「広島の『浅野家』って、『オノオノガタ』と関係あるの?」
芸能界には興味がない『少年』が、珍しく、『長谷川一夫』の物真似で『オノオノガタ』と云った。『長谷川一夫』は、云うまでもなく、名優にして世紀の2枚目俳優である。
「ああ、赤穂の『浅野家』は、広島の『浅野家』の分家だ」
と、『少年』の父親は、『浅野家』に関する息子の質問に答えた。今時(今は、2021年である)の人は、『長谷川一夫』も知らないかもしれないであろうが、『長谷川一夫』は、1964年のNHK大河ドラマ『赤穂浪士』(要は、『忠臣蔵』のドラマだ)で、浅野内匠頭が藩主であった播州赤穂藩の筆頭家老にして、ドラマの主人公である『大石内蔵助』を演じ、当時、小学4年生であった『少年』も熱心にその大河ドラマを見たのだ。
「じゃあ、広島の『浅野家』の方が、『オノオノガタ』より『上』なんだね!」
と、『少年』は、再び、『オノオノガタ』と云って、眼を輝かせた。『長谷川一夫』が演ずる『大石内蔵助』が、主人である浅野内匠頭を敵討ちをする際に発した『おのおのがた、討ち入りでござる』というセリフが流行し、『少年』はその物真似をしたのだ。
「ああ、広島の『浅野家』は、『国持大名』だったんだ。江戸時代、日本国内には、『国』と『藩』とがあってな、どちらの支配者も『大名』ではあったんだが、『国』は70近くしかなく、『藩』は300くらいあったんだ。どういうことかというと、一つの『国』の中に複数の『藩』があったといことで、『国』の方が、『藩』より大きかったのさ。だから、『藩』の支配者である『大名』と『国』の支配者である『大名』とを比べると、『国』の支配者である『大名』の方がずっと大きかった、つまり、偉かったのさ。その『国』の支配者である『大名』のことを『国持大名』というんだ。広島の『浅野家』は、その『国持大名』だったんだ。安芸国の全部と備後国の一部を支配してたんだ」
『少年』の父親は、史学科の出身ではなかったが、『大名』に関わる歴史的背景を滔々と説明した。
「じゃあ、広島の『浅野家』って、本当に凄かったんだね!」
「ああそうだ。広島の『浅野家』の初代は、『浅野長晟(あさの ながあきら)』という人なんだが、そのお父さんである『浅野長政』は、『豊臣秀吉』の親戚だったんだ。『浅野長政』の奥さんの妹さんが、『豊臣秀吉』の奥さんだったんだよ」
「ええ、『豊臣秀吉』と関係があったんだあ!」
「『浅野長政』は、『徳川家康』とも親しかったんだが、息子の『浅野長晟』の奥さんは、『徳川家康』の娘なんだぞ」
「ええ、ええ、ええー!『豊臣秀吉』だけじゃなくって、『徳川家康』とも深い関係があったんだね!凄いね、凄いね!牛田って、元々はお公家さんの領地で、その後は、『豊臣秀吉』や『徳川家康』とも関係がある『浅野家』とも所縁のある土地なんだね!ボクたち、これから、そんな凄い所に住むんだね!」
牛田の住宅街を歩きながら、『少年』の興奮は、極みに達していた。
(続く)
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