<注意>
ビエール・トンミー先生のiMessageによるベンツの『クラス講座』は、ベンツの幾つかの『クラス』に対して、またそのオーナーに対して、辛辣過ぎる評価があるかもしれないが、決して、それらのベンツ、のオーナーを侮辱、差別をするものではない。
西洋美術史としてのビエール・トンミー先生の審美眼と、ハンカチ大学商学部卒の、しかも、SNCFの大家としてのビエール・トンミー先生のビジネス・センスとから、あくまで個人としての評価を述べるものである。
長年のベンツ・オーナーであるビエール・トンミー先生は、総ての『クラス』のベンツとそのオーナーを愛している。ベンツは、『評価』をするに値するクルマなのだ。『評価』をするに値しないモノについては、ビエール・トンミー先生は、言葉一つ吐くことはない。
[サインはVクラス?(続き21)]
「『ビルバオ・グッゲンハイム美術館』や!」
ビエール・トンミー先生は、生徒エヴァンジェリスト氏に対して、吐き捨てるように云った。脱線を重ねていたようにも見えたビエール・トンミー先生のiMessageによるベンツの『Vクラス』に関する講義は、ようやく『Vクラス』の元になっている商用車『Vito』が、スペインの『バスク地方』の州都の『Vitoria-Gasteiz』(ビトリア=ガステイス)で作られたものという、本来の講義に戻っていたようであったが、今は、『バスク』の『ビルバオ』談義へと脱線してしまっていた。
「おお、『ビルバオ効果』ですね!」
「な、な、なんや、アンタ、『ビルバオ・グッゲンハイム美術館』知ってんのか?」
「『ビルバオ・グッゲンハイム美術館』等の建造物によって、衰退していたビルバオの街が再生された、なんてことを知ってるとお思いですか?」
「質問に質問で答えんのはやめえな。相手に失礼やで」
「ああ、私、どうやら、中学・高校も卒業していない非常識者のようですので」
「ああ、アンタは、どうしょうもない非常識なやっちゃ。せやけど、云うか、せやから、云うか、アンタは、世界でもトップクラスの『デジタル・ハンター』や。おっそろしい程に、いろんなモンをネットで即座に調べよる。ワテとのiMessageのやり取りの間に、バスクについて、ビルバオについて、ネットで調べたんやな」
「はああ?私、『デジタル・アンタ』ですかあ?」
「また、すっトボけんのか。もう調べたんなら知っとるやろが、『ビルバオ・グッゲンハイム美術館』は、金属のドンガラの光沢が目立つケッタイな建物や」
「え!?『ビルバオ・グッゲンハイム美術館』は、『国松』が造ったんですかあ?」
「おいおい、また妙なこと云い出しよるなあ。なんや、『国松』て?」
「『国松』といっても、亀屋万年堂の『国松』ではありませんよ」
「訳の分らんことに、更に訳の分らんこと重ねんなや。亀屋万年堂は、よう知っとるで。ワテが一時期、自由が丘に(正確には、世田谷の等々力やけど)住んどったんは、アンタかて知っとるやろ」
「ああ、自由が丘女子をメロメロにしていた時期ですね」
「まあ、それは否定でけんな。で、自由が丘ゆうたら亀屋万年堂や。『ナボナ』やろ。『お菓子のホームラン王』やでえ」
「おお、先生、ノッていらっしゃいましたね!」
「おっとお…ノッてへんでえ。間違えんなや。ワテ、『ナボナ』は食べたことないで。けど、亀屋万年堂の『国松』って何や?亀屋万年堂は、そないなお菓子も作っとたんか?」
(続く)
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