「広島に行ったら揉まれるで」
と云った時の琴芝小学校の担任の先生の表情を、『少年』は思い出した。
「ヴアーハッハー」
と、ダミ声で笑った訳ではなかったが、当時(1960年代である)、悪役で鳴らした俳優・上田吉二郎を彷彿とさせる容貌のその担任から、
「揉まれるで」
と云われると、まだ知らぬ広島の街で、上田吉二郎とその配下のワルたちに、殴られ、蹴られる自分の姿を想像してしまい、しばらく言葉を失ってしまったのだった。
「……」
琴芝小学校の担任の先生が『揉まれる』で意味したのは、『広島は都会だから、田舎の琴芝から転校すると苦労するぞ』という程のことであっただろうと、大人になった時の『少年』は理解したが、当時の『少年』は『揉まれる』を文字通りに理解し、それは、図らずも、『少年』の父親が、『怖い』広島でイメージしたものと重なっていた。
「(るるるーっ….)」
と、広島に向う特急電車の中で微かに身震いした息子を見て、父親は、隣席の息子の肩に手を置き、
「大丈夫さ、奴らだって、子どもには手を出しはしないさ」
と、自らの方に抱き寄せ、安心させようとした。しかし、父の言葉に、却って、『少年』の、そう、小学校を卒業したばかりのビエール・トンミー氏の不安は増した。
「(やっぱり『奴ら』がいるんだ)」
ちらを睨む上田吉二郎のような男たちが、車窓のガラスに映っているように思えた。
「でも、アレは、子どもでも、いや、子どもには怖い、というかショックかもしれんな」
(続く)
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