2020年8月6日木曜日

治療の旅【江ノ島/鎌倉・編】[その79]






「え?鎌倉文学館?」

『鎌倉文学館』は、全く想定いなかった場所のようで、エヴァンジェリスト氏は、立ち止まり、呆けたように口を開けた。江ノ電『長谷』駅を出て、狭い歩道を北上し、『長谷観音』の交差点を右折した歩道である。

「そうだ。鎌倉文学館だ」

一方、ビエール・トンミー氏は、現役ビジネスマン時代を取り戻したかのようにキッパリと友人に告げた。

「鎌倉に文学館があったのかあ…」
「君は、文学部出身なのに、それもフランス文学修士なのに知らなかったのか?」
「うーむ……鎌倉に限らず、ボクは文学館なるものに行ったことがない。いや、正確に云うと、文学館には興味はない。それ以前に、文学に興味はない。ボクは、遠藤周作の作品が好きで、その遠藤周作に影響を与えたフランソワ・モーリアック(François MAURIAC)に興味があって、文学部に入っただけなんだ」
「呆れた奴だなあ。文学が好きで大学院に行こうとしても合格しなかった者がいるだろうに、文学に興味がないと断言する男が、文学部に入るだけならまだしも、大学院に行ったなんてなあ。行けなかった連中に申し訳ないと思わんのか?」
「では訊くが、君は、商学部に興味があって天下のハンカチ大学の商学部に入ったのか?」
「うっ……いやまあ、それは……」
「君は、ハンカチ大学商学部で簿記の単位を取ったのか?簿記が『不可』で代替科目として会計学を取りはしなかったか?しかも、その会計学が何か、全く理解していなかった、なんてことはないだろうな」




「おのれえ、何故、そのことを….むっ」
「要は、君は就職に有利だろうというだけでハンカチ大学の商学部に入ったのだろうに」
「まあ、そうだが。いや、だがな、フランス語経済学は、ちゃんと『優』を取ったんだぞ」
「またその話か。誰のおかげで、その『優』が取れたんだ?」
「ああ、もういい。では、君は、鎌倉文学館には行かないのか?」
「いや、行かないとは云ってない。ただ、ボクに相応しいかなあ、とは思うが」
「ふん、君は何も分っていない」

ビエール・トンミー氏は、若かりし日の美青年ぶりを残す高い鼻をツンと上に向けた。


(続く)



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