「皇室の人かあ、思うた」
牛田の自宅前で、少女は、今、通り過ぎて行った家族を見て、そう呟いた。宇部市琴芝から、その日、広島市引越してきたあの『少年』とその家族のことである。
「まさか、皇室の人が牛田なんかに来んよねえ」
母親が、娘の発言を否定した。否定したが、今、自分が見たものは、あながち幻ではなかったのではないかとも思えた。母親は、あの『少年』とその家族を、平安時代の貴族のように見てしまったのだ。皇室の人たちは、宮中儀式の時に、平安時代の衣装のようなものを着るからだ。
「(でも、タイムマシンなんかあるはずないけえ)」
大人である母親は、漫画家の手塚治虫でも描きそうなタイムマシンなるものを信じてはいなかった。もう何日か後であれば、『タイムマシンなんかあるはずない』とは思わず『タイムトンネルなんかあるはずない』と思ったであろう。その年(1967年)の4月8日に、アメリカのテレビ映画『タイムトンネル』が始ったのである。いやいや、『タイムトンネル』を見るようになり、そして、公卿大人(くぎょう・うし)のことを知っていたら、お公家さんがタイムトンネルから出てきたと思ったかもしれない。
「ほうよねえ、ここは、牛田なんじゃけえ、皇室の人なんか、来んよねえ」
娘も、母親に同調した。ここ牛田に引越してきた時、娘は、父親に訊いたのだ。
「お父ちゃん、ここ、なんで牛田いうん?」
「ああ、そうだなあ。今は、高級住宅街じゃが、昔は、田んぼがあって、牛が耕しとったんじゃないんかのお」
と、その時、父親は、さもありなんという回答をした。『牛田』の地名は公卿大人(くぎょう・うし)の領地だったことに由来するかもしれないとは知るはずもない、ただただ普通の父親であったが、娘は、父親の説明に納得した。
しかし、今、娘の鼻の周りには、牛糞の臭いではなく、お香のような匂いが漂っているように感じられていた。
「でも、なんかエエ匂いがするねえ、あの人たち。皇室の人じゃないんじゃろうけど、皇室の人みたいに品があるし、エエねえ」
父親同様、ただただ普通の娘である少女は、皇室の人たちは品がいい、有難い存在だと素直に思っていた(多分、今も、そう思っている、他の多くの日本人同様に)。
「(あの子、『皇太子殿下』みたいじゃ)」
少女の眼はまだ、スタイルのいい『少年』のツンと上ったお尻が軽く左右に揺れながら遠くなっていくのを見ていた。
「(あのご主人、貴族じゃないかもしれんけど、高貴な顔しとってじゃったあ。美男子じゃし、また、会うたらどうしょう!?)」
と、母親も、何かを隠すかのように、手に持っていた買い物かごを体の前に持っていった。
(続く)
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