「(塩田川なんて、洗剤の泡だらけのドブ川だ!)」
と、口の中で毒づいたが、牛田に近づいた『青バス』(広電バス)に乗る『少年』の目の前に広がる川は、一見、塩田川より綺麗には見えるものの、今(2021年である)と比べると、ずっと汚かったのだ。下水道もまだ整備されていなかった広島市を流れる川には、汚水が流れ込んでいたのであるが、塩田川よりずっと大きく、しかもバスの窓から見ていたので、その川面の汚染が目に入ってこなかっただけのことなのだ。
「(もうドブ川とは、おさらばだ!)」
しかし、1967年に広島に入った『少年』は、知らなかったのだ。『少年』が来る、ほんの少し前の時期までは、広島市を流れる川は、ある意味、そう簡単に見ることはできなかったのだ。
市内を流れる川は、それまで7本もあったのに(『少年』が広島に来た1967年に、市内の西側を流れていた2本の川をまとめて、太田川放水路という1本の川にした為、市内を流れる川は6本になった)、その川面が綺麗かどうか以前に、なかなか見ることができない場所が多かったのだ。
川べりに、決して美しいとは云えないバラック(不法建築)が、戦後(太平洋戦争後である)、密集して建てられていたからだ。だが、『少年』が広島入りする少し前くらいにバラックは撤去されていっていたのだ(1967年には、まだ残っているバラックもあったが)。しかし、そんな広島の『闇」の部分を知らず、そして、その『闇』の中にもっと深い『闇』があることも知らず、
「(これからは、こんな『街』で生活するんだ!)」
と、バスの窓外を見る『少年』の眼は光り、その時、バスの後方席で、『少年』を凝視めていた少女は、『少年』のことを、アメリカのテレビ映画『パパはなんでも知っている』の長男『バド』以上のものと見た。
「(王子様じゃ!)」
まだ、所謂、少女漫画を見かける時代ではなかったが、少女には、『少年』が今であれば少女漫画に描かれるような『王子様』と見えたのだった。
そして、バスが停まった。
(続く)
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