「そうだ、『ピカドン』だ。原爆にあってるんだ、『福屋』のビルは」
『少年』の父親は、これから行こうとする広島は『八丁堀』のデパート『福屋』も『被曝』したことを説明した。
「広島って、原爆で、建物もなーんにも無くなっちゃったんじゃないの?」
『少年』は、その時、広島に入って初めて、原爆のことを思い出した。広島は、原爆で『なーんにも無くなった』と聞いたが、今、自分がいる広島は、普通の街であった。立派な駅ビルもあったし、色々なビルや商店、住宅があり、バスも沢山走り、広島駅前は、人も宇部よりは遥かに多かったのだ。
「ああ、見渡すところ殆どの建物は、猛烈な爆風や火災で無くなったんだそうだが、コンクリート製のビルなんかは、残ったものもあったんだよ。『福屋』のビルがそうなんだ。原爆ドームだって、ああ、元は、『広島県産業奨励館』っていうんだけど、爆心地のすぐ近くだったが、完全にはなくならず、残ってはいるんだからね。でも、原爆の後は、本当に一面、焼け野原だったんだ。いや、ただの焼け野原じゃなくって、沢山、真っ黒になった….ああ、今は、そのことはいいだろう。『福屋』のビルは、なんとか残ったものの、広島は、そうだ、なーんにも無くなっちゃったんだ」
「そうなんだあ。広島って、原爆で滅茶苦茶になったのに、今は凄い街になってるんだね。原爆が落とされたのも、もう昔のことだもんね」
と、『少年』が云ったのは、1967年(昭和でいうと42年)のことである。原爆が広島に投下されたのは、そこから22年前であった。22年は、『少年』、いや、少年には、遠い『昔』であったのだ。そのことに、『少年』は、それから50年以上経ち、60歳をかなり過ぎてから気付くことになった。
しかし、その時の『少年』にとって、1945年(昭和でいうと20年)が『遠い昔』なのは、実感であったし、到着したばかりの1967年の広島で、『遠い昔』の状態を想起させるものはまだ出会っていなかったのだ。
むしろ、
「パパあ、もう行こうよお。お腹すいちゃったよお」
という妹の声に、『少年』の腹も、思わず鳴り、原爆のことは頭から消えたのであった。
(続く)
0 件のコメント:
コメントを投稿