2020年8月2日日曜日

治療の旅【江ノ島/鎌倉・編】[その75]






「はあ?分らんのんか?」

エヴァンジェリスト氏が、ビエール・トンミー氏に対し、批難するような云い方をしたが、江ノ電『長谷』駅を出て北上する狭い歩道で立ち止まったまま話し込んでいる二人を、他の通行人たちは、批判の眼を向けながら、躱して行く。

「外国人と云えば、坐禅が好きだろう、ということか。それはちょっと単純過ぎはしないか?外国人が皆、坐禅好きとは限らんだろう」

プライドから批難なるものを受け容れ難く、ビエール・トンミー氏が、理屈で返した。

「おっ。実は、ボクもそう思った。そのドイツ人本人が希望したのか、単純過ぎる実家の連中の勝手な判断なのか、兎に角、ドイツ人は、坐禅をする羽目になったんだ」

神妙な面持ちとなったエヴァンジェリスト氏は、広島弁を止めた。

「それが、元宇品の寺ということか」
「ああ、長兄が、元宇品の観音寺の住職と知り合いだったんだ」
「で、ドイツ人の通訳たる君も、坐禅に付き合ったんだな」
「ああ、苦しかったあ…脚が痛くて痛くて」
「だから、坐禅はもうゴメンなのか」
「ボクは今はもう、正座だってもう出来ない。女房の父親の葬式の時だって、ボク一人、胡座をかいていた」
「うーむ。それはいかん。礼を失しているぞ」
「ふん!君に云われたくないな。君だって、優雅な老後生活に胡座をかいているだろうに」
「要は、君は坐禅を組むのは嫌なんだな」
「ああ、産業医の勧めでも、嫌なものは嫌だ」
「まあ、坐禅を組んだところで、君の頭の中はどうせエロい妄想で一杯になるだろうしな」
「君だって、西洋美術史の研究と称し、胡座をかいて裸体画ばかり見て、涎を垂らしていることは分ってるんだ。なのに、『花の寺』とかいう浄らかそうな長谷寺に行こうとは、烏滸がましいぞ」




「はああ?誰が、長谷寺に行くと云った?」
「ええ?」

口を開けたエヴァンジェリスト氏は、美男も台無しのマヌケ顔になっていた。


(続く)


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