(治療の旅【江ノ島/鎌倉・編】[その96]の続き)
「感想文の修士論文もいいではないか」
ビエール・トンミー氏が、鎌倉文学館で『文学』改革を語っていた。
「君の修士論文は、感想文だったかも知れないが、教授たちの心を動かしたのだろう?」
『ボブ・ディラン』がノーベル文学賞を受賞したことから、ノーベル文学賞選考委員たちが既存の『文学』の改革を狙っており、その一環として、エヴァンジェリスト氏にもノーベル文学賞を授賞しようとしている、と妄想しているのだ。
「ああ、ワッカーバ・ヤッシー・シンさんは、『君の情熱は認める』と云っていた」
「ははん?タイガー・ジェット・シンみたいだが、ワッカーバ・ヤッシー・シンって、教授か?」
「ああ、指導教授だった。修士論文の『François MAURIAC論』のテーマが、『見る』ということだったことから、笑いながら、『眼を瞑ってとおしてやる』と云われた。多分、文学研究科の修士論文の態をなしていなかったんだと思う」
エヴァンジェリスト氏は、無意識の内に、手で頬を触り、指先についた何か湿ったものを凝視した。それが、友人が飛ばした唾であることは認識できていなかった。
「でも、結局は、『君の情熱は認める』と、君の論文審査を合格にしたんだろ?」
「ああ、そうだ」
「ワッカーバ・ヤッシー・シンも、それまでにない論文に戸惑ったのだ。だが、君の論文が秘めるものを認めない訳にはいかなったんだろう」
「そうだろうか…」
「『プロの旅人』だって、Blogなのか、ネットに公開された小説なのか、駄文なのか、それはよく分らんが、あれだって『文学』の態をなしているとはお世辞にも云えない。先ず、内容がクダラナさ過ぎる。文章に色を付けているところも、とても真っ当な『文学』とは見えない。そして、何よりあの気色悪いアイコラだ。『文学』にも、そう小説なんかにも挿絵はあるが、アイコラ挿絵なんて、ボクは他に知らん。ましてや、グロなアイコラなんてな」
「いやあ、そこまで云わなくても…」
「だがな、『プロの旅人』は、時にな、いいか、ほんの時にだぞ、人間の本質、世の本質に触れることを書くことがある。それまでのクダラナさは、そういった本質に触れることにありがちな、ある種の胡散臭さ、もしくは青臭さをカモフラージュするものとも見えるんだ。一種の偽悪趣味かもしれん。自らの真の姿を曝け出したくないのだ。衒うことを嫌う君は、恥じを知る男だからな」
と、解説しながら、ビエール・トンミー氏は、己の解析が間違っているとは思わないものの、自らの意思によるものではなく、何かに突き動かされているように感じた。
(続く)
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