2020年5月16日土曜日

治療の旅【江ノ島/鎌倉・編】[その8]






「おお、それだ、それだ」

片瀬江ノ島行の小田急線の車両に並んで座る友人が、電車の床に視線を落とすのを見たビエール・トンミー氏は、満足げに云った。

「それでこそ『病人』だ」
「おお、そうかあ?」

と、エヴァンジェリスト氏は、今度は、両肩も落としてみせた。

「いいぞ、いいぞ!『病人』は『病人』らしくしてないとな」

と他愛もない会話を続けている内に、電車は、片瀬江ノ島に着いた。

「久しぶりだ…」

と、改札に向かいながら呟いたものの、エヴァンジェリスト氏には、片瀬江ノ島駅の記憶は余りなかった。いや、殆どなかった。いやいや、全くというか、本当に久しぶりなのか、かつて来たことがあるのか、怪しいくらい、何も覚えていなかった。

「お…!」

根拠なき感傷に浸ろうとしている内に、ビエール・トンミー氏は、もう自動改札を通ろうとしていた。エヴァンジェリスト氏は、歩を速めて友人を追った。

「ああー」

駅を出たところで、友人は、立ち止まり、深呼吸をするように胸を拡げた。駅前には、快晴の空が開けていた。

「(,,,,,,どうして、空はこんなに青いんだ?......)」

友人に追いつき、友人と並んで空を見上げたものの、エヴァンジェリスト氏は、青い空を胸に吸い込むことはできなかった。

「(この男にはないのだ。屈託というものが、ストレスなるものが!)」

まだ立ち止まったままの友人の横顔に多少の憎しみを感じた。エヴァンジェリスト氏は、何も知らなかったのだ。友人が何故、そこでしばらく立ち止まったままであったのか……





(続く)



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