「わたし、お子様ランチ!」
『少年』の妹は、はしゃいでいた。夕食であったが、『ランチ』を希望した。広島の老舗デパート『福屋』の大食堂であった。当時は(1967年である)、デパートに行くことは、今でいうなら(2021年である)、アミューズメントパークに行くようなものであった、と云っていいかもしれない。
「ボクは、ハンバーグ定食!」
『少年』も、自分が食べたいものを高らかに宣言した。
「お母さんは、何にする?」
欧米の紳士然とした『少年』の父親は、レディ・ファーストで妻の希望を訊いた。こうした妻への対応ぶりは、現在の『少年』、つまり、ビエール・トンミー氏(67歳の老人)にも引き継がれている。
「そうねえ、私は、オムライスがいいわね」
和美人ではあるが、やはりどこか欧米のマダムな雰囲気も持つ『少年』の母親には、オムライスは似合っていた。
「じゃあ、父さんは、やっぱりカキフライ定食だな」
という父親の表現に、『少年』が小首を傾げ、質問した。
「やっぱり?」
「ああ、牡蠣は、何しろ広島の名産だからな」
「ああ、牡蠣って、広島か宮城なんだよね。でも、どうして、牡蠣は広島の名産なの?」
『少年』は、小学校で、どの科目も抜群の成績を収めていたが、『社会』も得意で、地理的な知識も豊富に持ち合せていた。
「詳しくは知らんが、先ず、広島市(当時の広島市で、今で云えば、旧市内である)やその周辺には、川が多いんだ。だから、綺麗な水が広島湾に流れ込んできて、牡蠣のいい餌になるプランクトンがいっぱいできるんだ。それに、広島湾には、瀬戸内海だから、島とか岬とが多くて波も穏やかで、牡蠣を育てる筏を設置するのにも適しているんだと思う。まあ、そういった自然環境が、牡蠣の養殖に適しているんだろうな」
という、やはり『パパはなんでも知っている』の『パパ』のような『少年』の父親の説明を、周囲の別のテーブルの家族たちも聞いていた。
「へええ、牡蠣が広島の名産なんは、そういうことじゃったんじゃあ」
「あの家族、東京から来ちゃってんじゃろうか?綺麗な標準語喋っとってじゃ」
「あの娘さん、まだ小学生じゃろうが、綺麗じゃねえ。子どものモデルでもしとるんじゃろうか?」
「お父さんも素敵じゃあ。なんか、『オノオノガタ』の長谷川一夫に似とらん?」
「お母さんもなかなかでえ。原節子みたいじゃけえ」
「いや、なにいうても、あの子が一番じゃないん。ジェームズ・ボンドの少年時代みたいじゃ」
『ジェームズ・ボンドの少年時代』がどういうものであったかは、不明であるが、『少年』とその家族の座るテーブルの周囲の他のテーブルでは、『少年』とその家族について、そう囁き合っていたのだ。
そこに……
(続く)
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