<注意>
ビエール・トンミー先生のiMessageによるベンツの『クラス講座』は、ベンツの幾つかの『クラス』に対して、またそのオーナーに対して、辛辣過ぎる評価があるかもしれないが、決して、それらのベンツ、のオーナーを侮辱、差別をするものではない。
西洋美術史としてのビエール・トンミー先生の審美眼と、ハンカチ大学商学部卒の、しかも、SNCFの大家としてのビエール・トンミー先生のビジネス・センスとから、あくまで個人としての評価を述べるものである。
長年のベンツ・オーナーであるビエール・トンミー先生は、総ての『クラス』のベンツとそのオーナーを愛している。ベンツは、『評価』をするに値するクルマなのだ。『評価』をするに値しないモノについては、ビエール・トンミー先生は、言葉一つ吐くことはない。
[サインはVクラス?(続き20)]
「ビルバオのことでワテが理解できひんもんがあるとしても、それはやな、ワテが高所恐怖症やからといって、ビルバオにあるあの橋のことやない。勘違いするんやないで」
ビエール・トンミー先生のその言葉は、生徒エヴァンジェリスト氏への警戒心を露わにしていた。脱線を重ねていたようにも見えたビエール・トンミー先生のiMessageによるベンツの『Vクラス』に関する講義は、ようやく『Vクラス』の元になっている商用車『Vito』が、スペインの『バスク地方』の州都の『Vitoria-Gasteiz』(ビトリア=ガステイス)で作られたものという、本来の講義に戻っていたようであったが、今また、ビエール先生が『Vクラス』をお気に召さない理由を、エヴァンジェリスト氏は、『バスク』の『ビルバオ』にあり、と、『ビルバオ』談義へと脱線して行っていた。
「橋、ですか?」
「せや、『ビスカヤ橋』や。運搬橋や。橋いうてもな、ゴンドラで人やクルマを運ぶんやで。この橋や」
「ああ、下を船が通れるようにしたんですね」
「せや。下を船が通れるようにと、橋を高い所に造ると、昔は、馬車や自動車は馬力があらへんかったさかい、登れんやろ。そこで、運搬橋の登場、ちゅうことや。で、あんさんは、高所恐怖症のワテには、そないな橋は理解でけんはずや、と云いたいんやろ?」
「まあ、そう云いたいのではありませんが、そんなゴンドラに、先生は、乗れるんですか?」
「あんなあ、ワテ、こう見えても、会社のスキー部の部長やってたんやで。今はもうスキーはしてへんけどな」
「ええ!?先生、それ、初耳です。部長なんて、そんな高い地位に就くことに不安はなかったんですか?」
「また、それか。アホか。会社には部長はそもそも少ないポストでそこに到達でけん人が大部分やが、ワテはその中の最年少の部長やったで」
「何歳の時に部長になられたんですか?」
「29歳位の頃やな」
「おお、まさしく青年部長!」
「おちょくっとんかいな」
「でも、スキーって、リフトというのかゴンドラというのか知りませんが、それに乗って山に登るんではありませんか?」
「あんなあ、スキーをするちゅうことは、リフトに乗るちゅうことやで。当り前やんか」
「私は、草津のスキー場の低い所でしか滑ったことがないもので」
「知ってるがな。『プロの旅人』の『曲がったことが嫌いな男』シリーズに書いてあったがな」
「先生が、スキーでリフトに乗れたのは、当時、まだ若く、高所不安はそんなに強くなかったからなんですか?....いや、あ、そうかあ!女の子と一緒にリフトに乗ったんですね!そうかああ、高所不安に『欲望』が勝ったんでしょう」
「エエ加減にせえよ。アンタもうすぐ70歳やで。もう、そないな中高生みたいなんは、卒業したらドヤ」
「私、文学研究科フランス文学専攻修士課程を修了しているんですが、まだ、中学・高校を卒業していなかったんでしたっけ?あれえ、飛び級で大学院に行ったのかなあ?確か、先生と一緒に、広島皆実高校を卒業したような気がしますが…」
「勝手にさらせ!」
「では、勝手に推測させて頂きますと、『ビスカヤ橋』が怖くないのは、『ふか~い』お付合いのあったバスクの女性と一緒にゴンドラに乗ったら、また高所不安に『欲望』が勝つからなんですね!」
「アンタ、もうサカリのついた中高生以下やで。いつか逮捕されるで。何度も云うけどな、『ふか~い』お付合いのあったバスクの女性なんていーへんて。ワテが、ビルバオのことで理解できひんもんがあるとしても、それは別のもんや」
(続く)
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