「ん?なんでもないよねえ」
バスの座席で臀部をモゾモゾさせたことに気付かれた娘に、母親は、怒るように答えた。
「(うチには、お父ちゃんいうヒトがおるんじゃけえ)」
訊かれもしないのに弁解するかのようにそう思い、少女の母親は、膝頭に置いていたバッグをずり上げ、自らの股間に強く押し当てた。
「お兄ちゃん、わたし、窓側でいい?」
『少年』の妹が、並んで座る兄である『少年』にそう訊いた。『少年』とその家族が、少女とその母親が乗る『青バス』(広電バス)に乗ってきたのだ。
「ああ、いいよ」
と答え、あらためて『ひろしま駅ビル』に目を遣る『少年』の横顔を少女は、誰憚かることなく、後部座席から凝視めた。
「(標準語じゃあ。どうしょう!?)」
何を『どうする』のが分らないのか、少女は、自分でも分らなかったが、それが偽らざる彼女の気持ちであった。
「(やっぱり、『バド』じゃ)」
少女は、『少年』をアメリカのテレビ映画『パパは何でも知っている』の長男『バド』と見ていたが、ブラウン管の中の『バド』は、確かに標準語を喋っていた(日本語の標準語である)。
「じゃあ、ママはパパと後ろね。ふふ」
と、『少年』の母親は、『少年』の父親と自分たちの子どもの後ろの座席についた。
「(なんねえ!)」
少女の母親は、『少年』の母親を敵意が篭り光が増した眼で睨んだ。
「(何が、パパ、ママなん!日本人は、お父ちゃん、お母ちゃん、よねえ)」
『少年』の父親を『パパは何でも知っている』の『パパ』のように思ったくせに、『パパ』の奥さんを『ママ』と認めることはできなかったようであった。男前の『パパ』と釣り合った『ママ』の美貌が憎かったのだろう。
その時、『青バス』は動き出した。
(続く)
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