2021年10月30日土曜日

【牛田デラシネ中学生】変態の作られ方[その32]

 


はい、お子様ランチです」


ウエイトレスが、先ず、『少年』の妹が注文したものを持って来た。広島の老舗デパート『福屋』の大食堂である。


「わあ、やっぱり旗が立ってる!」


『少年』が、小さく叫び声をあげた。お子様ランチには旗がつきもので、『少年』の妹が注文したお子様ランチにも、皿に山のように盛られたチキンライスというかケチャップライスの上に旗が立てられていた。


「どうしてなんだろう?」


妹のお子様ランチを見ながら、『少年』が、ポツリと言葉を吐いた。


「え?何が?」


父親が反応した。


「うん、どうしてお子様ランチには、旗が立っているんだろう?」




「あら、そうねえ。当り前のことだと思っていたけれど、どうしてかしら?」


母親も、頷きながら首を捻った。


「ああ、お子様ランチっていうのはな、一番最初に出したのは、東京の三越本店なんだそうだ」


と説明を始めた父親は、嬉しそうだった。世の人間がただ当り前と捉え、何の疑問も持たないことを、そのままとしない息子の姿勢をとても好ましいものと思ったのだ。


「三越って、『大和』(だいわ)や『福屋』みたいな百貨店なんでしょう?」


『少年』はまた、前日まで住んでいた宇部市にあったデパートの名前を出した。そして、三越についても、その日、父親から、松坂屋も高島屋と同様に、元は『呉服店』だったと説明を受けたところであった。


「そうだ。三越は、日本で最初の百貨店だ。その三越の本店の食堂で、昭和の初めの頃に、お子様ランチを出したのが最初らしい。名前は、お子様ランチではなかったようだけどな」

「じゃあ、むか~しからあるんだね、お子様ランチって」

「そのお子様ランチを考えた食堂の人が、登山が好きで、お子様ランチに、ケチャップのご飯を山のように盛って、その上に旗を立てるようにしたんだそうだ。富士山の登頂旗みたいにしたのさ」


と、『少年』の父親が、当時(1967年である)既にインターネットがあり検索したかのように、普通には知らないであろう、お子様ランチの由来を淀みなく説明したのを、『少年』とその家族の座るテーブルの周囲の他のテーブルの人たちは、頷きながら聞いていた。


「大学教授なんじゃろうか?」

「広大(広島大学)の先生かねえ?」

「いや、東京弁じゃけえ、東大の先生なんじゃないん?」

「じゃあ、息子さんも、賢そうじゃけど、修道(修道中学)でも附属(広島大学附属中学)でものうて、東京のどこか有名な中学なんかねえ?」

「いや、なんかジェームズ・ボンドの少年の頃みたいな子じゃけえ、イギリス留学しとってんじゃないんかねえ。で、春休みじゃけえ、日本に帰ってきとられるんかもしれんよ」


イギリスの学校には、所謂、『春休み』はないものの、3月下旬から4月の中頃までは『イースター休暇』があるので、イギリスへの留学生が春休みで日本に帰国している、ということはあり得ないことではなかったが、『少年』は、勿論、イギリスに留学してはおらず、更には、東京の中学生でもなかった。


しかし、『少年』も、そして、『少年』の家族も、自分たちが話している言葉が、広島弁ではなく、東京弁、或いは、少なくとも標準語に近い言葉であり、話す内容も周りの人々からは、かなり浮いた、レベルの高いものであることに気付いてはいなかった。『少年』とその家族にとっては、それが普通のことであったからである。


しかし、『少年』の眼は、……



(続く)




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