020年5月26日火曜日

治療の旅【江ノ島/鎌倉・編】[その18]






「そのフランス文学修士も今は、しがない再雇用者だ。そして…」

高学歴でフランス語が堪能であると褒める友人の言葉に、エヴァンジェリスト氏は、却って自身の不甲斐なさを思い知らされたのだ。

「…『病人』だ、ボクは」

と、呟いた時、『エスカー』は、1区の1連目の終点に着き、エヴァンジェリスト氏とビエール・トンミー氏は、2連目に乗り換えた。

「おい、『病人』。どうだ、『エスカー』は?」

ビエール・トンミー氏が、自慢げに訊いてきた。

「ああ、エスカレーターというよりも、なんだかトンネルみたいだな」
「まあ、閉ざされた筒の中を上っている感じだからな」
「エスカレーターというと、ボクは、新御茶ノ水のエスカレーターを思い出す」
「ああ、あそこのエレベーターは長いものなあ。千代田線は、ボクたちが、東京に来た頃は、一番新しい地下鉄だったんだよなあ」

若い頃の記憶が乏しいエヴァンジェリスト氏であったが、ビエール・トンミー氏と一緒に大学受験の為、上京し、2人で新御茶ノ水駅の上り下り各々2基ある長ーいエスカレターを見た時の驚きは覚えていた。

「なんだかSFの世界のように見えた」

上京したが、受験に失敗し、浪人することにはなったものの、その頃はまだ、エヴァンジェリスト氏は、自らの将来を信じていた。『何者か』になることを根拠なく信じていた。

「(だが…ボクは今、40円のコーヒー代も惜しく思う貧乏人だ。しかも、『病気』になってしまった….)」

『エスカー』が上る横の壁面に力のない視線を送るエヴァンジェリスト氏を振り返って見たビエール・トンミー氏は、一瞬だけ真顔になったが、口角を上げて云った。

「お、いいぞ、『病人』!その感じだ。『病人』らしいイイ表情だ」

友人のその言葉に、エヴァンジェリスト氏は、元気を取り戻し、思い切り項垂れてみせた。

「ああ、ボクは『病人』だ」




(続く)


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