「このバスでどこに行くの?」
広島駅前のバス停から動き出した『青バス』(広電バス)の中で、『少年』は、自分の後ろの座席に座った父親の方に振向き、質問した。
「今度のウチは、どこなの?」
引越しが決っても、宇部市琴芝にいる間は、引越し先については、それが広島であること以上に思いを抱くことはなかったが、今、広島の地に着いて初めて、自分は広島のどこに住むことになるのか、という疑問が湧いてきたのだ。
「牛田っていうところだ」
「え?『うした』?」
「ああ、『牛』に田んぼの『田』と書くんだ」
「牛がいる田んぼのあるところなの?」
「ああ、牛を飼っていたからという説や他の説もあるみたいなんだが、公卿大人の領地だったからのようだ」
「ええ?クギョーウシ?」
「公卿、つまり、お公家さんの、『大人』(おとな)と書いて『うし』と読むんだが、『大人』っていうのは、高官、つまり、地位の高い人ってことだな。公家の高官、『うし』の領地だったから、『うした』になった、と云われているんだ」
『少年』の父親は、まさに『何でも知っている』パパであった。インターネットもない時代に(1967年である)、どうして、海外のバス会社のことや、これから住む土地の名前の由来まで知っていたのか不思議ではあるが、その時、『少年』は、そんな父親の博識に感心するよりも、『牛田』への関心が増した。
「じゃあ、ボクたち、これからお公家さんの土地に住むんだね!」
と、見開いた眼で凝視めてくる息子に、父親は、答えた。
「ああ、牛田は、高級住宅地だからな」
しかし、『青バス』は……
(続く)
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